「あれ、まだやってるの、。」
神威はがしがしと東の髪の毛をタオルで拭きながら、自室の方から執務室へと入ってきて言う。
団長の部屋は現在、の執務室とかしている。団長である神威が書類仕事をしないため、執務室が必要ない。要するに会計兼参謀役の部屋となっていて、そこのソファーに大抵神威が転がっている。
元が団長の部屋であるため、部屋にある二つある扉の内一つは廊下につながっているが、もう一つは私室へとつながっている。そこはいくつかの部屋からなるそこそこ広い空間で、部屋が2室、キッチンとリビング、風呂がある。
そこに、との息子の東、そして神威が住んでいる。
まだ東が2歳と幼いため、目は離せない。書類仕事はせず任務以外は暇な神威が大抵執務室で東の面倒を見ていることが多く、と神威のどちらもが外に出る時はが作った攻撃型金魚:ぽち君とともに留守番か、阿伏兎か云業とともにどちらにしても留守番だ。強面の割に彼らは頼りになる。
そのため生活感が出るのは仕方がないのだが、それでも風呂に入ったばかりで二人そろって執務室の方へと出てくるのはどうなのだろうか。
というか、としては子供をあまり団員たちと関わらせるのは危険があると思うのだが、神威は自分がいる時なら団員の前にも連れ出す。
『子供はね、人のいるところで育たなきゃ駄目だよ』
それが神威の意見だ。ほとんど神威に面倒を見てもらっている手前、も危険がない限り神威の方針に従っている。ただ、実際に神威はよくあずまを見てくれていて、トラブルが起こったことはなかった。
「あれ、先に風呂入るん、ですか?」
が眉を寄せていると、たまたまいた夜兎の龍山は少し驚いたような顔で神威に尋ねる。
「うん。アズマ一緒の時はね。子供は早寝早起きが一番だよ」
「団長は健康的、子供みたい。」
龍山の言葉に神威の顔色が変わり、龍山の顔の横をなにかが通り抜けていく。が後ろを振り向いてみると、それはローテーブルの上に置いてあった、ボールペンだった。へしゃげてころりと落ちている。
「ええええええ!なんで!?」
「…龍山、貴方一言多いって言われたことない?」
は思わず尋ねてしまった。彼は悪い奴というわけではないのだが、一言多い。しかもあまり上下関係のあるところで育ったことがないらしく、これ以上ないほどに言葉の選択がまずかった。
「ひとまず、もう遅いし、帰って良いよ。」
「え、でもここまで終わってない。」
「それの答えは明日教えてあげるから、ついでにこれも明日までにやっておいで。」
は何枚かの紙を龍山に渡す。彼は心底嫌そうな顔をしていたが、口をへの字にして「わかった」と答え、部屋を出て行った。
「あいつ、副官にしたの?」
神威は東の髪を拭きながら、に尋ねる。
「うん。」
「あいつ馬鹿だろ?」
「でもやる気があるから良いよ。」
文字の読み書きにかんしても必死で勉強はしているのでが副官のひとりとして雇い入れたのだ。の副官は基本的に文字が読めること、計算などの能力があること前提で、普通の団員よりも少しだけ給料が高い。
別に最初から出来ることは求めていないが、勉強を常にする必要があるため、学がなく、文字すら読めないことの多い団員の中でやりたがる天人は少ない。やる気がないのに給料目当ての奴も来るため、本人たちにあった試験方式を用いている。
ちなみに文字の全く読めなかった龍山に対してが課した試験は、アルファベットを1日で全て覚えてください、だった。徹夜でやってきたので、は彼を副官として採用したのだ。
「最近はxの計算も出来るようになってきたよ。普通の書類なら作れるようになったし。」
は今日の分の書類を片付けて、一つのびをする。
時計を見ればもう7時過ぎ。肉体労働を基本としている第七師団では、もうとっくに皆が仕事を終えている時間だ。というか、基本的に任務のない時宇宙船で暇をつぶすのが団員の仕事なのだが。そのため、とろうと思えば勉強の時間はいくらでもとれる。ただ、誰もしない。
「おいで、部屋に戻ろう。」
「あーい。」
神威が言うと、東は頷いて隣の部屋の扉を開く。
隣には生活空間があるので、も促されるまま執務室の電気を切り、リビングへと促されるままに神威や東に続いて入った。神威はソファーに腰を下ろすと、テレビをつける。隣に東もすぐに座った。は昼に作り置いておいたカレーに火をつけて、温める。
「俺、あいつ嫌いだよ。」
神威はテレビに視線を向けたまま、唐突に言った。
「あいつ?」
「龍山。」
さっきの話を続けるつもりらしい。は顔を上げて、神威を見る。だがタオルの隙間からアホ毛が揺れているだけで、表情はテレビを見ているため、からは見えない。
「龍山はそこそこ強いでしょ?阿伏兎も認めてるし、まあ、口調がむかつくのはわかるけど。」
まだ神威とに敵うほどではないが、見所はある。それは阿伏兎も認めるところであるため、の独断偏見ではない。は仕事に私情は持ち込まない主義だ。実力、将来性のある奴だけを飼っている。それは副官である赤鬼、青鬼が荼吉尼であることからもわかることだ。
「まぁね。でも二つ、嫌なところがある。」
神威は自分の髪をタオルで拭きながら、ふっと小さく息を吐く。
「ふたつもあるの?」
「うん。一つは、が彼を通して誰かを見てること。」
「…」
「否定しないんだ。」
は言葉がなかった。自分でも自覚していたから、否定できるだけの要素がない。
「だから、阿伏兎に聞いたんだろ?」
神威が振り返って、手招きをしてくる。は火を止めて、彼に歩み寄り、その手を取った。温かい手、自分を見透かしてくる青い瞳が、たまに、少しだけ怖い。
いつものなら自分の判断を阿伏兎に尋ねるなんてまねしない。副官を雇うのはであって、阿伏兎ではないからだ。他者の意見を求めた時点で、は自分自身で私情を持ち込んでいないか、判断がつかなくなっていた。
神威の手は、そのままを隣に座るように促す。子供向けのテレビの音が、酷くうるさい。は大人しく神威の隣に腰を下ろした。彼の顔を見れば、相変わらず視線はテレビのままだ。向けられない視線がを責めているような気がして、繋がれた手は温かいのに、少し不安になる。
「…少しだけ、似てるんだ。同い年の幼馴染みに。」
は懺悔するように、素直に答えた。
あの負けん気の強さに、一番自分に近かった腐れ縁の少年を思い出す。彼がの思い出の中でずっと少年なのは、彼が既に死んでしまっているからだ。まっすぐで、負けん気が強くて、だからにもくってかかってくる。
彼はの過ちの象徴でもあった。
「おまえがそんな神妙な顔をするほど、気にしてるわけでもないよ。」
神威はいつもの軽い調子で言って、の頭を繋いでいない方の手で撫でると、その頭の上に顎を置いた。
「それに、」
そこで、神威は言葉を切る。
が私情を挟んだなんて、自分を責める必要はない。それはきっと神威も同じだからだ。龍山は強くなるんだろう。でも、過去の遺物が今とつながって、いつかを連れて行ってしまうのではないかと、神威は心のどこかで思って、龍山を殺したいと思っている。
強くなる可能性のある奴は、強くなるまで殺さない、なんて矜持、破ってしまいそうなくらいには、殺意を抱いている。しかも私的な理由でだ。
「むい、あずまも。」
突然、神威の後ろから東が腰に抱きついてくる。どうやら二人が抱き合っているので、自分もじゃれたいと思ったらしい。
「なに、おまえも混ざりたいの?」
「うん。あずまも!」
大声で主張するので、神威はから体を離し、東を自分の膝に抱き上げると、ついでにもまとめて抱きしめる。
「わっ、」
「わー!」
が驚き、東が嬉しそうに歓声を上げるのを聞きながら、神威は深く考えても仕方がないので、彼女がこの腕の中にいるなら、なんでも良いかと思った。
私情