定々の死を見届けたたちが出会ったのは、随分と懐かしい顔だった。
「貴方、骸?」
漆黒のまっすぐな長い髪の女性を見て、は僅かに眉を寄せる。
背も髪も随分と伸びているが、なにかの足りないその表情と空気だけはあまり変わっておらず、記憶力の良いには、彼女が誰であるかすぐにわかった。彼女は少し驚いた顔をしたが、がフードを外すと思い出したらしい。
「今は信女。」
再会を待ち望む雰囲気はなく、感情の乏しい顔でそう言って、彼女は静かにを見つめていた。
「誰?」
神威が少し警戒した目を信女に向ける。
「昔の知人。先生に最後に会わせてくれた恩人なの。」
は神威の傘を持つ手を取って、慌てて言った。
神威なら誰であれ、一瞬でもに手を上げるそぶりを見せれば相手を殺すだろう。なんと言ってもを殺すのは自分だと言って憚らない男だ。そして信女には十分その可能性があった。
「ふぅん。」
が定々の牢を訪れること自体を面白く思っていなかった神威は、不満そうに頷く。だがひとまずその傘の柄を掴んでいた手から力を抜いた。
「たいしたことはしていない。わたしは勝負の約束を、守っただけ。」
信女は素っ気なく言ってみせる。
が松陽の牢を訪れた時、信女はを斬るつもりでいた。彼女は酷く弱り切った、悲しそうな表情をしていて、信女が殺すまでもない、どう見ても奈落三羽の自分の方が、彼女などよりは強いと思い込んでいた。
だから冗談で言ったのだ。
―――――――――――わたしから一本取れたら、通してあげる。
一瞬だった。気づけばはあれほど恐れられた信女の刀を折り、首に真剣を突きつけていた。
鋼のように研ぎ澄まされた漆黒の瞳と生まれて初めて味わった恐怖を信女は覚えている。彼女の漆黒の瞳は目の前の障壁である信女を殺すことに欠片の躊躇いも抱かない。排除だけを考えている。そういう目をしていた。
だから、信女はを松陽の牢に通した。
「貴方は、晋助についたの?」
はちらりと後ろにある牢にいる、晋助を見る。
「…別にそういうわけじゃない。」
信女はの質問に素っ気なく答えて、小さく嘆息する。
別に信女自身が晋助を気に入ってついているわけではない。自分が大将にした男が、彼の茶番につきあうと言った。だから一緒にここにいるだけだ。
生憎信女に大層な思想などありはしない。彼女のように賢くもない。
「貴方こそ、松陽との約束を違えたわけではない、のね…」
淡々と確認するように問われて、は小さく笑って見せた。
信女はと松陽が最後にした約束を、知っている。信女からして見ればその約束が守られなければ、あの遠い日に危険を冒してを牢に入れ、しかも松陽に頼まれて身重の彼女をわざわざ逃がした意味がない。
彼の多くの弟子たちが死に、残った弟子たちも争いの中にある。その中でだけが明確に、形として彼が残したものを受け継いでいる。
それを守るのが、彼女の最低限の義務だ。
「東は、元気だよ。」
「男の子だったの。」
「うん。女の子なら東子にしようと思っていたんだけど、男の子だった。」
は定々の遺体を見て沈んでいた気持ちが、少しだけ軽くなるのを感じて目を細める。
「貴方にずっと、お礼が言いたかったの。」
最後に松陽に会わせてくれた。
本当なら絶対に別れを言うことは出来なかっただろうし、どういう形であれ、信女はを牢に入れて、話をさせてくれたおかげで、は彼を手にかけずにすんだ。
しかも、無謀に逃げ道など考えていなかったを無事に逃がしてくれた。おかげで、は全てを捨てて子供を選んだ。あの日がなければは晋助から離れることも、子供を産むことも出来なかっただろう。そのまま死んでいたかも知れない。
「ありがとう。わたしとあの子にチャンスをくれて。」
失った者はたくさんある。でも、は一つだけ失わずにすんだものがあった。そのチャンスは、彼女によってもたらされたものだ。
「わたしは、何もしていない。」
信女はの言葉に少し驚いた顔をしていたが、ふいっと別の方向を向いた。
「貴方を救ったのは他でもない松陽。わたしは、何も。」
「うぅん。少なくとも、私はこうして生きているよ。」
信女がどういう思い出を牢に通したのであれ、それによってが救われたという事実は変わらない。あの日があったから、は今もこうして生きている。
過去のわたし