12時の空腹






「すごい晴れてるねー。」




 流石にこの日差しは夜兎には厳しいだろうと、母艦の影に隠れている団員たちの様子を確認する。先に探索をしていた団員たちの話だと、幸い不時着した場所は砂漠だったが、近くにはオアシスも、少し行けばジャングルもあるらしい。

 食糧は確保できるし、水もある。当座の問題は電源がないため、せっかくの戦艦がただの塊になってしまい、電気もつかないので中が真っ暗。危ないと言うことだけだった。

 は子供がいるため、もしもの時のために自家発電装置を二つ持っている。当然戦艦の電力を賄うのは不可能だが、団員たちの食べ物の煮炊きくらいの電力にはなるだろう。夕方には修理屋が既に到着しており、早ければ夕方には電源が回復するはずだ。

 最低限それまで生きていられるならこの際なんでも良いことにする。

 としてはそんなことよりも、腕の痛みの方が問題だった。電源が止まっているため、真っ暗な船内に小さな息子をひとり置いていくわけにも行かず、東は珍しくの腕の中にいる。

 2歳になっているため、結構重たい。最近神威にばかり抱いてもらっていたから、この重さはなかなか辛い。しかも片手で端末を操作しているためなおさらだ。既に腕がびしびし悲鳴を上げていて、明日は筋肉痛、腱鞘炎予備軍になれそうだった。




「要するにその病気にかかってる人が一人でもいたら、みんなかかってないってことがわかるまで、春雨の母艦に行かなくても良いってこと?」




 神威は日陰に入っていても太陽の光が眩しいらしく、傘を差したまま尋ねる。



「そ。阿伏兎の首を持って行くよりは、楽でしょう?」




 は息子を抱えなおし、にっこりと笑って、自分の持っている端末に、その特定感染症の一覧をざっと出してくる。 



「さぁ、阿伏兎、この中から選んでおいてね。」

「簡単に言ってくれるけどよぉ、それって、危ないんじゃねぇのか?」

「危ないから特定感染症なんだよ。もうそういうことで、連絡もしちゃったから、ガンバ。」

「…」



 電気はないが、の携帯電話はまだ起動中だ。彼女は仕事という点ではこの上なく優秀だ。もしかすると既に阿伏兎に特定感染症の疑いがあるから遅れると、提督にすらも連絡しているかも知れない。どんどん逃げ道が奪われている気がして、阿伏兎は顔を顰めるしかなかった。

 そうこうしている間に、端末の画面に興味を持った東が、小さな手を伸ばしてタッチをする。



『ハンタウィルス:致死率50%以上』



 画面に映った恐ろしい病名が視界に入らないように、阿伏兎は必死で見なかったことにする。だが、幼い東は最近絵や文字が意味を示していると言うことを、うっすらと理解しだしているようで、わざわざぽんぽんと病原体の電子顕微鏡写真を、指で示した。



「これなあに?」

「病気だよ。びょーき。なった人がみんな死んじゃう病気だよ。」

「誰か宇宙服持ってきて!!俺のもろい心と体を病気から守れるくらいの!!」



 子供相手のため、言葉は簡単だが直球過ぎる。既に生き残れないことになってしまっている。阿伏兎が叫ぶが、参謀兼会計役のに逆らえばろくなことにはならないので、皆遠巻きだ。



「ふぅん。死んじゃうんだね。阿伏兎。頑張れ。」

「やめて!夜兎でも病気には勝てないから!!」




 神威の気のない応援も、阿伏兎には死刑宣告にしか聞こえない。




「そんなことより、お腹すいたね。」



 は阿伏兎のことなど心底どうでも良いのか、その静かな漆黒の瞳で、ジャングルの方を見つめる。

 もうそろそろ昼過ぎだ。修理屋との話し合いや後処理のことで、昼食のことを考えていなかった。自分たちもこの星で、何らかの形で調達せねばならない。東には先ほど小さなおにぎりを食べさせたので大丈夫だが、どうしようかと考える。

 修理に何日かかるかまだめどが立っていないので、食料の備蓄は残しておきたいところだ。



「ひとまず、あのジャングルに行ったら、なにかはあるでしょ。」




 神威は軽い調子で言う。



「変なもの食べちゃ駄目だよ。」



 は真剣な顔で言って、もう一度東を抱えなおした。腕が段々東の重たさに耐えきれなくなってきていて、しびれている。かといって落としても困るので、先ほどから何度も抱えなおしていた。



「虫多そうだし、おいで。虫除けスプレーしとこ。」



 ジャングルには虫が多い。その中には病原体を媒介するものもいるから、子供が出来てから、はそこそこそういったことにも気をつけている。は袖から出してきて、東に吹きかけた。ついでに神威と自分にもかけておく。



「これくさいヨ。」



 神威はぱたぱたと手で仰ぐ。くしゅんっと東も小さなくしゃみを漏らしたけれど、念のためだ。はもう一度東を抱えなおす。ジャングルに食料を探しに行くにしても、真っ暗な船の中に置いていくわけにはいかない。



「アズマ、俺と一緒においで。ママは腕が限界だって。非力だからネ。」



 神威は当たり前のように東に手を伸ばす。



「気づいてたの。」

「もちろん。面白いから放って置いたんだ。でも、流石に腱鞘炎でその腕が鈍っちゃ面白くない。」

「…じゃあ、お願いするよ。」




 は僅かに眉を寄せ、東を抱き渡す。東も慣れていて、すぐに神威に手を伸ばして首に掴まった。




「あはは、不満そうだ。」




 神威は笑って、ぽんぽんと東の背中を撫でる。はそれを確認し、軽く腕を回してしびれをとってから、阿伏兎を見る。



「備蓄食料、もらえると思わないでね。」



 自分で探しに行けよ、おまえのせいなんだから、と二重の音声が聞こえた気がした。日差しで耳までおかしくなったのだなと阿伏兎は結論づけて、「わかった」とうなだれた。








13時、本人の知らないところで

 あっさりと神威がイノシシ的な何かを捕まえたおかげで、食物の確保は終わった。




「楽しそうね。」





 は息子を眺めながら言う。

 まだ幼い2歳の息子は楽しくてたまらないのか、イノシシの毛皮を被って他の団員を追いかけていた。団員たちも全速力で走ると足取りの危うい東が転ばないように気をつけて走ってくれていた。

 多くの場合、団員は家族がいたとしても出稼ぎか、春雨の母艦の居住区に子供や妻を残してきている。そのため第七師団にいる子供は、東だけだ。最初はも、春雨の居住区内に住んでいた。

 は地球では指名手配犯だし、自分自身何があるかわからないから、ある程度お金が残る仕事を探していたは、神威が第七師団の団長になると同時に、参謀兼会計役として正式に春雨に雇われる身となった。神威とをあわせれば、危険な仕事なだけに現在の世帯収入は莫大だ。

 だから、東を手元から離してどこかで誰かに育ててもらうと言うことは、可能だったし、それを考えたこともある。第七師団で子供を育てることは危険も伴うので、神威とも話し合った。

 でも結局、神威の反対もあって、実父母を知らず、兄しかいなかったは、東を手元から離さないという決断をした。神威の母は病弱で、父親が出稼ぎだったらしく、東を手元から離すことに関しては、彼自身、思うところがあったらしい。

 寺子屋に入れる年頃になれば、寄宿舎を考えても良い。ただ、せめての顔をきちんと覚えて、愛情を与えてもらったと思い出せるような年頃までは、手元で育てたいと、は思っている。




「どうしたの?」




 神威は肉を片手に持ったまま、の隣に座る。

 イノシシの丸焼きはいつの間にか解体されていて、ほとんどが神威の腹の中に収まった。夜兎である彼の食欲は半端なく、イノシシ一匹ぐらい軽く平らげる。この分だと夕飯はまた一匹狩らなければ、足りないだろう。



「うぅん。楽しそうだなと思って。」

「アズマ?だいぶ走るようになってきたね。」



 書類仕事をしないため、最近東の面倒を見ているのはほとんど神威だ。そのため成長を一番に感じているのも神威だった。



「なんか、生きるのに必死だった頃は、こんな風にぼんやり見てることもなかったなと思って。」



 神威と出会うまで、は地球でひとり、幕府から逃げ回りながら、知識を売ったり、昔のつてを頼りながら生きていた。もちろん裏切ったりする人も多かったため、子供を抱えたはいつも気を張っていて、のんびり息子を眺める余裕なんて、なかった。

 最近はしつけや息子への対応の仕方に戸惑うこともあるが、生きることに必死だったため、神威がいない頃どうしていたのか、記憶にもない。



「あはは、強くなってもらわなくちゃ、俺が殺し甲斐があるくらいネ」



 神威は青色の瞳をうっそりと細める。その目にあるのは確かな愛情と、将来への限りない期待だ。そこには殺意も含まれているが、は笑った。



「神威に負けないよ。」

「本当?」



 神威は笑いながら、食べ終わった肉の骨を放り出し、に抱きつく。その勢いにはそのまま押し倒される。




「俺の子供と一緒に、殺しに来てくれないとネ。」




 神威はまだ見ぬ子供を愛おしむようにの腹にその手を当てる。




「そうね。」




 は彼の手の上に、自分の手を重ねた。

 いつか、その腹に彼の子供を宿し、彼のこの手に殺されるんだろう。例えそうだったとしても、はそれで良いと思っている。



「負けないから。」



 も神威に絶対負けたりしない。だから、きっと、子供たちもまた、神威に負けたりしないと、信じている。

 が笑うと、神威も唇の端をつり上げての唇に自分のそれを押しつけた。







14時、睡魔との闘い










 食料を確保し、修理が一段落ついて電源が回復した頃、既に東は遊び疲れて眠っている。ついでに神威も中枢機関室の椅子に座って、眠っている東を膝に乗せたままうとうとしていた。

 流石に夜中の12時過ぎから数時間起きていて、朝もそれほど遅くなかった。子供でなくても辛いものだ。



「電源は回復したけど、動力庫がまだだね。」




 修理の様子を確認して戻ってきたが中枢機関室に入ってくる。




「今日中に出発できるんっすか?」




 中年の団員が目尻を下げてに尋ねた。皆元々行く春雨の母艦に行き、提督に会う予定だったことを知っているため、不安なのだ。



「できないかもね。早くて明日かな。」



 電源が回復したところで、動力庫が動かなければ出発は出来ない。だが、電源が回復すればシャワーなど基本的な機能は使えるし、幸いこの星は水も食べ物も豊かだ。過ごすに何ら問題ないことを確認しているため、彼女は全く焦っていなかった。

 神威も彼女が焦っていないのがわかっているので、それほど心配はしていない。仮になにかまずいことがあったとしても、彼女なら何とかするだろう。本当にまずいのは、神威が出て行かなければならない事態になった時だけだ。

 中央機関室の一番大きな画面も、神威との痴話喧嘩で落ちてしまったため、今はによって小さな画面が取り付けられている。こちらは阿伏兎のせいではなく、完全に神威とのせいなのだが、保険に入っているらしいし、足りない分は彼女が支払うだろう。

 第七師団の団長である神威と、参謀兼会計役の。二人の報酬は目玉が飛び出るほどの値段だ。もちろん出費も多いが、そのあたり神威は何も知らない。すべてが管理していて、出費云々言われた時はに全て放り出す。

 神威にはよくわからないが、彼女はかなりうまくやりくりをしているようだ。神威は勝手に暴れているだけで良い。



「それに、阿伏兎が特定感染症になってくれるんだものね。」




 くるりとは振り返って、心底疎ましそうに後ろを見た。

 そこに立つのは黄銅色の髪の背の高い、古強者、阿伏兎のはずだったが、神威はじっとそれを見てから、目をこすった。




「あれ?阿伏兎の顔にいっぱいできものが出来てるように見える。なんか、黒くない?」

「安心して、神威の目は正常だよ。」




 の平坦な声が返ってくる。阿伏兎を改めて見ると、彼の顔には何故かぷちぷちと赤くふくれた虫刺されが出来ていた。しかも格好が酷くて、下半身は泥なのか何なのか、黒いものが張り付いている。



「ジャングルで刺されたんだよ…あとは沼にはまったんだ。」




 阿伏兎はむっとした顔で気怠そうに言って、ため息をつく。言われてみれば、何やら生臭いにおいがする。神威も何やら眠たくて機嫌が悪かったこともあり、そのにおいが花について酷く不快で、眉を寄せて思い切り傘を阿伏兎に投げつけてしまった。




「おいぃいいいい!殺す気かよ!!」

「変なにおいがする。こっちに来るなよ。アズマが起きるだろ。」




 神威の膝の上では疲れた東が眠っている。一度眠ると比較的爆睡型の東が起きるとは思えないが、においなどには敏感かも知れない。子供にかがせたいにおいではなかった。





「阿伏兎、部屋に帰ったほうが良いんじゃない?きっと厄日だよ。」





 はすました顔でそう言って、中央機関室の空いている席に座る。



「厄日を作り出してるのは、半分はおまえさんたちだと思うんだが。」




 阿伏兎は脱力したように深いため息をついた。




「そっか…特定感染症は嫌なんだね。」

「誰が良い奴がいんだよ!!おまえさんなりたいのか!」

「か弱い地球人には無理かな。」

「誰がか弱いんだよ!おまえさんの方が中身は明らかに強そうじゃねぇか!!」

「見た目通りか弱い地球人ですよ。やだな。」



 はさらりと言って、白くて細い手をひらひらさせてあっちに行けと示す。夜兎をちっとも恐れず、平気で刀で切りつけてくると言うのに、か弱いだなんてよく言えたなと神威も思ったが、眠たかったので大声で突っ込んでいる阿伏兎の声がうるさくて不快だった。




「じゃあ手っ取り早く、遅刻の言い訳に阿伏兎の首で良いんじゃない?」



 神威は膝の上の東を落ちないように抱えなおして、椅子に背中を預ける。



「阿伏兎、特定感染症は嫌らしいから、もうそれで良いかな。」



 も段々面倒くさくなってきたのか、あっさりと賛同した。



「じゃあ、そういうことで。」




 話を切って、神威は目を閉じた。ひとまず眠たいのだ。

 そんな神威を見て、は自分のフード付きの羽織を脱ぎ、完全に目を閉じてしまった神威と息子の上にかける。




「なあ、俺本当に…」

「その話は後ね。」




 阿伏兎の言葉を遮って、は漆黒の瞳をゆったりと細める。いつもは焦らない漆黒の瞳には、確かな愛情の色合いが浮かんでいる。

 ただ阿伏兎にとっては自分に与えられる罰が、消極的病による死刑が、積極的死刑に変わっただけだった。