「今、わたしは、」



 はふと言葉を途切れさせる。そして思い出す。



 ―――――――――――――君はもう、空の天才なんかじゃない、



 あの日、松陽がくれた言葉はいつもを支えてくれた。幼馴染みや兄、夫から離れ、くじけそうになるの背中を、いつも押してくれた。



 ―――――――――――――君の光は、守らなくちゃいけないものは、そこにあるでしょう?



 松陽が与えてくれた、日の出ずる場所の名を冠する息子は、本当にに生きる力を、光を、希望をもたらしてくれた。彼を殺し、首に刃を立てようとしていたに、彼の言葉は確かに、なにかを救うチャンスを与えてくれた。

 その手助けを、信女はしてくれた。を逃がすという形で。



「わたしの周りは、今も昔もどうしようもない奴ばっかりだけど、逞しく生きてる。東も、地球の寄宿舎にいるんだ。」



 あの日、産むと決めた子供は、神威や第七師団の団員たちに守られ、今は地球の寄宿学校に通っている。幸いに元気で、逞しい息子だ。もまた、神威の傍でどうしようもない仲間たちに囲まれて、どうしようもなくしたたかにたくましく生きている。

 苦しいことも悲しいこともなかった訳ではない。二度と、大切なものなんて持たないと思った。今でも悪夢を見てうなされることもある。過去への懺悔もつきない。でも、いつしか周りに出来た仲間たちが、神威が、を生かしてくれた。

 隣を見れば、退屈そうにふたりの話を聞いている神威がいる。

 誰かに隣にいてもらうなんて、もう全てなくなったと思っていたけれど、彼がいつもの手を離さずにいてくれるから、は前を見ていられる。後ろを振り返らずにすむ。



「多分、幸せなんだと、思うよ。」



 明るく笑って、は信女に告げる。彼女は少しだけその顔に驚きを浮かべ、軽く小首を傾げてから口を開いた。




「…貴方が、一番優しい目を、してる。」

「え?」

「松陽に、一番似てる、かもしれない。」




 信女から見て、銀時も、晋助も、松陽の教え子でありながら、ちっとも彼には似ておらず、強くて弱い、悲しい目をしていた。

 でも、未来をいつも持ち続け、自分の腹から生み出したの表情は明るくて柔らかい。




「松陽は空っぽの天才を育てたと、いつも言っていた。」




 松陽はたまにの話を信女にすることがあった。空っぽの天才を育ててしまったかも知れない。と、彼は酷くをいつも心配していた。




『あの子を、守ってやらなくてはいけないと思っていた。でも、それがの枷になってしまったのかもしれない。』




 松陽は既にの才能に、が兄の背に負われていた、そんな幼い頃から気づいていたのだという。その天才を上手に育てなければ、守らなければと思うあまり、松陽はに枷をつけてしまったと後悔していた。

 膨大な知識、男顔負けの戦術。知識量という点では、恐らく松陽を遥かに凌駕していた。幼い無邪気な天才は十分に生きていくだけの知識と強さを持っていたが、兄たちに守られていたは、兄たちに依存していたし、そういう点で心の強さなどあるはずもなかった。

 松陽が守らなければならないと、そして兄たちが守らなければならないと思う程、彼女は弱くなんてなかった。力がないわけでもなかった。

 環境が人を成長させる。の成長を望むのならば、早く外へと出すことが彼女にとって必要だったのではないかと、後から松陽は思い至った。兄や晋助の庇護下から出ることこそが、彼女を自然な形で成長させるために、本当は必要だったのだ。

 けれど、の幼さばかりを見て、誰もがの手を離さなかった。

 知識だけで矜持も、心の強さも、倫理観も、守りたいものもない、ただその場に留まり、兄たちの傍にいたいだけの、空っぽの天才。

 だからが牢にやってきた時は酷く驚いた。



「でも、貴方と会った後、松陽は貴方を時鳥だって、新たな時代を皆に告げるだろうって。」



 松陽は誰よりもを心配していたけれど、同時にに誰よりも期待していたのだろう。

 彼女を空っぽの天才だと言いながらも、確固とした“子供のために”という、心をたたき上げる、守るべきものを持つようになった。彼女は少なくとも泣いてばかりだった、いつも周りに頼ってきた。既に知識や剣術という力を持っていた彼女に、それは最後の瞬間に一線を退かない、負けない心の強さを与えた。

 そして、彼女は宇宙ですらも強く生き抜いている。



「宇宙で昇進してるのはわたしだけかなぁ。」




 新たな時代まで告げられているかはわからないが、松陽の弟子の中で宇宙を基軸として生きているのはだけだ。

 松陽がどういった形での出世というか、の才能がどのように出て行くかを願っていたのかはわからないが、第七師団の白い死神とか、白い悪魔と呼ばれ、腕っ節とその頭脳は宇宙でも十分に知れ渡っている。



「まあ、宇宙海賊だけどネ。」



 神威はへらっと笑って肩をすくめて、に後ろから抱きつく。どうやら相当退屈しているらしい。



「結局、貴方が一番、出世したのかしら。」



 静かに信女は目の前の女を見据える。

 今残っている松陽の弟子はそれほど多くはない。ほとんどが地球では指名手配されており、まず出世は望めない立場だ。その中では地球では攘夷戦争以降、消息が確認されておらず、写真が残っていなかったことから、死亡したような扱いだ。

 宇宙にいる白い悪魔が、地球で大量殺戮をした指名手配犯と同一犯だなんて、実際にを知る人間のほとんどが処刑され、殺された現在では確認のしようもないのだろう。おかげで積極的に追われてはいない。

 とはいえ、は全く地球に戻る気はなさそうだ。地球は彼女にとって、小さすぎたのだろう。



「ところで、聞いてみたかったんだけど、時鳥って、なに?」



 信女が至極平坦な声音で素朴な疑問を口にする。



「俺も知らないんだけど。何。地球産の人間?」



 神威もの首に後ろから手を回しながら、首を傾げた。



「第七師団でも思うんだけど、…学のある人殺しって、どのくらいいるのかな、」




 はため息をついて、退屈して体を揺らしている神威の頭をぽんぽんと叩いた。















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