宇宙海賊・春雨の提督となった神威が鬼兵隊と組むようになってから、鬼兵隊の面々は第七師団の母艦にあるの執務室兼神威の部屋への出入りが許され、大方の話し合いはを通すようになっていた。

 基本的に第七師団の団長だった頃から、神威は全くといって良いほど書類仕事をしない。それを担っていたのはで、しかも任務の選別から師団内の方向性はすべてが選ぶため、は第七師団の頭脳そのものだ。

 神威はというと、の執務室で戦いがない時は日がなだらだらしていた。



「定々を殺すための密航に今すぐ手を貸せ。」



 万斉とともに執務室に来た晋助が言ったのは、任務もなく、戦う相手もおらず、神威がソファーの上で足をぱたぱたさせている、退屈な日のことだった。



「さだ、さだ?」



 神威はそもそもその名前すら知らないのか、不思議そうに首を傾げる。だがはその名前を痛い程によく知っているため、書類に向けていた目を見開いて、晋助を見た。



「定々…を殺す?」



 その名前を口の中で反芻すれば、はらわたが煮えくりかえる。心の中に鋭い痛みとともに、こみ上げるような、感じたことのない怒りを鮮烈に思い出す。

 覚えている。

 京の河原の上で、首だけになった義父を見た。には親はいなかったけれど、義父はいつも躊躇いがちにに接していたけれど、大切にしてくれた。彼に養子にとってもらったからこそ、村塾に通って、晋助や小太郎たちと出会って、最高の教育を与えてもらえた。

 なのに、が彼にしてやれたことは、何もなかった。が指名手配犯となったがために、彼は処刑された。

 定々は同時、や仲間たちが敬愛してやまなかった、松陽を逮捕すること、そして処刑することを命じた、将軍。攘夷戦争暗部の象徴そのものであり、かつての仲間たちも次々に処刑された。例え何年たったとしても、の心に深く根付いている。忘れられない。



「誰だよ、それ?」



 神威は寝転がっていたが身を起こして、の方へと体を向ける。



「ま、前の、将軍だよ。地球で一番、偉かった人。」




 は震える声を隠すことも出来ず、ただ皆から一般的に知られている事実を口にした。



「で?」

「だ、だから前の将軍で、今は引退してる…」

「うん。そんなのどうでも良いよ。」




 神威が聞きたいのは一般的な事実ではない。そんなもの適当に誰かに聞けばわかる話だし、神威は興味がない。



「そいつはおまえの何なの?」



 にとって、その定々という男は何なのか、神威が聞きたいのはそれだけだ。どうしていつもすました顔をしているが、それほど取り乱すのか。



「わ、わたしの、かつての師と、義父と、仲間を、たくさんの人を処刑した、張本人だよ。」



 彼女は目尻を下げて泣きそうな顔をした。

 彼女が攘夷戦争に参加してたくさんの天人を殺し、指名手配されたことも、晋助と夫婦だったことも、息子の東が晋助の子供であることも、そして子供を理由に逃げ出したことも、神威はから直接聞いている。

 おそらく、そのすべてを生み出した元凶が、定々だったと言っても語弊がないのだろう。



「ふぅん、じゃあ、にとって定々って奴は、仲間を殺した憎き仇って訳だ。」




 神威はの言葉からあっさりと心境を理解し、納得したらしいが、馬鹿にしたように鼻で笑った。

 大切な人を殺した憎い仇。それがにとっての定々への感情だろう。簡単に予想がつくが、過去をずるずる引きずる彼女に神威は内心で彼女を嘲った。

 神威はがいたたまれないように視線をそらすと、かわりに晋助たちの方へと向き直って、口を開いた。



「良いよ。地球への密航は手伝ってあげる。別に拒否る理由ないしネ。決行はいつ?」

「すぐに、だ。」



 晋助は既にある程度の計画があるのか、もしくはなにかを利用する気なのだろう。どちらにしても神威にとって、どうでもいい話だ。借りもあることだし、それほど難しいことでもないので、断る理由がなかった。



「問題ないよね。」



 神威はを振り返る。複雑そうな表情のは、よほど戦略上出来ない時しか、神威の意見を拒まない。彼女に出来ない事なんてほとんどないから、は小さく頷いた。



「そりゃ頼もしいな。」



 晋助はあっさりとそう言って、万斉を連れて執務室から出て行った。

 その目には欠片の迷いもなく、ただ憎い仇である定々を殺すことだけしか考えていない。その命にどの程度の意味があるのか、神威にはわからないが、神威はの方を振り返った。



「定々を、殺す…?」



 は信じられないとでも言うように、その言葉を反芻する。

 定々さえいなければ、松陽は、義父は、多くの仲間たちは死ななかっただろう。彼が命じなければ、は大切だった居場所を失うことなく、生を終えることが出来ただろう。



「神威、あの、わたし、」

「駄目だよ、」



 が口を開くと、神威がそれを遮るように言って、ため息をついてから、ソファーに胡座をかいてにそのまっすぐな青色の瞳を向ける。



「おいでよ。」



 ぽんぽんっと神威が胡座をかいている、三人掛けの広いソファーの片側を叩いた。は執務机についている椅子から立ち上がり、神威の方へと歩み寄って、ソファーに腰を下ろす。




「行きたいとかいうんだろ?」




 神威の白い手が、頬に触れる。




「…」

「やめときなよ。そんなことしても、おまえが望んでいるものは、帰ってこないよ。」



 優しくて、残酷な声が事実を突きつける。

 既に処刑された松陽も、義父も、仲間たちも、愛した人たちはこの世にいない。が愛したい場所は、もう存在しない。仮にその定々という男を殺したところで、が失った者も、悲しみも、何も癒えることはない。

 ただ。屍が転がるだけ、屍が増え、思い知るだけだ。愛した人たちは、帰ってこないと。

 その男に直接手を下したいと、殺したいと願うのは当然かも知れないが、仮にそれをしたとしても、何の意味もないのだ。



「で、でも、すっきりするかもしれないし。」

「人の死体を見て気が晴れるなんて、大層な趣味をお持ちだったんだネ。」




 自分で何もせず、仇の死体だけ見て気が晴れるくらい簡単な感情ならば、こんなに何年も引きずり続けたりしないだろう。何年も、同じ夢にうなされたりはしない。

 結果は見えているだろうに、がしたいだけを見に行きたいというのは、吹っ切れたいと心の中で思いながらも残り続ける悲しみと後悔に、区切りをつけたいからだ。そんな簡単に忘れられない、捨てられないからこそ、こうして悲しんで、迷っているのに。



「…でも、わたしは行きたい。」




 はまっすぐと神威の青い瞳を見据える。神威は丸い、漆黒の瞳を眺めて、心底ため息をついた。



「人の話は聞きなって言ってるのにね」

「見届ける義務が、あるもの。」

「馬鹿だなぁ…」



 しみじみと言って、神威はの体を抱きしめる。誰よりも賢くて、誰よりも強い女なのに、彼女は酷く自分のことになると愚かしい。

 その空っぽの器に知識を、強さを、そして何よりも生き方を与えたのは、その師と義父のはずだ。ならばどれほどにその過去が悲しかろうと、怒りと後悔に満ちあふれたものだろうと、それを壊すことも、逃れることも出来やしないのだ。

 それは同時に、全てを失うことでもあるから。



「本当に馬鹿だよ。」



 神威は心底罵って、その細い体を抱きしめた。

 過去なんて忘れてしまえば良いのだ。今彼女にあるのは、その強さだけだ。今あるものだけを大切にして、過去に失った者なんて、もうどうしようもないのだから、振り返らなければ良い。単純な神威には、の考えることはいつもわからない。

 でも、結局、それでも強いを、好ましく思っている自分もどうしようもないと思った。






過去