と阿伏兎が食堂まで駆けつけると、入り口から少し離れた廊下に団員たちががたがた震えて座り込んでいる。何故か押しくら饅頭状態で、震えながらも互いに抱き合い、円を描いていた。が駆け寄って中央を見ると、何故かの部下の龍山がいる。

 夜兎らしい白い肌をした龍山の顔色は真っ青で、震える腕で東を抱いていた。まるで幼いその腕の中の子供だけが精神安定剤だとでも言うようだ。



「だ、大丈夫?力入れすぎて絞め殺さないでね。」



 は龍山の前に膝をつき、東と龍山の無事を確かめる。少なくとも二人とも目立った怪我はないようで、東もに気づくと、大きな漆黒の瞳を細めてにこっと笑った。



「良かった。」



 は胸をなで下ろす。

 今日、息子の東は神威とともに食堂に行っていたはずだ。神威を信用していないわけではないが、団員から食堂で神威が暴れていると聞いて、は肝が冷える思いがした。



「まま、ぱぴーふっきれた。」



 楽しそうな顔で小さな両腕を上げて、あっけらかんと東はに訴える。



「え?なに?」

「違う、絶対違う。ありゃキレたんだよ!神威さん、キレたんだよ!!」



 龍山が震える声もそのままに、東を抱いたまま叫ぶ。の息子を絶対手放そうとしないのは、多分神威が東にだけは手を出さない、残酷なところを見せないと知っているからだろう。ある意味で東と一緒にいるのが一番安全だ。

 だからこそ、皆東を中心に円を描くように抱き合っていたらしい。



「東、頼んだよ。」



 は東の黒髪をよしよしと撫でてから、食堂の入り口へと向かう。既にそこまでたどり着いていた阿伏兎は、呆然と中の様子を見ていた。



「邪魔、」




 は一言そう言って阿伏兎の大きな身体をどかせ、中を見る。そこはかつての食堂の面影がないほど、真っ赤なペンキをひっかけたように真っ赤に染まっていて、生臭い。その中央には同じく肌やら髪の毛まで赤く染めた神威が、人間らしきものを持っていた。



「あぁ、。おまえの仕事は終わったヨ。」



 の姿を見つけると、手に持っていた死体らしきものを放り捨てて、軽い足取りで歩み寄ってくる。入り口近くにいたは、こわごわのぞき込んでいた団員たちがひっと悲鳴を上げたのを見て、一歩中へと踏み出した。

 床には血だけではなくいくつか塊があり、食堂の机には紙切れと思しき血まみれの物体がぺらっと置いてある。それはが無駄紙に書いたものの写しのようで、今回麻薬を盗んだと思しき団員の名前が並んでいた。

 恐らくと神威の痴話喧嘩を見た副官たちが心配して、事情を神威に話しに行ったのだろう。不安にさせたことは申し訳ないと思うが、ここまでことが発展するとは流石のも予想外だ。



「まったく、何してるの。」




 は腰に手を当てて、ブーツが汚れるのも構わず、躊躇いもなく血濡れた食堂を進んでいく。



「なんかむかつくことでもあったの?」

「違うよー。よく考えたら、と喧嘩したのはそいつのせいだなって思ったんだ。」



 そいつ、と神威によって示された場所には、人だったのか肉塊というべきか、ひとまず何か塊がある。



「そいつって、誰。」

「翠子、」

「…」



 聞かなきゃよかった、と思いつつ、ざまあみろという気持ちになったのは、心の中にしまっておく。食堂を見回せばあちこち血まみれで、床の鉄板と鉄板の隙間に血が挟まってしまっているため、業者を頼まねば掃除できないだろう。

 ただ入り口の前の廊下でびびりまくっている団員たちが、この惨劇の場で部屋が綺麗になったからと言って、平気な顔して食事がとれるようになるか自体、根本的に疑問だ。



「っていうか、これ一人じゃないでしょ。」

「この、蛍光ペンで下線引っ張ってた奴、全員殺っちゃった。」

「勘弁してよ。背後関係わからないじゃない。」

「わかったよ。すぐに吐いてくれたからね。を殺したかったんだって。」




 神威はにっこりと笑って、血まみれの手での頬に触れる。はべたりとした感触に眉をしかめ、はーと大きなため息をついた。

 どうやら翠子が麻薬を盗み出し、を殺す見返りに麻薬を与えていたらしい。第七師団は麻薬に関しては厳しい態度を貫いており、団員が麻薬に手を出せば追い出すことになっているのだが、新人団員たちは知らなかったのだ。



「吐いたのに、これ…」



 どう考えても部屋の様子も、食堂の前で震えている団員たちの反応から考えても、翠子を含め拷問でもしたのだろう。



「え?殺してくれって、泣いてたから、楽にしてあげたんだよ。」



 神威の空色の澄んだ瞳に、氷のように冷たい色合いが宿る。



「俺のものに手を出そうとするからいけないんだ。」




 頬に触れる赤い手が、酷く優しい温もりを与える。だがそれは確かに、人から温もりを奪うことしか知らない手だ。愛し方を知らない。傷つけたことしかない。誰かを抱きしめるよりも、奪うことに長けたその手は、力強く、同時によりも少し大きい。

 団員が神威に抱くような恐怖を、は感じない。でも多分それは、彼が与える死を恐れていないからだろう。



「馬鹿じゃないの、こんなに汚しちゃって。」



 は神威の手を軽く振り払って、袖から手ぬぐいを出して、神威に突き出す。神威はじっと手ぬぐいを見ていたが、それを受け取った。ただかぴかぴに固まっている血は手ぬぐいごときではとれないようだ。



「神威もシャワー浴びてきなよ。あ、あと掃除大変なんだから、業者手配しなくちゃ。」

「まだ仕事するの?殺して終わりだろ。」

「終わりじゃないよ。こんなに汚してどうするの。食堂使えないじゃない。ちょっと赤鬼―、見積もりとってきて。青鬼、ちょっとどこかポートでも良いから、広い場所食堂代わりに確保して。」



 は入り口の方で見ているだろう、荼吉尼の副官ふたりに声をかける。入り口から中をのぞき込んできた赤鬼と青鬼は、流石に食堂の光景に吐き気を催したらしく、顔色を変えてすぐに廊下へと駆けだして行った。

 トイレに行ったのか、それとも見積もりを取りに行ってくれたのか、一体どちらだろう。

 が二人の鬼の背中を見送っていると、がしっと首元に後ろから腕が回った。みると神威の腕で、動きやすいようにめくり上げられた袖の裏地は白かったらしいが、真っ赤に染まっている。白い手も真っ赤で、の着物に血がついた。

 それに眉を寄せ、後ろを振り返る。見下ろしている神威は笑っていたけれど、青い瞳が少し不安げに揺れている気がして、はアホ毛に手を伸ばした。



「わたしには神威が何を考えてるかは、正直わからないことが多いけど、」



 神威のオレンジ色の明るい髪。のよく絡まる性格のゆがみがそのまま表出したような、銀色の髪とは違うけれど、さらさらしていて撫で心地は良いと思う。



「言ってくれたら、わたしにできることはかなえたいと思うよ。」



 青色の瞳が丸く見開かれる。そんなに驚かれることを言っただろうかと、首を傾げると、首に回されていた手が離れ、今度は腰に回った腕が、後ろからを抱き込む。肩に埋められた神威の顔。首に髪があたるので、くすぐったい。



「おまえは俺のだよ。」

「わたしはわたしの…」

「嘘つき。だから、それは言わないで。言わないでよ。」



 懇願するように言われ、は揺れるアホ毛だけを見つめる。自分が誰かのものになるなんて、よくわからない。気分が良いものでもない。は子供である東のために生きている。彼が自立したら、多分命を絶つだろう。だから多分神威のものにもならない。神威もうすうす感じているだろう。

 だから言うのかも知れない。



「神威は、馬鹿だね。」



 たくさんの後悔と、憎しみと、自分が背負う業、すぐに飲まれてしまいそうなほどの、真っ暗闇。小さな自分の未来、子供を抱えて揺れながら歩くは、きっとその光が手元から離れると同時に、闇に落ちるだろう。

 その時、は自ら命を絶つのか、それとも生きることが出来るほどの何かがあるのか、まだわからない。



「わびしいって、思える日が、くるのかな。」



 命を絶つのがもったいないと、神威の傍にいたいと思える日が来るのだろうか、まだ想像できないけれど、東以外に血にまみれた道を歩むだけの覚悟が出来るとするなら、彼のためだけなんだろうな、と。少しだけ温かい腕を感じながら、思った。




怖いけどむきあう