隣の寝顔に物思う6時



 時計を確認すればまだ6時前、神威や幼い息子が起きるような時間ではない。

 短めの黒い髪の東の頭を優しく撫でてから、まっすぐな髪をほどいている神威を見やる。ふたりに血のつながりはないが、二人で眠っている姿を見ると、親子だと言うより、年の離れた兄弟のようで、なんだか可愛いと思ってしまう。

 この寝顔を見てる時、は疑いもなく胸一杯の幸せを感じる。

 自分を守ってくれていた兄たちも、こんな温かい気持ちになれていたのだろうか。兄や夫に、がしてやれたことはほとんどなく、守ってもらうばかりだったけれど、今ならその気持ちが少しだけわかる。守るものが、どれほど自分に力を与えてくれるのかも。



「本当に、神威のおかげだね。」



 神威があの流れ者の町でを拾ってくれなければ、こうして宇宙にやってくることも、出来なかっただろうし、こうして穏やかに二人の顔を眺める時間もなかったはずだ。

 神威はが忙しい間、驚くほどよく東の面倒も見てくれる。



「…」



 兄たちのように、自分を守るために傷ついて欲しくないから、頼らないでおこうと思っていた。

 でもいつの間にか東は神威に懐いてしまっていて、もともと子供とのつきあい方などわからなかったは、神威に子供のことに関して全面的に乗っかることになってしまった。いつの間にかの肩にのしかかっていたものを、神威が半分背負ってくれている。

 まだ10代半ば、幼げな顔立ちの神威は、より肉体的にではなく、きっとより精神的にずっと強い。



「強さ、か。」



 神威が追い求める強さがなんなのか、にはよくわからない。彼はにその強さの一部があると言うけれど、それもやっぱりわからない。

 ただわかるのは、自身が彼を大切に思っていると言うことだ。

 神威が面倒を見てくれるだろうから、東を置いていっても大丈夫だろう。廊下が騒がしくなっているのを気にしながら着替えていたは、神威の体を揺さぶる。



「…んー?」




 酷く不機嫌そうに、神威がうっすらと青色の瞳を開く。




「船が不時着したっぽいから、少し出てくるね。」

「うーん…」




 眠たいらしく、あまり聞いていなさそうだ。は苦笑しながら、そっと神威の髪を撫でる。

 それほど意識したことはないが、こういう時だけ、神威もしっかりしていそうに見えて、やっぱり年下だなと感じる。



「いってきます、」



 彼の耳元に唇を寄せて、優しく言う。すると突然後頭部に手が回って強く引き寄せられ、唇に温かいものが触れた。



「…いって、らっしゃい、」




 そのまま、手は力を失って離れる。は眠ってしまった男を見下ろして、小さく笑ってしまった。






7時、本日の決意と抱負


 が中枢機関室に行くと、何故か上から簀巻きにされた阿伏兎がつるされていた。



「なにこれ。」

「さぁ、なんだこれ、」



 呼び出されたのだろう。夜兎で副官の龍山も黄銅色の瞳を細め、首を傾げている。

 よく簀巻きの中を見てみると、どうやら阿伏兎は満身創痍のようで、彼のつるされている下の床には血が落ちていた。とはいえ既に乾いているので、現在進行形で出血しているわけではなさそうだ。それだけ確認して、は椅子に座って画面に向き直った。

 電源が落ちているのか、画面には何も映っていない。



「動力庫、壊れてるんです。」




 夜兎の団員が酷く困ったような顔で言った。



「うーん。動力庫が壊れてるなら、もう無理かな。」



 は冷静に判断して、急いで自分の端末で修理屋に連絡した。

 動力庫の具合がどのくらいかはわからないが、どうやら予備電源も破壊されているらしいし、電源が入らない限り、は基礎工学は苦手なのでどうしようもなさそうだった。要するに、修理屋を待つことになる。



「もう少しみんなが起きてから、探検にでも行こうか。随分外は明るそうだったけど。」



 どうせ数日はここに滞在することになるだろう。食料の備蓄を調べて、あたりの探索に向かうというのが一番有意義な過ごし方だろう。




「姉御、でもこれじゃあ春雨の母艦に戻るのは遅くなるんじゃ。提督と会えなくなりますよ!」



 団員は心配そうにに言う。

 次の中継地に行った後、第七師団の母艦はそのまま春雨本体の母艦に戻り、提督に謁見する予定だったのだ。修理などしていては、間違いなく数日は必ず遅れることになる。馬鹿な提督が細かい作法などにうるさいことは、よく知られていることだ。

 夜兎とは言え、権力には勝てないからこそ、絶滅危惧種などを言われている。科学や工学の発達とともに、単純な肉体的な強さだけを持っている夜兎は、徐々に追いやられた。力を持っているが故に、時代に迎合できなかったのだ。



「仕方ないよ。ま、そこをなんとかするのが、わたしの腕の見せ所だよ。龍山、悪いんだけど、小型船で春雨の母艦行ってくれる?」

「えー、俺ぇ?」



 龍山は心底嫌そうな顔をするが、はごつい中枢機関室の椅子をくるりと回して、龍山の服を引っ張って2,3耳打ちをした。



「ええええええ!俺がやんの!?それ。」

「うん。別に難しくないでしょう?まず医務室行ってきて。」



 がにっこりと笑って言うと、彼はため息をついて医務室へと行った。それを確認してから、簀巻きにされて天井からつるされている阿伏兎を振り返って、少し考える。



「姉御、やばいことになるんじゃないっすか…?」




 屈強な団員は情けなく眉をハの字にしてに尋ねる。



「そんなに心配そうな顔をしなくても大丈夫だって。特定感染症になったら、検査が終わるまで団員は誰も母艦には入れないんだよ。知ってた?」

「え?」




 団員たちが一斉に澄ましたの顔を見てから、彼女の視線の先にある男を見上げた。

 夜にむかついた神威がつるし上げ、絶対に下ろすなと言明した、簀巻きにされ、ロープでつるされている副団長。今の話と、なにか関係があるのか、団員たちにはよくわからない。



「おいおいおいおいおい、ちゃんよぉ、これ以上俺に何しろっての。」

「体張れって言ってるんだよ。」



 は行儀良く膝の上で手をそろえたまま、にっこりと微笑んだ。









8時、いつもと違う朝食


 屈強な、力だけしか取り柄のない夜兎の団員たちがを頼るのは、彼女が誰よりも賢く、誰よりもよたりになると知っているからだ。



「電源さえ入れてくれればどうにかするんだけど。」



 宇宙船が不時着し、その対応に追われて忙しかったため食事を自分で作れなかったは、珍しく食堂で食事をとっていた。

 彼女は基本的に食事を食堂でせず、自分の部屋か、執務室でとっていることが多い。そのため、朝食を食堂でとるなんて珍しいので、団員たちは不時着のこともあって気になり、の周りに席を取って耳をそばだてていた。

 彼女は技師たちと話し合い、修理屋と掛け合って値段の交渉もする。だいたいの夜兎は腕っ節だけで生きてきているため、学がない。交渉などもってのほかで、字も書けない団員もたくさんいる。 そんな夜兎を支えるのが、第七師団の参謀兼会計役のだ。 

 第七師団の団長・神威の女でもある彼女だが、その地位にいるのは神威の女だからではない。なにかと困った時、相談に乗ってくれる彼女のことを、団員たちは認めているし、頼りにもしている。

 しかも彼女、腕っ節もめっぽう強く、団員たちごときではほぼ歯が立たなかった。



「大丈夫何っすか…?」



 団員は電話を終えたに、不安げに尋ねる。いつも冷静な目を失わない彼女は、団員たちの心配も理解している。



「大丈夫大丈夫、そんな顔しないの。電源ぐらいはしばらくしたら入るだろうし、滞在も三日以内だよ。夜兎の人たちにはちょっと明るすぎる星みたいだから、申し訳ないけど。」

「傘持ってますから、大丈夫っすよ。」

「そうそ。ちょっとくらいの太陽なんて、日焼け止めクリームとかありますしね。」

「ただ、団長止めないと。あの人日焼け止めクリーム、嫌いっすからね。」



 団員たちは少しほっとした顔で軽口を叩く。

 今回は春雨の提督に会う予定もあったため、不時着に関して団員たちも思うところがあった。ただ彼女が大丈夫と言うなら大丈夫なのだろう。だいたい彼女が大丈夫だと言った時はうまくいくので、団員全員が彼女の言葉に安堵の息を吐いた。



「まあ、それは上手に止めるよ。」



 彼女があっさりと言うが、団長の神威を止められるのはこの第七師団でも副団長の阿伏兎と彼女しかいない。特に阿伏兎は時々失敗するが、が神威を止めるのを失敗することはほとんどないので、何かあると団員はに頼りきりだ。



「…それにしても、食堂のご飯まずいね。」



 はすすった汁ものの味を口の中で反芻し、眉を寄せた。




「いつもこんなんなんっすよ。」

「ま、腹一杯食べれるだけましなんっすけどね。」




 団員が答えると、は心底哀れむように目尻を下げて、団員たちを眺めた。

 そんな悲愴な顔をするようなことだろうかと団員は首を傾げる。元元酷い生活をしていることが多い団員たちにとって、が第七師団の参謀兼会計役になってから、第七師団でご飯を提供してくれるようになり、腹一杯食べられるというそれだけで満足だ。



「そういや、地球ってご飯美味しいんっすよね?」



 彼女は地球出身と聞いている。よく知らないが地球は食事が美味しいらしいから、気になって仕方がないのだろう。それに彼女は字も読めるし学もあるので、そこそこ育ち自体も良いのだろうと誰もがわかっていた。



「…うん。地球の犬の方が、良い餌食べてるかも。」



 食堂のメニューの改善目指そうかな、と彼女が真剣な表情で頭を傾けると、一つに束ねた長い癖毛がさらりと滑って、細い首元があらわになる。今日の着物が蘇芳色であるため、濃い赤と肌のコントラストが酷く映えて、興味がなくてもどきりとする。

 絶世の美女というわけではないし、地味に見えるかも知れないが、落ち着いた漆黒の瞳は大きく、肌も宇宙船に乗っているためか夜兎に負けないくらい白い。やっぱそういう目で見るなら可愛いな、なんて団員たちが思っていると、横から現れた団長の神威に吹っ飛ばされた。



「ねー、、こんなところで何してるわけ?」

「…なんか人が壁にめり込んだよ?暴力沙汰は、減らしてね。」



 は穏やかに、当たり前のように神威に注意する。

 それは暴力沙汰と言うよりは、嫉妬故の暴力だと団員たちは言いたかったが、団長が怖くて言えない。は神威の嫉妬に相変わらず気づかない。神威は威嚇も牽制もしているというのに、彼女がその意図に気づくことは基本的にない。

 腕っ節も強く、優しく、賢く、気軽に団員の相談にも乗ってくれて、いつも助けてくれる。頼りになる参謀兼会計役。

 そんな彼女の欠点は、その鈍いところだった。