食堂の食事は、すこぶるまずい。



「なにこれ。炊飯器以下だね。」



 神威は目の前に出された食事に悪態をつく。膝の上に座って同じ食事を口に入れた東は瞬間的に眉を寄せたまま、こほこほとむせた。



「大丈夫?」

「まじゅい。」

「全く同意見だね。」



 食堂で多くの団員たちは平気そうな顔で食事をしている。多分神威もに出会わなければ平気でこの食事を平らげていただろうが、一度美味しい食事が当たり前の物になってしまうと、どうしてもまずい食堂のご飯を口が受け付けない。

 神威は食堂のテーブルに頬杖をついて、ため息をついた。東も食べる気がなくなったのか、神威のお下げを触って遊んでいる。



「神威さん、何しるんっすかー?」



 気づけば食堂にやってきたの副官の龍山が、首を傾げて神威を見ていた。出来れば今一番会いたくない相手で、神威は思わず無意識に眉を寄せる。口元だけでも笑えていたか、実に不安だ。

 年齢が近く、そこそこ顔立ちが整っており、同じ夜兎でもあるこの龍山が、神威は大嫌いだった。

 は基本的に副官に優しい。荼吉尼の赤鬼と青鬼は自分に従う者としてみているが、年下でまだ若い龍山に関しては字や勉強を教えたり、修行につきあってやったりと忙しいなりに一定目を配っている。だから、神威は彼のことが嫌いだ。

 龍山の方も何となく神威が自分を嫌っていることには気づいているようだったが、元があまり気にするタイプではないらしく、平気で神威に声をかけてくる。



「なんかと喧嘩したらしいっす…ひっ」



 龍山が言い終わる前に、お箸が彼の頬すれすれの場所を通り過ぎる。



「何か言った?」

「なんでもないっす。」



 彼は常に空気が読めず、一言多い。自他共に認める龍山の欠点であり、それは神威を前にしても全く変わらない。ある意味で無謀だがそれで生き残っていることに団員たちも恐怖と称賛の眼差しを龍山に向けていた。



「何?龍山、おまえもご飯なの?」

「団長いないから飯余るってんで、執務室でが食わせてくれたんで飯じゃないっす。」



 聞かなきゃ良かった、と神威はぽつりと思った。

 よく考えれば神威の食べる量は半端ない。一日分の下ごしらえは既に朝か、もしくは昨日の夜にしているから、突然神威が食べないと言い出しても、準備はある程度されている。当然余ってしまうわけで、それを副官たちに振る舞うのは当然のことだ。

 食堂で食べると自分で言ってしまったけれど、彼女の作る料理を別の男が食べたと思うと、また苛々が増す。頭を冷やそうと思って食堂にご飯を食べに来たのに、また腹の中に苛々がたまってくる。

 お腹がすいているはずなのに、気にならないほどにむかつくのだ。



「じゃあ、なんでこんなとこに来たんだよ。」



 神威は机に肘をついて、龍月に尋ねる。彼は食堂に食事をしに来たのではないらしい。ならばこんなところまで一体何をしに来たのだろうか。



「赤鬼さんが、神威さんに報告して来いって。」

「何を。」




 神威が尋ねると、龍山はぴっと一枚の折りたたんだ紙を神威に差し出す。ここで話せる内容ではないのだろう。それはと神威が痴話喧嘩を繰り広げた時、彼女が紙に書いていたことの写しのようだった。

 10名ほどの団員の名前、第七師団に入った時期、そしてその隣には転生郷という麻薬の生成方法や流通についての基本的な知識がメモされている。紙の端には一つ表があって、それはどうやら第七師団母艦の備品チェック表だ。

 先週乗せたはずの麻薬の欄の数字が、明らかに今週減っている。



さんは、どうせ自分が処理するから、良いって言ったんだけど、これがさー。」



 ぽんっと龍山は、下線の引かれた名前の一つを指で示す。『翠子』という名前。神威がに焼き餅を焼いて欲しくて、執務室に招き入れた元カノの名前だった。



がアズマに副官つけようって言い出した原因って、これなわけ?」



 神威は小さなため息をついて、膝からずり落ちてきた東の身体を抱き直す。



「…多分?」

「おまえ、伝書鳩としても使えない男だね。」



 は何でも自分で処理したがる傾向にある。実際に処理できるだけの能力もあるが、自分ひとりで処理するには下積みもいるし、時間もかかる。そのため彼女の副官の赤鬼や青鬼が神威に一部を報告することはよくあることだった。

 ある意味で密告なのだが、も副官たちが本気でを心配していることを理解しているため、彼らを責めたりはしない。

 ただ、赤鬼と青鬼が麻薬のことで忙しいとは言え、龍山は救援要請の伝書鳩としては役不足だ。彼は赤鬼、青鬼より若い上、元々字も読めなかったほどの馬鹿だ。腕は立つ方だが、神威以上に書類仕事は役に立たないし、説明能力は皆無と思って間違いない。

 赤鬼も神威が嫌っていることも知っているだろうに、何故彼を神威の元に送ってきたのか。



「ままは?」



 東はのことを尋ねる。龍山は少しばつが悪そうに、困ったような顔で神威から視線をそらす。



「おまえさ、言いたいことがあるなら言いなよ。」

「いや、なんか、俺一言多いらしいから。」

「自覚あってもどうしようもないぐらい馬鹿なんだね。」



 神威がため息をつくと、東は先ほどの質問の答えを求めるように、ばんばんと小さな手で机を叩いて見せた。



「まあ、いつも通りすごい速度で仕事してるけど。」



 龍山は東に促されるようにして、口を開くが、語尾が続かない。



「けど?」

「昼飯食べてねぇし、飲み物も飲まないし、…休ませたいけど、神威さん以外、触ると殺されるし、」



 普通ならば無理矢理休ませることも出来るだろうが、に実力行使に出ることが出来るのは、神威のみだ。他の者では彼女に触れた途端に刀で斬られる。許可なく触れれば誰であっても首を落とす。それはが団員たちの前でいつも宣言していることだ。

 団員には夜兎も多い。そのためはいつも様々なことに警戒し、気を張っている。



「まま、へいき?」




 龍山があまりにもしょんぼりとうなだれて話すので、東は自分の母親が大丈夫かと不安になったらしい。神威をその漆黒の瞳でゆらゆら映して、尋ねてくる。



「どうだろうね。」



 神威はそう返して、東の小さな額を前から後ろへと撫でてやった。

 さらさらして手触りが良い、柔らかい髪だ。のひこひこ跳ねて太い銀色の髪とは全く異なる。髪質も、髪の色も、顔立ちも、とあまり似ていないけれど、東の丸い漆黒の瞳だけはによく似ていて、こんなにも弱くて、頼りなかったのかなと不思議に思う時がある。

 あんなにはいつも強いのに。



「…神威さん、翠子のこと好きなんっすか?」




 少し言いよどみながら、龍山は窺うように神威を見た。



「は?あるわけないだろ。あんな弱い女。」



 神威は即答する。

 確かに昔何度か抱いたのは本当だが、それはと会う前の話だ。ぐちぐち口で言うだけで、に直接向かっていこうともしない翠子のことを、好ましいと思っているはずもない。

 翠子は確かにすらっと背が高く美人だと思うが、の方が小さくて可愛いし、銀色の髪はふわふわしていてさわり心地が良いし、何よりも誰よりも男顔負けに強い。そのくせ華奢で寝所ではちっとも強くないし、そのギャップが、なんて思っている自分が結構重傷だと言うことに気づいたが、無性にに会いたくなった。

 でも、むかつく。自分ばかり彼女を自分のものにしたくて、彼女は嫉妬もしてくれない。気にもかけてくれない。平気な顔で仕事をしているのだと思うと、むかついて仕方がないのだ。



「じゃあ、もう執務室に入れんのやめてくれねーっすか?あいついると、のワーカーホリック具合が上がるんっすよ。」

「いつもだろ?」

「仕事への没頭具合が、人の話聞いてないレベルなんっすよ。」

「それもいつもだろ。」



 ワーカーホリックという言葉は、まさにのためにあると言っても間違いない。ただし、のワーカーホリックは今に始まったのではなく、前からだ。第七師団に雇われる前も資格を取るため専業主婦なんて言葉ばかりでひたすら机にかじりついていたし、今は書類仕事のため机とお友達だ。



「あれ。」



 俺、構って欲しかっただけなのかな、と神威はふと気づく。

 自分ばかり彼女を自分のものにしたくて、彼女は自分のものにならないし、頼ってもくれない。何で一緒にいるのかもよくわからない。すました顔で彼女はいつも仕事をしているのが、気に入らない。それだけだったのかも知れない。



「うげぇ、きたぁ。」



 龍山がつぶされたような声を上げて、隣をむく。神威が顔を上げると、そこには亜麻色の髪の女が立っていた。

理解できないけど知りたい