午前3時の悪夢





 宇宙船が止まった原因は二つ。ただし、どちらも阿伏兎のせいだった。



「馬鹿じゃないの。」



 神威は一言でそう言い捨てて、中枢機関室にある全ての画面が真っ赤になっているのを眺める。



「きゃーいっ!」

「ちょっとやめて!ぼっちゃんやめて!!いたたたたた!!動くな!!」



 神威がぼこぼこにした上、簀巻きにされて天井からつるされている阿伏兎の上にのって、東は楽しそうに歓声を上げている。

 床にぽたぽた血が落ちているが、そんなこと気にしない。一応安全面を考慮して抱っこひもを、阿伏兎をつるしているロープにくくりつけてあるため、反動をつけてぶらぶらしても、痛いのは阿伏兎だけで、東は落ちない。



「良いんすか、団長。」



 赤鬼と青鬼は哀れむように目尻を下げるが、同情なんてしない。



「しばらく放って置きなよ。阿伏兎のせいなんだから。」



 そもそもこんな事態になったのは阿伏兎のせいだ。何らかのトラブルで中枢機関室が止まったらしい。たまにあることで、電力停止かなにかなので、単純に動力庫に行き、緊急自家発電装置のスイッチを押せば良かったのに、焦った阿伏兎が力を入れすぎ、発電装置を破壊した上、動力庫まで壊してしまったのだ。

 当然、動力を失った宇宙船は機能を停止してどこかに不時着するしかなくなった。全ては阿伏兎のせいである。



「むい!」



 見て!とでも言うように手を振ってくる東は完全に目が冴えているらしい。その下で苦しんでいる阿伏兎などお構いなしで、楽しそうにブランコをこぐ要領で体を揺らしている。阿伏兎が叫ぼうが悲鳴を上げようが、気にしていない。

 別に人殺しまで見せたことはないが、の執務室で阿伏兎を暴行するのはいつものことなので、慣れてしまっているのだろう。の副官が荼吉尼である赤鬼と青鬼であるため、屈強だろうが、顔が鬼で怖かろうが、東は怯まない。

 そういう点では将来楽しみだ。



「ぼっちゃん、テンション高いッスね」



 赤鬼が少し驚いたように神威に言う。



「そうなんだよ。12時くらいに阿伏兎が電話してきたときに起きちゃってネ。」




 皆が騒ぎ出すから神経が高ぶっているのだろう。

 昨日は昼寝も随分していたから、眠りが元元浅かったのかも知れない。だが阿伏兎が12時なんて時間に電話してきたから起きたのだ。それを考えれば全部阿伏兎のせいで、やっぱり神威にぼこぼこにされ、つるし上げられ、ブランコにされるだけの罪はあると神威は息を吐いた。











深夜4時の帰宅




 一応どこに不時着するかがわかって、無事神威と東が部屋に戻ったのはもう朝の4時を回ってからだった。




「まったく、」




 神威は東をベッドの上に横たえる。

 夜中の12時から起きていた東だが、流石に阿伏兎をブランコにして遊んでいたため、疲れたらしい。最近は昼寝も減っていたが、それでも夜中中起きていられるほどの体力はないと言うことだろう。うとうとして、神威の腕にしがみついている。



「流石に眠いね。」

「うん。」



 神威が言うと、東は小さく頷いた。

 はというと、相変わらず数時間前と一ミリも変わらぬ体勢で、うつぶせに眠っている。なんだか白銀の天然パーマのうねり具合が酷くなったような気がするが、暢気なもので一切起きる気配がない。動力庫が止まって不時着するというのに、爆睡だ。



「むい、」




 東の小さな手が神威の服を掴んで、抱きついてくる。幼い頃、妹を抱きしめて眠ったのを思い出して、神威は目を細めた。

 東は神威の息子ではない。が夫と作った、の子供だ。

 相手が誰なのか、気にならないわけではないけれど、だからといって、東を憎む気持ちは神威にはない。それはきっと、が東の父親を想っているわけではないし、もうとっくに別れていて、東を育てたのはほとんど神威だからだ。

 東の本当の父親は、東の存在すらも知らないのだという。

 最初、神威が東に優しくしていたのは、本能的に、は子供のために生きているから、東が死んでしまえば、彼女も死ぬんじゃないかなと思ったからだ。でも今は、それなりに可愛いと思っているし、期待もしている。



「おまえは強い子だもんね。」




 ぽんぽんと神威は軽く東の背中を叩く。

 東は年齢の割に賢い子供だった。既にその片鱗は出ており、神威の妹などよりもずっと周囲を把握するのが早いし、言葉も早い。要するに成長自体が比較的早いのだ。

 それでなくとも、白い悪魔とまで呼ばれ、生命工学などといった学術の分野で優れているの子供だ。腕力という点では男である東の方が勝るようになるだろうし、頭脳という点でもよりすぐれたものになることを神威は期待している。

 そう、自分より強くなる可能性があるから、育てているのだ。この強い将来性を感じる、幼子を。

 ゆらゆら揺れる、大きな漆黒の瞳は瞼で隠れてしまいそうで、ゆらゆら揺れている。神威はそれを眺めながら、そっと彼の小さな額に口づけた。



「いっぱいおやすみ、」



 そして強くおなり、と。

 誰よりも強固で、誰よりも恐ろしい揺り籠の中で、小さな大樹の芽は、優しい夢を見ながら、着実に育っている。












まだ朝の5時なのに!









 轟音を上げて宇宙船が着陸したのは、5時過ぎだった。





「…なに?」





 は眠い頭ながら、神威が一番窓から遠いところに寝ていることを確認してから、体を起こしてがっと窓のカーテンを開ける。

 そこに見えたのは眩しいほどの光だ。いつもは神威が太陽を苦手としているため遮光性のカーテンで仕切った上で、雨戸のようなものを下ろすのだが、今日は一日宇宙の予定だったため、雨戸を閉めてはいなかった。

 そう、今日一日宇宙で眩しい光など見る予定がなかったのだ。




「不時着?」




 はすぐにそう判断し、ベッドから下りた。

 三人は優に眠れるベッドでは、神威との息子の東が気持ちよさそうに眠っている。それを眺めながら、は自分のスマートフォンを手に取った。使うのには遜色がなさそうだが、何故か画面が割れていた。



「…東か神威が落としたのかな。」



 いつもは近くに携帯電話を置くようにしている。もしかすると寝ぼけ眼に神威か東がベッドから落としてしまったのかも知れない。目くじらを立てるようなことではないし、保証には入っているので、は別段気にしなかった。

 スマートフォンで中枢システムにアクセスをするが、どうやら12時くらいから動力庫が動いていないようだった。そのため中枢システムにアクセスできない。

 阿伏兎からの着信が怒濤の如く入っていたが、爆睡していたは気づかなかったようだ。




「本当に。」



 が兄や夫から離れ、一人で東を生み、育てた頃、眠りが浅く、僅かな物音でも起きるようになっていた。だが神威と一緒に生活するようになってから、神威の傍だと、は全く起きない。よく考えれば幼い頃から熟睡型で、何をしても起きないと、兄や夫はよくぼやいていた。

 要するに、神威を信頼しているのだろう。無意識のうちに。




「呼びに来るまで待とうかな。」




 は小さく呟いて、鬱陶しいほどに跳ねている自分の銀色の髪をかきあげる。天然パーマの癖毛、しかも長いため、朝は跳ねまくっているし、雨の日は酷い。宇宙に来てからも重力がないので跳ね放題だ。

 鬱陶しいので短くしたいところだが、短くすると束ねることも出来ず、ますます悲惨なことになるのでやめている。

 が自分の髪の毛に櫛を通していると、スマートフォンが鳴った。どうやら赤鬼からのようだった。