楽しい一日が始まった9時
「食料探しの散策ネ。勝手にすれば良いんじゃない?」
神威は膝の上に東を乗せて尋ねたが、一口食堂の食事を口にしてから、ペッとそれをはき出した。
「まずい、何これ。雑巾絞ったの?」
「スープだそうだよ。」
はすました顔でそう言った。毎日の作った美味しいご飯を食べている彼の口に、食堂の料理人が作ったスープは合わなかったらしい。
「アズマ、食べちゃ駄目だよ。ぺっ。おいで、米のスイッチ入れてきたから、俺部屋で食べてくるよ。」
「いや、今からの散策の話は?」
「おまえが適当に決めておいてヨ。」
神威はあっさりとそう言って、息子の東を抱えて帰っていった。
神威としてはこんなまずいご飯を食べるくらいならば、白米をそのまま食べた方がましだと考えたのだろう。の部屋には自家発電機があるため、最低限の電気は確保されている。米は炊けるし、非常用の冷凍食品がいくつか冷蔵庫に眠っているから、一日分くらいそれで事足りるはずだ。
「じゃあ適当に3人くらいで班を組んで、10時から始めるから、迷子厳禁で死なない程度に食料探す?必ず4時までには戻ってきて。」
は食事をとっている団員たちに尋ねる。
「はいー!了解っす!!」
団員たちが元気に答え、何人かがスピーカー片手に『3人一組、10時開始!!迷子厳禁!4時帰宅!』と叫んで廊下を回っていく。何故人数が3人かというと、自分以外2人くらいしか、自分が組んだ人間を覚えていられないだろうなと、考えたからだ。
団員が死ねば書類の処理などが増えるので面倒なのだが、一列に並べないような馬鹿ばかりなので、恐るべき方法で死ぬことも、行方不明になることもある。そのあたりはも最近悟るようになった。
ただ一応、手はちゃんと打っておくことにしている。
「赤鬼、青鬼。入り口で、誰が3人一組かどうか、記録しといて。ついでに3人一組じゃない奴らは3人一組にしておいて。」
は自分の副官をちらりと見て、言う。
「はい。かしこまりました。」
団員たちの管理や円滑に動けるように統率をとることも、の仕事の一環だ。副官である赤鬼と青鬼は顔を見合わせて頷いて、容易のために部屋へと戻っていった。
は食があまり進まなかったが、周りを見回す。いつもはいる、もじゃもじゃ頭が見えないのに気づいて、近くにいた団員を捕まえる。
「そういや阿伏兎は?簀巻きにされてたけど、誰か下ろした?」
「…姉御、俺たちは下ろせないッスよ。」
ひげ面で、頭を弁髪にした団員は青い顔でに言う。後ろの団員たちも全力で首を横に振っていた。
「どうしたの?顔色悪いよ。」
は首を傾げて団員たちを見上げる。
阿伏兎が簀巻きにされているのは、動力庫を破壊したのが彼だからだろう。それは予想しているが、団員たちが何故そんな青い顔をしているのかわからない。団員たちは食堂を一通り見回してから、こそっとに耳打ちした。
「団長が、夜中につるしたんっすよ。」
「…夜中?神威が?誰か起こしに来たの?」
一緒の部屋で眠っているというのに、夜中に神威が外に出て、阿伏兎を簀巻きにしたことなどは気づかなかった。自分の図太さに少し目眩がする。
「はい。実は夜中に姉御呼びにいったんっすよ。そしたら、出てきたのが団長で、もう墜落するなら、墜落してから言ってって。」
「そりゃご愁傷様だったね。お疲れ。」
は適当に団員たちを労る。
神威としては夜中に起こされて心地良くなかっただろうし、機嫌も良くなかっただろう。対応させられた団員たちには気の毒以外の言葉が出ない。
「で、団長が、副団長つるし上げて、帰りに下ろしたら、殺しちゃうぞ、って。」
団員たちは青い顔でに訴えた。
今回宇宙船の動力庫が停止した原因を製造したのは阿伏兎だ。神威はむかついて簀巻きにし、そのまま放って置いたのだろう。団長である神威の恐ろしさは誰もがよく知るところで、誰もが怖くて阿伏兎を下ろせないのだ。
も中枢機関室でつるされている阿伏兎を見ていたが、面倒なので放って置いた。
「仕方ないな、後でわたしが行ってくるわ。」
「良いんっすか?団長に怒られません?」
「うん。ま、どうにかなるでしょ。それに阿伏兎には特定感染症になってもらう予定だから。」
はにっこりと笑って団員たちに言う。
難しい言葉は基本的に聞き流しており、意味のわかっていない団員たちは、阿伏兎の苦しみがそこで終わると思ったようで、少し安心していたが、それは杞憂だとは心の中だけで呟いておいた。
全くいつも通りの10時
「あーぶとー。」
は少し声を張って、簀巻きになって中枢機関室の天井からつるされている阿伏兎に呼びかける。
「…返事がない、ただの屍のようだ。」
「屍じゃねぇ!!下ろせや!!」
阿伏兎から力強い答えが返ってきて、はげんなりした。
「なんだ。元気そうじゃない。死んだのかと。」
「元気じゃねぇに決まってんじゃねぇか!縁起わりぃこと言うんじゃねぇよこのスットコドッコイが!!」
「帰っていい?わたし。」
「待って、やめて、お願い、もういい加減俺を下ろして!!」
強気だったというのに、あっという間にこの弱気だ。団員たちが後ろを向いて見ない振りをしているのは、神威から阿伏兎を下ろすなと言われているからだろう。ただそんなことは聞いていないので関係ない。
「駄目だよ。下ろしちゃ駄目。」
ふと後ろを振り返ると、神威が中央機関室の入り口の壁にもたれていた。
「あれ?ご飯終わったの?」
「うん。アズマはお昼寝中。そんなことより、それ下ろしちゃ駄目。」
話をそらそうとしたことがバレたらしい。馬鹿な神威だが、本質を見抜く勘だけは持ち合わせているので厄介だ。馬鹿のくせに、話を本質からそらさない。やりにくい相手だが、今回はも譲る気がなかった。
「ふぅん。そ。」
はぴんっと左手の親指で刀の鍔を上げる。同時に神威が傘を持って壁を蹴った。
「直線的すぎるよ、神威。」
はその構えた体勢のまま、一ミリたりとも動かない。度胸も頭脳もあるのがだ。刀を抜いたを見て、神威はどう切りつけてくるのかとぞくぞくしたが、次の瞬間中枢機関室の上にあった大きな画面が神威に向けて振ってきた。
このままではも一緒に下敷きになると思ったが、彼女の立っている場所に落ちてくる部分には、丁度穴があった。
「おいいいいいいいいいいいいいい!!」
天井からつるされているため、爆風でぶらぶらしている阿伏兎が叫ぶ。
団員たちが呆然とする中、画面は神威に直撃したが、はたまたまあった画面と金具を繋いでいる場所の、隙間の空間にいるため、無事だ。
「だんちょおおおおおおおおおおおおお!?
団員は呆然と叫ぶ。はけろっとした顔をして、阿伏兎のロープを切ってから刀を鞘に収める。どさりとそのまま床に落ちた阿伏兎は無様な悲鳴を上げたが、助け起こそうとはしない。
「姉御、何してんのおおおお!?団長死んだぁあ!?」
団員たちがパニックになって口をわなわなさせ、大声でに叫んでいるが、はうるさいとでも言うように耳をふさぐ。だが、漆黒の瞳を丸く見開いて、飛んできた画面の破片を避けた。
「やってくれるじゃないか、。」
がしゃんっという音を立てて画面が割れ、神威が出てくる。
「だって、ここで阿伏兎が死んだら、責任を押しつける相手がいなくなるじゃない。」
「俺がここで死んだらどうしてくれるんだヨ」
「死なないように、画面の薄そうな所選んだでしょ。」
は機械工学もかじっているため、画面の構造がどうなっているか知っているし、医師免許も持っているので、夜兎の体がどの程度の強度を持つのかも承知している。だから、重傷にならない程度に薄く、あまり後ろに重量級の機械がない場所に神威が来る時を狙って、下敷きにしたのだ。
「まったく、はやってくれるよね。」
そう言いながらも、神威は何やら嬉しそうだ。ぱんぱんと自分の服についた埃を払ってから、神威はに向き直る。
「なんでそこまで阿伏兎を庇うの?いつも嫌ってるでしょ?」
「阿伏兎はここで特定感染症にかかってもらわないと困るんだから。」
「え?」
安易に助けてもらったと思った阿伏兎だったが、地獄への扉がぽっかりと空いているようだった。
嫌な予感でいっぱいの11時
「はぁ?発電装置のスイッチ押そうと思って焦って、発電装置壊して動力庫も一緒に破壊したぁ?」
「そうだよ。全部阿伏兎のせいなんだから、つるされて当然でしょ。」
「…否定できないな、それは。」
は神威から事情を聞いて、開いた口がふさがらなかった。
ただ想像できないこともない。夜兎は怪力だ。大人になれば制御もしているが、焦って力の加減を間違うなんてことはよくある話だった。トイレの扉が開かないことに焦った夜兎が鍵を外すのを忘れて壁ごと床から持ち上げてしまったとか、夜兎のうっかりはスケールがデカイ。
だからは第七師団の予算などを調整しつつ、戦艦に関しては保険に入っているが、このままでは保険会社に泣き疲れそうな勢いだ。
「悪かった、焦ったんだよ。」
阿伏兎は画面の壊れた中枢機関室で怪我をしているというのに床に正座させられ、立ったまま事情を説明している神威とを見上げる。
「いや、悪かったですめば、警察も保険もいらないから。」
は冷ややかにそう言って腕を組んだが、もうある程度どうするかは決めているのだろう。別段焦る様子もなく、ただ冷たい視線だけを阿伏兎に向けていた。
「それに提督と会う予定だったんでしょ?もう素直に話して阿伏兎のせいですっぽかしちゃったって、首持って行けばそれで良いじゃん。」
神威は恐ろしいことをさらりと言ってみせる。
確かに提督と会う予定が数日後にあった。この状態で修理などの日程を組んでいれば、春雨の母艦まで行くに間に合わない。言い訳は何らか考えねばならないし、普通に考えれば、阿伏兎が悪いのだから、阿伏兎の首を持って償うというのはある話だ。
ただ、これで殺されてしまえば阿伏兎はたまったものじゃない。
「そもそも中枢機関室の電源が落ちたのはなんでなんだよ!俺のせいじゃねぇじゃねぇか!!」
根本的に何故発電装置のスイッチを押しに行ったかというと、中枢機関室の電源が落ちたからだ。たまたま焦って発電装置と動力庫を壊してしまったことは阿伏兎にも非があるが、そもそもの始まりは中枢機関室の電源が勝手に落ちたのが悪いのだ。
阿伏兎はすべてが自分のせいというわけではないと主張するが、の静かな漆黒の瞳はまったく変わらない。それが酷く恐ろしくて、阿伏兎は心底焦っていた。
「……な、なぁ、おまえらだって見てたよな。勝手に電源勝手に落ちたの。」
阿伏兎は振り返って尋ねるが、団員たちはふたりの痴話喧嘩を見た後であるため、遠巻きだ。
団員たちが神威に逆らわないのは、夜兎であり、強い神威に逆らって、命の危険を冒したくないからだ。同時にに逆らわないのは、皆がなにかと書類整備や困ったことがある時に頼っているからというのと、神威を止めることが出来る唯一の存在だからだと、阿伏兎は思う。
この二人の会話に口を差し挟んで良いことなど、あるはずがない。要するに、誰もが阿伏兎を庇わない。孤独奮闘とはまさにこのことだ。
「面倒、だなぁ。」
は神威や阿伏兎の話を聞いて、心底そう思ったらしい。疎ましそうに静かにその瞳を細め、阿伏兎を映す。基本的に団員には優しい彼女は、常に阿伏兎に対しては絶対零度の冷たさで接してくる。
これは見捨てられるパターンかと阿伏兎は泣きそうになった。
「なぁ、前から聞きたかったんだけど、ちゃんよぉ、俺、おまえさんになんかしたっけ?」
「初対面で女狐とか言われたの初めてだったけど…」
女に対する言葉は尾を引くと言うが、まさにその通りである。あれからというもの、は避けられるすべての厄介ごとを阿伏兎に押しつけてくる。特に肉体労働に関してその傾向が強く、そりゃもう華麗なほどにだ。
神威も一緒になってそれをやるのだから、迷惑どころの話ではない。
「まあ、良いよ。神威の話を聞いてもわたしの最終結論は変わらない。」
「どうするの。提督に行くって言っちゃったよ?遅れるならそれなりの理由が必要なんじゃ、ないの?」
「うん。だから、阿伏兎は特定感染症にかかってもらう。」
「…だからなにそれ?」
神威はきょとんと青い瞳を丸くして、を見る。
「え?特定感染症って便利でね。一人かかると、第七師団全員、行かなくて良くなるからね。」
はにっこりと笑って、「労咳あたり、いってもらおうか。」と軽く言う。神威にはやはり彼女の言っている意味がわからなかったのか、首を傾げていたが、阿伏兎は意味がわかって真っ青になった。
その病名を知っている団員たちが阿伏兎に手をそろえ、合掌している。その合掌が読経に変わる日も、近いかも知れない。