べべんと最後には鼈甲のばちの端で大きな音を鳴らして、演奏を終える。三味線の音はこれ以上ないほどに美しく、そしてほどよい余韻を残して消える。神威は胡座をかいたまま肘置きに両肘をついて、隣で酒を飲みながらの演奏を聴いていた。
「あんた、別嬪だけど芸事もすごいんだねぇ。」
日輪は感心したようにしみじみと手を叩く。廊下に通ずる襖を開けていたため、何人かの遊女が気になってか演奏に聴き入り、覗いていた。
「お琴とかも出来んのかい?」
「だいたい一通りは。お琴と三味線は名取りだったんで。」
「はー、こんだけうまけりゃ十分花魁になれるよ。」
彼女は決して極上の美貌を持っていると言うわけではないが、博識で芸事にも秀でている。少なくとも花魁には十分になれる器だ。遊女たちも誰がこれほどの演奏をしているのか、気になって仕方がなくて覗いていたのだろう。皆ひとまず神威に食べさせる白米の入った桶を持って、こぞって見に来ていた。
日輪が呆れた顔で手をひらひらさせると、恥ずかしそうに桶を置いて引っ込んでいく。
「結構、困ってた時期もあるんだけど、そういうお金の稼ぎ方、考えたこともなかった。」
は一瞬黒い瞳を丸くして、それから目を細めた。
これほどの腕だというのに、それで生計を立てるということを、一度も考えたことがなかったようだ。ましてや身売りなど、普通に育っていれば考えられもしないだろう。日輪は素直な彼女の言葉に思わず苦笑する。
「駄目だよ。俺は自分のものを他人に下げ渡す趣味はないんだ。」
神威はむっとした顔をして、の銀色の癖毛を引っ張る。は小さく笑みを零して、答えるかわりにべべんとばちで弦を弾いた。
神威には、彼女に対する明確な独占欲はあるらしい。そういう所は普通の恋人らしいなと、小さく日輪は笑ってしまった。
月詠の話では、彼女は宇宙海賊・春雨において、参謀兼会計役として正式に雇われているらしい。日輪にはわからないが、少なくとも花魁などよりは稼げるだろうし、身売りしなくても問題ない職業だ。危険は代わりに多いだろうから、女伊達らによくできるのだろう。
「あんた、良いとこの子なんだね。」
「わたし、孤児ですけど。」
「え。」
「まあ、拾われたところが、良かった。みたいな。」
は別にそれに対して負い目や悲しみはないらしく、実にあっさりしていた。
おそらく拾った誰かが相当の教育を施したのだろう。彼女が宇宙海賊という荒くれ者の中でですらも、生きていけるほどに。
「それにしてもなんでこんなところにふたりで休暇なんてきたんだい?」
吉原は女を買うためにある。そのため第七師団の団員は皆、女を買いに出かけてしまった。それに対して神威は女連れでこんな所にやってきている。しかも部屋を取って、女も呼ばず、と二人引きこもりだ。
食事などは求めてくるが、それでは宿泊所と変わらない。
「多分、神威の思いやり?」
「たまにはおまえもゆっくりしたいだろ?」
神威は遊女が様子が見たくて運んできた米びつを抱え込み、しゃもじでそれを口にかき込み始める。
「ここ、春雨の支配下でしょ。わたし、地球ではうん万人殺した指名手配犯だから、ここでしか、のんびりできないんですよ。」
「え。」
日輪は目の前の華奢な体躯の女を改めて眺める。どう見ても天然パーマ以外に目立つところのない、普通の女だ。着物の下が筋肉むきむきと言うことも絶対にないだろう。
予想に反してからくりかなにかとしか考えられない発言だ。日輪としては心底引いたが、神威はまったく動じない。
「は強いから好きなんだよ。」
神威は青色の瞳を輝かせ、三味線を持っているに抱きつく。
普通に考えて吉原に女が望んでくることはない。実際にこうやって神威と休暇を過ごしているあたり、地球ではうん万人殺したという指名手配犯であるという話は、嘘ではないんだろう。地球広しと言えど、そんな女滅多にいない。
そしてそんな女をこよなく気に入っている男も、宇宙広しといえど、なかなかいないだろう。
「だから、俺の子供を産むのはなんだ。」
臆面もなく、彼は彼女の価値が強さであると口にする。自分のもので、誰にも触れさせないという。それはただの愛情と変わらないのだけれど、彼はそれを知らない。
「そうかい。幸せそうで、何よりだねぇ。」
日輪は目尻を下げて、少し寂しい心地で夜兎の隣に並ぶ、同じ地球人の少女を眺めた。
どれほど願おうとも、望もうとも、日輪には鳳仙の隣に並ぶことが出来なかった。女として彼に求められても、弱い日輪が彼の隣に並び、苦しみを分かち合うことも、彼を面と向かって止めることも出来なかった。同じ時を笑いあいながらともにすることも、こうやってのんびりと過ごすこともなかった。
彼の子供を産むこともなく、おそらく誰かの子供を産むことは、出来ないだろう。いつも突き放されてきた。
「…」
神威も、鳳仙と同じだ。
夜兎として強さを求める彼は、きっと人の愛し方なんて知らない。刃を突き立てることでしか、愛情を示す方法がわからない。だが、爪を突き立てられたところで、彼女は簡単に負けたりしないし、殺されたりしない。
その強さがあるから、彼女を神威は求める。彼女は神威の隣にいることが出来る。
「違う、終わりがあったのかね。」
じゃれ合う二人を見ながら、日輪は考えずにはいられなかった。
違う未来を