寄り道していく18時







 この星は日が暮れるのが早いのか、5時を過ぎる頃には暗くなり、6時には二つの月だけが出るようになっていた。神威が近くに見えていた丘へ行こうと言いだしたのは、夕食が終わった頃だ。



「足下悪そうだから、気をつけなよ。」




 神威はそう言って、の手を引く。彼の背中には東が負われていた。ゆっくりと茂みをかき分けながら、丘へとのぼっていく。

 こうやって昔、兄や晋助、小太郎などとともに、蛍を見に行ったことがある。あの頃は松陽もいて、当たり前のように無邪気に、彼らの傍にいたいとそれだけを思っていた。不安は自分がこれから後も武術や学問が出来るか、そんなくだらないことばかり。多分幸せだった。

 は暗い中でも目立つ、白い神威の横顔を眺める。




「なに?」

「うぅん。なんでもない。もうすぐかな。」

「そうだね。」



 ゆっくりと茂みを昇っていくと、頂上を思しき開けた場所に出る。



「知的生物はあまりいないのね。」



 天人は住んでいないらしく、星にいるのは動物たちばかりだ。二つの月と星だけがこちらを見下ろしている。地上の光は宇宙船だけ。は目を細め、眼下に広がる光景を眺めた。



「むいー、あれ、なに?」



 ちかちか光るものを空に見つけ、神威のお下げを引っ張る。




「宇宙船、おふねだよ。」

「あれ。ちかちかない、」

「あれは星だよ。星はずっと光ってるからネ」

「んー、あれ、ほし?あれ、ふね。」




 東は小さな手で光を指さして笑った。どうやらもう宇宙船と船の見分け方を覚えたらしい。は隣に並んで、月とは違う小さな光を眺める。

 点滅は大きな宇宙船だ。

 攘夷戦争の頃、たくさんの点滅する光をは地上から眺め、それが自分たちを傷つけるものだと、苦々しい思いで睨み付け、落とすことだけを考えていた。天人の象徴であった宇宙船を落とすことによって、はいつの間にかたくさんの天人を殺していた。

 そのがあれほど嫌っていた宇宙船に乗り、一つの命を海だし、そのために生きているなんて、滑稽な話だ。




「なに暗い顔してるの。」




 神威がの手を引っ張って、顔をのぞき込んでくる。


「え、えっと。」



 神威の方を見ると、神威と東がじっとの方を見ていた。どうやらぼんやりしていたらしい。軽く頭を傾けると神威の片手がの頭を引き寄せ、自分の肩に押しつける。



「よしよし、」

「よちよち。」



 神威がの頭を撫でるので、そのまねをして東も小さな手での頭を撫でつけた。一つに束ねてある癖のある銀色の髪が重たく背中で揺れる。は神威の肩に頬を押しつけて、深呼吸をした。

 最後に松陽にあったあの日から、は泣くのをやめた。平気な振りをしても、傷がなくなる訳ではない。悲しみが、消えることもない。でも、ゆっくりと、確かに、温もりは、悲しみを乗り越える力をくれる。



「本当に、綺麗ね。」




 肩に頭を預けたまま、空を眺めると、「本当に見てるの?」と神威が笑うのが頭の上で聞こえる。



「うん。初めて綺麗だって思ったよ。」



 は顔を上げて、彼の大きな青色の瞳を見つめる。彼の瞳はいつも明るい空色だが、夜闇の中で陰った紫色に見えた。



「そう?」



 神威は戯れるように軽く口づけてくる。



「むいー」



 ぼくもとでも言うように、歓声を上げる息子の声を聞きながら、は恥ずかしくてまた神威の肩に頬を押しつけた。









「また明日」を交わす19時









 外で食事をし、挙げ句の果て酒盛りまでしていた団員たちも、流石にかがり火やたき火が消えるに伴って宇宙船の中に戻っていった。



「ぶとー!」




 東は阿伏兎を見つけた途端、すごい勢いで走りより、タックルをかます。




「うげっ、ちょっ」




 日頃ならびくともしない阿伏兎だが、神威にやられた怪我がまだふさがっていないらしく、そのまま廊下に倒れ込んでしまった。東の方は満足なのか、ぴょんぴょんと倒れた阿伏兎の上でジャンプをして傷を広げるに貢献している。



「本当に、神威のしつけが良いよね。」



 は思わずしみじみと言ってしまった。



「でしょ?」



 神威は得意げに笑う。

 ほとんど東のしつけをしているのは神威なわけだが、挨拶をきちんとし、団員に対して礼儀正しく、座っておけと言われれば静かに座っているし、二歳児にしてはあまり騒がない。そのため大人ばかりの第七師団でやっていくに問題はなかった。

 ただし、東の阿伏兎に対する暴挙は神威によって許されているし、元気な時であれば阿伏兎も夜兎なので、幼い子供である東とのじゃれつきくらい、何の問題もない。



「ぼっちゃんー、おじちゃん結構しんどいんだ、勘弁してくれや。」

「ぶと、かお?」




 阿伏兎が何とか東をどかせて身を起こすと、東は阿伏兎の顔を見て首を傾げた。




「あーこれなぁ。刺されたんだよ、」

「さ?」

「虫だよむし、」

「むし。」




 虫については図鑑などでたくさん見ているため、東も理解している。じぃっと東は阿伏兎の顔の虫刺されをまじまじと見てから、「ふぅん。」と突然興味を失ったように言って、神威の足下に戻った。



「もう良いの?」

「うん。びょうき。」



 東は神威の足下にぎゅっと掴まる。

 まだまだ言葉がつたないため、彼の言いたいことがよくわからないことは多々ある。神威とは顔を見合わせて首を傾げた。



「病気?」

「かー。」

「あぁ、図鑑の写真ね。」



 はなるほどと頷く。

 東の見ていた図鑑にはそういえば蚊の写真とともに刺された写真、それが媒介する病気の話しも載せられていた。まだ東が字を読むことは出来ないが、神威が説明して聞かせたのだろう。



「アズマは記憶力良いよ。最近では神経衰弱とかして遊んでる。」

「そうなんだ。」

「でぃーえす!」

「え?」




 突然東が主張した言葉に、神威は首を傾げる。



「ちょっ!坊ちゃんやめっ!」

「…阿伏兎」




 は眉をひそめて、彼の名前を呼ぶ。ただもうだいたいの事情はわかっていたので、は神威の方に視線を移した。

 神威の教育方針として、東にゲーム機は与えないことになっている。それは阿伏兎も承知しているはずだ。なのに、どうやら阿伏兎は東に強請られて、DSをやらせていたらしい。神威は基本的に子供に対する躾は一貫しており、同時に徹底してそれをにも求めている。



「阿伏兎、覚悟は出来てるよネ。」




 神威はにっこりと阿伏兎に向けて笑うと、足下にいた東を抱えての方へと抱き渡す。も東を抱きかかえて、自分の部屋に戻るべく踵を返した。



「むい?」

「後で戻るよー」




 神威は東に手を振る。不穏な空気に少し目尻を下げていた東も、手を振られると嬉しそうに手を振り返した。





20時のテレビから受けた衝撃







 神威が戻ってきた時、珍しくは東とソファーに並んでテレビを見ていた。



「ただいま。何見てるの?」

「ニュース。」



 珍しくがにっこりと笑って機嫌よさげにマグカップのお茶をすすっている。神威はマントを脱いでから、の隣に座って画面を眺めた。それは非合法な組織が流しているニュースで、宇宙海賊春雨のニュースも流れる。



『宇宙海賊春雨の母艦では、特定感染症であるハンタウィルスの羅漢者が発見され、第一区から第4区までの業務区域が閉鎖、春雨母艦への乗り入れは禁止されています。居住区には羅漢者は現在発見されております。』



 ニュースから流れる音声は無機質だったが、神威は目を見開いて隣のを見る。

 彼女は確か、副官の龍山を春雨の母艦に派遣していたはずだ。それを皆、今回阿伏兎が動力庫を破壊してしまい、提督とのアポイントに遅れることに対する言い訳のためだと思っていたが、どうやら違ったらしい。



「ハンタウィルスってネズミを媒介にするから、ネズミも放しておいたし、バレないと思うんだよね。」



 はいたずらの成功した子供のように得意げに笑う。

 要するに龍山にウィルスをまき散らしに行かせたらしい。ついでに何らかの形でハンタウィルスに羅漢下人間やネズミがいることを調べるように仕向けたのだろう。これで特定感染症を出した春雨の母艦への乗り入れは禁止され、しばらく母艦は隔離されることになる。

 当然行われる予定だった第七師団団長と、春雨の提督の会談は、中止である。



「阿伏兎が動力庫壊したせいで行けなくなったなって思ってたけど、これで本当に行けないネ。」



 会談は、春雨の母艦の特定感染症が原因で、提督側からキャンセルされたわけで、第七師団には何の落ち度もない。

 正直神威としても、が何とかするだろうとは思っていたが、特定感染症の話をしていたので、阿伏兎に羅漢させてそれを言い訳に会談を延期してもらうのかと思っていた。流石に、相手を特性感染症に羅漢させるという発想はなかった。



「まみ、あれ、」



 なに?とニュースの画面を指さして東が尋ねる。



「阿呆提督だよ。」

「あほ?」

「そ。あほー」



 機嫌の良いは軽やかに説明して、膝の上に座っている東を抱きしめた。東は歓声を上げて彼女の腰に抱きつく。その姿は息子とじゃれつく、少し若い普通の母親に過ぎない。彼女が発症すれば致死率50%のウィルスをまき散らした犯人だとは思えない。

 普通の男ならどん引きだが、自分の女は結構危ない奴だなと思いつつ、彼女が強い証拠でもあるので神威は大いに満足だった。



「そうだ。赤鬼と青鬼が今日、アズマを預かってくれるって。」

「え、あぁ、今日のこと、気にしてくれたのかな。」



 は東の頭を撫でながら、少し考えてから頷いた。

 今日の不時着と提督の元への遅刻という、二つの不慮の事態の処理がにのしかかっているし、疲れているだろうとの心遣いだ。赤鬼と青鬼は空気も読めるし、本当にのことを心配している。それは恋愛感情でなくまさに敬慕で、神威もそれをよく知っているため彼らの心配を快く思っていた。

 とはいえ、もうその二つの不慮の事態はの手によって終わっている。それでも東を預かってもらおうと思った理由は、一つだ。



「やろうよ、良いでしょ?」



 神威にデリカシーという言葉はあまりない。元々本能に忠実で、当然性欲に関しても直球に求める。ましてや相手が隣にいるのに我慢するとか、意味がわからないと思っている。ただまだ幼い東は神威やと一緒に眠っている。

 神威とて分別はあるので、するのは東がいない時だけだ。とはいえ、子供好きな云業やの副官たち、阿伏兎などの所に東はそこそこ遊びに行くので、そのまま泊まることもよくあった。



「たまってるんだよ。」

「たま?」

「アズマ、おまえにはまだ早い話だよ。大人になったら一緒に話そうネ。」



 神威は不思議そうな顔をしている東の頭をくしゃくしゃと撫でる。



「お願いだから、やめてくれない。そういうの。」




 はいたたまれずに、着物の袖で顔を覆った。平気そうな顔をしていたが、恥ずかしさがもう限界だったらしく、耳まで赤い。



「おまえ、そう言う所は年の割にうぶだよね。」

「うるさい…」