0時きっかりに鳴った携帯

 神威は携帯のバイブの音に目を覚ました。

 隣を見ればがうつぶせになって、だらしない顔で爆睡している。布団が膨らんでいるのは息子の東が丸まって布団の中に潜り込んでいるからだろう。苦しくないだろうかと寝ぼけた頭でくだらないことを考えて、携帯電話の方へ目を向ける。

 まだ0時だが、今日は夕食をとるのが早かったし、幼い子供のいる神威一家の就寝は驚くほどに早い。ついでに一度寝入ってしまうとは神威の傍では安心しきっているのか、一切起きないので、携帯電話の音にも気づいた風はなかった。

 どうやらのスマートフォンが鳴っているらしい。神威が手に取ってパスワードを入れ、かけてきている相手が誰なのかを確認する。は自分のことに関して細かくないので、神威が自分の携帯電話を見ることを嫌がらない。そのためたまに神威はの携帯電話を勝手に使うことがあった。

 かけてきている相手を確認してみると、「中年ハイエナ」とディスプレイにでていた。




「…」




 あまりの名付け方に神威の眠気は一瞬にして吹っ飛んだ。

 こんな時間にに電話をかけてくるのは、阿伏兎くらいだろう。いつも阿伏兎の長髪を汚らしいだの何だのと言っているから、ハイエナのイメージだったのかも知れない。本人に聞かなければわからないことだ。阿伏兎はなにか困りごとがあってかけてきたのだろうと神威でもわかったが、衝撃的な名前で登録されていることの方に意識がいってしまった。

 何故彼女がその名前をつけたのか問い詰めたいところだ。隣ではが眠っている。神威が彼女の携帯のバイブ音で起きたというのに、彼女自身は少しも起きる気配がない。癖の強い長い銀色の髪が枕の上に広がっていて、規則的な寝息に全く乱れはなかった。

 そういえば見たことがなかったな、と思って神威は携帯着信履歴を見る。副官である赤鬼、青鬼は登録名もそのままだ。あまり神威はに電話をしないわけだが、自分らしき登録名を探す。下の方に「暴君虎公」とあって、思わず手に力が入って画面に割れ目が入った。



「むい?」




 神威がごそごそしていたせいか、布団の中から東が目をこすりながら這い出てくる。



「…いや、を叩き起こしたいなって思ってたんだ。」



 神威は素直な気持ちを口にしたが、まだ眠たい東はいまいち言葉を理解していないらしく、不思議そうに首を傾げる。



「良いよ。明日じっくり話を聞かせてもらうから。」

「?…むい、おしっこ。」

「はいはい。」




 子供には難しい話はどうでも良かったらしい。小さな手を伸ばしてくる子供を抱える。もうその時には、神威の頭の中に、阿伏兎からの電話なんて言うのは欠片もなくなっていた。






夜1時の恐怖体験


 時計を見れば夜中の1時過ぎだった。

 神威は0時にあった阿伏兎の電話なんてすっかり忘れていて、目が冴えてしまって眠れないと言うことだけが頭を支配していた。ただ退屈はしない。神威がトイレに連れて行った後も、何故か東がなかなか寝付かなかったのだ。



「これはなに?」

「うさぎ」



 神威はベッドの横にあるランプをつけて、図鑑を眺めていた。

 まだ流石に東は文字が読めない。だが、最近は随分と言葉を覚えており、図鑑を見せればある程度の動物などは覚えるようになっているし、一度神威が教えると忘れない。賢いの子供だけあって、随分と言葉の発達も早いのだろう。

 があまり構わないこともあり、神威は東につきっきりだ。生憎神威に学はないが、体力と学力という点ではまだまだ教えてやれることがある。それにいつも一緒にいる神威に、東も懐いていた。



「まみ、おやすみ。」



 東はその漆黒の瞳をに向ける。



「本当にね。ちっとも起きない。」



 はというと、神威と東が隣で話していても、ベッドランプをつけても、全く起きない。寝返りを打つこともなく、幸せそうに眠っている。

 神威が任務などでいないと全く眠っていないという彼女だが、神威の隣では熟睡型で、物音どころか、喧嘩で中枢システムが壊れ、船が止まったとしても、起きないだろう。信用されているのを喜んで良いのかも知れないが、こちらが眠れない時に爆睡されるのはむかつく。



「落書きとかしてやろうか。」




 神威がそう思った時、神威の足の間で座っている東が別の方向を見ているのに気づいた。



「どうした?」

「なんか、へん。おと、ゆっくり。」



 東が見ているのは廊下でもない、明後日の方向だ。何があるのだろうと考えてみると、ポートとか、中枢システム室がある方だとか、ただそれが何を示しているのか、わからない。耳を澄ませてみても、神威にはからから回る換気扇の音くらいしかわからなかった。



「なんのおと?」

「んー、ぶぅーんって。」



 表現の仕方がよくわからない。ただ子供なりになにかが違うと感じているらしい。神威が首を傾げていると、廊下を走り回る音が聞こえてきた。何だろうと首を傾げていると、何人かが起きているのか、外がざわついている。




「…なんだろうね。」




 神威は首を傾げて、東を見下ろす。漆黒の丸い瞳の東は、不思議そうにじっと部屋の斜め下あたりを見ていた。













2時になってもまだ終わらない




 2時を過ぎると、東の言っていた変な音の意味がわかった。




「動力庫が停止したぁ?」



 神威は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。息子の東はというと、団員たちが騒ぎ出したためやっぱり眠れないのか、寝間着姿の神威の足下にひしっと掴まって報告をしている赤鬼を見上げている。




「そうなんですよ。姉御はいますか?」

「爆睡してるよ。俺がいる時は、朝まで起きない。」




 は宇宙船の中枢システムの修理などにも長けているが、生憎現在爆睡中だ。神威と東が夜中の12時くらいから起きていたというのに、彼女は全くといって良いほど起きず、実際に寝室を出ても気づかずに今も爆睡中だ。

 神威がいると安心するのか、基本的には朝までぐっすりだ。叩いても揺すっても、殺されても気づかないだろう。



「何でそうなったの?」

「…副団長が…」

「阿伏兎がなに?」

「団長には言うなって…」




 巨大な体躯の赤鬼は、しょんぼりとうなだれる。だが彼は荼吉尼なので、見た目も鬼らしく醜悪で、いかつい。しょんぼりうなだれても全然気の毒には見えないのだが、どうやら阿伏兎から口止めをされているらしい。

 団長には言うなで、を呼んでこいと言うのが作為的だ。そういえば0時くらいにの携帯電話に連絡を入れていたのも阿伏兎だったなぁなんて、今更思い出した。



「どっちにしろ、どうしようもないんだろ?」



 もう停止してしまっていると言うことは、何らかのトラブルで電源が切れてしまっているのだ。曰く、再起動が出来ない場合は交換になるらしいし、基本的なことは技師たちがやっているはず。ということは、神威たちに出来ることはない。



「…不時着、するしかないっすね。」



 赤鬼が人差し指同士をくっつけたり、離したりしながら言う。

 重力に引き寄せられて、どこかの星に不時着することになりそうだ。そこで修理を待つというのが妥当だろう。それを覚悟しているから団員たちもばたばたして、そのための用意をしているのだ。廊下はパジャマ姿のままの団員が行き来していた。

 実際神威も寝間着の上に、が縫った綿入りの半纏を羽織っただけだ。



「むい、」



 どうするの?とでも尋ねるように、足下にいる東が神威の服を引っ張る。大人たちが騒がしいため不安なのかも知れない。2時はとっくに過ぎているというのに、ちっとも眠たくなさそうだ。



「眠気覚ましに、阿伏兎に会いに行こうか。」



 神威は自分の傘を手に取り、片手で東を抱き上げる。外に出られるとわかった東は、楽しそうに歓声を上げた。