神威は枕の上に頬杖をついて、うなされているを見下ろし、じっとそれを観察する。
ごくごくたまにだが、は夜中にうなされ、泣いて跳ね起きることがある。いつもが呟く名前は一緒で、彼女がどんな夢を見ているのか、尋ねたことがある。
彼女が神威の質問に嘘で答えたことはない。
あまり思い出したくないであろうその夢の話も、彼女は素直に答えた。攘夷戦争で世話になった先生が殺される前の、最後に会った時、が自分自身で、自分の大切なものを守るために自分を生かすと決めた、決断の日と、それ故に捨て、亡くしてしまったたくさんの首がこちらを向いて、泣いているのだと。
昔のには、いたい場所があったという。
その失われた一部を取り戻したくて、戦いに参加して、でもその一部を壊さなくては全てをなくすことに気づいた。
だがは腹に宿った東を守るために、全てから背を向けたのだ。結果、全ては壊れた。
「…過去なんて、忘れちゃえば良いのに。」
神威は小さく呟くが、それが難しいことは自分でもよくわかっていた。
出会って第七師団が落ち着いた頃、は毎日のように悪夢にうなされていた。それでも数ヶ月もすれば月に一度程度に落ち着いていたというのに、晋助に再会した途端、また毎日うなされるようになっている。だからは涙を隠すために神威と離れて一人で眠りたがるようになっていた。
神威としては面白くない。
と晋助が夫婦だったことも、の子供の種が彼だという話も聞いているが、過去なんて神威にとって些末なことだ。彼女はきちんと嘘をつかずに昔のことも話してくれるし、嘘もない。
それでも過去にうなされる彼女を見るのは、気分が悪かった。
「っ!」
が悲鳴も上げずに跳ね起きる。荒い息を落ち着けるように胸元に手を当て、乱れていなくても髪紐を解けばぐしゃぐしゃの長い髪をかきあげた。そしてふと、壁を背にしてを観察している神威に気づいたらしく、塗れた漆黒の瞳を丸くした。
「か、神威、起きてたの?」
今起こしたのではなく、完璧に自分を眺めていただろう神威を見て、は自分の目尻の涙を銃弾の袖で拭いながら、震える声で尋ねる。
「うん。があんまりにうるさいから起きちゃった。」
神威は遠慮なくはっきり言って、の額を軽く小突く。
「っ!結構痛いよ。」
は額を押さえて蹲った。神威としては慎重に力を絞ったつもりだったが、地球人の彼女にとっては痛かったらしい。本当に意味がわからない。彼女は頭も良く、あんなに強いのに、弱虫だ。
「俺の睡眠を邪魔するからだよ。」
「…ごめん。」
は自分の額を押さえながら、目尻を下げた。
漆黒の瞳は落ち着いてはいるがまだ涙が浮かんでいて、それが暗闇でもわかるほどにぼろぼろとこぼれ落ちる。
不穏な沈黙が部屋に落ちる。この時間になれば宇宙船も一応全ての電気が落ち、団員も眠りに落ちている。光は宇宙空間にささやかに輝く星々だけだ。聞こえるのは、換気扇の回る音だけだ。
「ご、ごめん。」
涙が止まらないのか、目元を隠すようにして、は襦袢の袖で顔を隠す。神威はぐずぐず泣かれるのは嫌いだ。過去のことをぐだぐだ神威も言わないが彼自身言われるのも嫌いだ。単純な神威は女々しいことが嫌いなのだ。
「ちょっと、頭冷やしてくる。」
はふらふらと立ち上がり、逃げるようにベッドから下りようとした。だがその手を掴んで、神威はベッドに引きずり倒す。
「何が怖いの。」
に馬乗りになって、漆黒の瞳を見下ろす。珍しく彼女は、酷く怯えた目をしていて、そっと白い頬に手を触れると、涙で濡れた感触が広がった。長い銀色の睫に覆われる漆黒の瞳、濡れた目尻を神威は指で拭う。
「わ、わかんない。」
くしゃりと表情を歪めて、は小さく首を振る。
彼女が怯えたり、泣いたりするのはとても珍しいことだ。だいたい彼女はそれほど慌てないし、困った時は少し考えてから行動する傾向にある。感情を爆発させることは本当に少なく、普通の女のように女々しく迷っていることなんてほとんどない。
決断力はある方だし、賢いので判断の遅れがどうなるかわかっている。
彼女が泣くのは悪夢を見た時と、せいぜいセックスの時くらいのものだった。そういうのはそそるけれど、悲しそうにさめざめ泣かれると萎えるし、こちらもなんだか哀れ身を覚えて、悲しい気持ちになって苛々する。
もう攘夷戦争は終わってしまっている。仲間の多くは死に絶え、残っているものは数えるほどしかいない。はその全てに背を向け、地球から逃げて、子供だけを守って、そのほかの全てを失った。自分の無知と、自分が生き残る代償として。
もう失った者は取り戻せない。何が怖いのか、何に怯えているのか、それすらもわからない。
「何それ、そんなわかんないことで泣いてるの?」
「…」
「怖いことなんてないよ。どうせは俺と地獄までランデブーさ。で、俺に殺されて終わる。」
が何を思おうが、過去をどれほどに振り返ろうが、神威にとってはあまり関係がない。神威がを気に入っており、側に置く限り、の干渉なんてどうでも良いし、神威はその力を持ってしてを引きずっていく。
結局行く場所は、彼女がどれほど悩もうとも、神威と同じだ。
「そんな勝手な…」
「男なんてそんなもんだろ?それに手のひらサイズの男なんて面白くない。」
「…確かに手に余るくらいが良いね。男なら。」
「あり、それって阿伏兎も言ってたな。手に余るくらいの女が良いって。」
「わたしは余る?」
「余るよ。ぐだぐだくだらないことを言って俺を煩わせる天才だ。この怪我を含めて。まあ、おまえの胸は生憎俺の手にぴったりだけどね。」
「黙れよ、小さくて悪かったな…」
はむっとして、自分の胸元を改めて見るが、襦袢に隠された胸元は相変わらずそれほど大きくはなかった。
「子供産んだら大きくなるとか言うのにね、ちっとも大きくなってないよね。」
「これでも大きくなった方なんです!」
「そりゃ大層ぺたんこだったんだネ。」
「うるさいわ!」
神威は笑っての手を握り、体を起こさせる。はあまりの彼の言い方に涙も引っ込んで、片手で彼の手をとり、もう片方で目尻を拭ってから、引っ張られてそのまま身を起こしたが、神威の手を引く勢いが強すぎて神威の胸に飛び込むことになった。
「いったっ、」
胸板に鼻をぶつけ、は自分の鼻を撫でる。それでも離れる気になれなくて、じっと神威の青い瞳を見上げた。
「ありがとう。」
は目を細めて、神威を見上げる。
「ん。だから、ご褒美頂戴。」
神威は笑っての頬に口づけたと思うと、耳朶を軽く食む。くすぐったい感触には身を捩って彼の手を引きはがそうとしたが、既に手首が掴まれていた。
「ん、っ、ここ、鬼兵隊の船だよ。」
「よその家でやる方が興奮するだろ。」
「変態め。」
「お互い様、」
軽く神威を睨みながらも、も神威を拒んだりしない。神威はそれを確認して、彼女の過去をとやかく考えるよりも、の襦袢を破るようにしてはぎ取る。噛みつくように口づければ、も目を細めて応じた。
「どうせ泣くなら、俺のために泣いてよ。」
神威としては、他人のためにが泣くのが気に入らないだけだ。壮大な嫉妬なわけだが、神威は知らない振りをする。は元々恋愛ごとに疎いため気づかない。
結局二人そろって考えるのは苦手なので、今目の前にある快楽を貪ることの方を優先することにすることにした。
過去も愛す