「絶対アンタなんか認めないんだから!」
入団手続きをしに来た、神威の元カノだという目の前の夜兎の女は、を見るなりそう叫んだ。
神威は興味深そうにソファーに寝転がりながら、がどう対応するのかを見ている。阿伏兎も隣の執務机で仕事をする手も止めて、釘付けだ。の副官である赤鬼と青鬼も真っ黒な顔での一挙一動を見逃すまいと瞬きすらもしないが、荼吉尼で随分と強面なので、彼らの顔の方には釘付けになりそうだった。
「あの?貴方が認めなくても認めても、わたしは変わらず第七師団の参謀兼会計役なので、ひとまず、署名をお願いします。」
は何の興味もなかったので、書類をわたし、署名を求める。
「いや、そっちじゃねぇだろ!!」
阿伏兎が突っ込みを入れるが、は「うるさい」とインク入れを阿伏兎に本気で投げつけた。
「わたし忙しいんだよ。馬鹿にはわからないかも知れないけど、書類って大切なんだよ?サインさえしてもらったら、死んでも殺しても問題ないんだから。」
「いやね!それじゃなくて!」
「わたしを参謀とか会計だって認めても認めなくてもサインさえもらえれば良いんだよ。」
「違う!そっちも違うって!目の前の嬢ちゃんが言ってるのは別のこと!!」
衝撃でインク瓶がわれ、顔を真っ黒にしながら阿伏兎は叫ぶが、は不思議そうに首を傾げるだけだった。
「アンタ馬鹿にしてんの?アンタが神威の彼女なんて認めないって言ってんのよ!!」
目をつり上げて、夜兎の女はに掴みかかろうとする。だが彼女もいかにも強面の赤鬼と青鬼の手前、手までは出さなかった。
は改めて履歴書と契約書を眺める。
元々夜兎で、神威と同じ星の出身だったらしい。翠子、と書かれている。容姿はさらさらの亜麻色の髪に夜兎らしく色白で、胸も大きい。どちらかというと美人といった感じの顔立ちで、チャイナ服も足下にスリットが入っていて、色気がある。
確かに、目の前の彼女は美人だし、夜兎だし、神威のお眼鏡に適っているのかも知れない。ただし、そんなことはにとってどうでも良いことだ。
「わたしって、神威の彼女なんだっけ?」
は首を傾げて、寝転がっている神威に尋ねる。
「え?は俺のものだよ。」
神威はにっこりと笑って答えた。はその答えに大きく頷いて、目の前の女に契約書の控えを渡す。
「わたしは神威の彼女じゃないって。はい。控え。それよりわたし、聞きたいことがあるんだけど。」
「な、何よ。」
「こういう名前の人に一度聞いてみたかったんだよね。どうして貴方のご両親、“ミドリ”じゃなくて、“ミドリコ”にしたの?」
「アンタ人のこと馬鹿にしてんのおおお!?」
翠子は叫んで、の胸ぐらに掴みかかる。
「え、なんで怒るの。ただの興味だよ。翠子って名前、可愛いと思うよ。言いにくいから自分の子供につけないけど。」
「馬鹿にしてんでしょ!!」
「気分を悪くしたんならごめんね。一度聞いてみたかっただけなんだよ。」
は素直に謝って、翠子の手を払いのけた。
「絶対!絶対認めないんだから!!」
翠子は相当気分を害したのか、ひったくるように契約書の控えをとって、部屋を出て行く。その後ろ姿を眺めて少し考えてから、訝しむように神威を見た。
「人の話を聞かない子なの?」
「人の話は聞かないかも知れないけど、おまえよりも理解力はあると思うヨ」
神威は貼り付けた笑みをに向ける。
「…正直さ、元カノVS今カノみたいな長編やりたかったけど、は鈍すぎて話がまったく始まらないヨ」
興味津々で目を輝かせていた神威だが、の予測不能な行動に萎えたらしい。というかとしては翠子の敵意については感じているだろうが、それが神威という他者を間に挟んだものであると言うところがいまいち理解できていない。
「姉御、鈍いっすよね。」
赤鬼と青鬼は兄弟そろって顔を見合わせた。
基本的に第七師団は男所帯で、女はほとんどいない。いたとしてもすぐに死ぬか、結婚するか、逃げるかのどれかだ。1年以上いるのは、参謀兼会計役ののみ。様々な手続きで団員はに必ず会うし、は穏やかで親切、基本的に団員の相談にならばどんな時でも時間を空けて乗る。
は容姿もそこそこ可愛らしいし、人当たりも一見すると良い。
とはいえ、その親切さが団員に勘違いされることもある。特にが神威の女だと知らない入団したての団員が一番問題だった。いや、古参の団員でもアプローチをかけた天人は数多いわけだが、はまったく理解できない。これ以上ないほど鈍い。
冗談ではなく、好きだと言われ、わたしも好きですよーと答えるレベルだ。
そのためは神威が引き起こす、「なんかむかつくからのことを好きな奴を殺しちゃおう☆」の喧嘩も、ただ神威が退屈を理由に起こした暴行程度にしか思っていない。というか、事実としてはどちらにしても確かに、ただの暴行なのだが。
「鈍くないよ。わたし賢いよ。」
「って戦い以外の勘がね、悪いんだよ。特に恋愛関係」
「…んー。」
神威がはっきり言うと、は少し口元に手を当てて考える。
「なに?」
「いや、そういえば、昔、兄や幼馴染みたちからも、言われたなぁって。」
あまり認めたくないが、恋愛関係についての鈍さは、兄や幼馴染みからも指摘されていた。実際に十数年一緒にいたはずの幼馴染みが自分に思いを寄せていたことも、彼らが晋助に挑んだこともあったということすらも、は結局彼が死ぬまで気づかなかった。
「まあ旦那も出来たんだし、神威もいるし、問題ないんじゃないかな。」
はあっさりとした結論を導き出した。結果論だが、普通に旦那も出来たことがあるわけだし、大きな問題はないんだろう。
「その安易なおまえの発想がね、ことを大きくするんだと思うヨ。」
「それもどこかで言われた気がするな。人間変わってないってことじゃないかな。」
興味もなさげにそう言って、は翠子が書いた契約書を、他の書類と同じようにファイルに閉じて見せた。
何も始まらない女性問題
「第四師団には女いるんっすね。」
赤鬼はどこかで第四師団の団長が女であり、それなりの人数の女がいると言うことを聞いて、に言う。
「うちにはいないねぇ。」
「姉御、姉御も女っすよ。」
青鬼が一応突っ込みを入れるが、はへらりと笑って「そうだっけ?」と首を傾げて見せた。
「そういや昔何人か女はきたけど、全員神威に殺されるか、結婚するか、まぁ、ひとまず半年以内には消えたよね。」
「あー言い寄ったらしいっすよね。団長、嫌いだから、そういうの。」
「え?そうなの?」
「いや、姉御、宣戦布告されてましたよ。」
「されたっけ?」
全くの記憶にはない。
赤鬼と青鬼は顔を見合わせてからを凝視するが、は至極真面目な顔で赤鬼と青鬼という、荼吉尼の強面を眺めていた。
「どうしたの?」
「姉御、マジ鈍いっすわ。団長の方は、殺しまくってますよ。姉御に惚れてる奴。」
「…?、神威が殺しまくってるのはいつものことでしょ。」
何を言っているのだ、とは思う。
神威は元々とびきりの悪党で、強い相手でも弱い相手でも殺しまくるのはいつものことだ。女子供は殺さないなんて基本方針は、苛立ちや面倒さですぐに滅び去る紙切れ程度の矜持に過ぎない。もそんなことをいちいち注意するのは面倒なので、気にしないことにしている。
団員が逆鱗に触れて殺されるのはもう仕方がない。弱いのが悪いのだとある程度は思うようにして、自分の副官や役に立つ団員だけが殺されないように注意している。
「っていうか、仮にそうなら、神威がわたしに言い寄る人も、自分に言い寄る人も、どっちも殺してることになるじゃない。すごいねー。」
は椅子の背もたれに身を預けて、薄っぺらい称賛をする。
「…姉御鈍いから、」
赤鬼と青鬼はその一言に尽きると思っている。
大抵神威狙いの女たちは、公然と神威の女ということになっているに第一に敵意を向ける。だがはそれに気づかず、事務的に返す。嫌がらせも、神威への色仕掛けもは不快な顔一つしない。よくわかっていない。そのため、何をしても反応を返さないに女たちは諦めを覚えるのだ。
結果的に女たちは神威に直接アプローチをし、殺されるというパターンが生まれた。
ちなみにに思いを寄せる団員の場合、スルースキルの高いにスルーされている内に神威に気づかれ、抹殺、という道を歩んでいる。
両者ともに行き着く先は一緒だ。
さらに神威はそういう感情を自分では認めないのに、勘が良く、恐ろしい程に鋭いのだ。あからさまな奴は抹殺、それらしい奴はすぐに釘を刺す。本当にひとりも逃さない。
「なんかよくわからないけど、神威の暴力行為はなれちゃったからどうでもいいや。」
鈍いはあっさりとそう言って、書類処理に戻る。
赤鬼と青鬼はそんな彼女を見ながら、今日もそうして彼女の鈍さと平穏が守られているんだと思ったが、穏やかな気持ちにはなれそうになかった。
何も始まらなかった女性問題