第七師団に新しい団員として連れてこられた河南は会計役の執務室で契約を交わす前に、たまたま角のところで突然出てきた銀色の髪の女と肩がぶつかった。

 ばらっと彼女が手に持っていた書類があたりに飛び散る。




「あー何やってんだよ。」




 彼女の後ろにいた茶色の髪のお下げの、河南と同じ年頃のまだ若い団員が、床に膝をついて書類を拾い始める。



「あぁ、ごめん。」



 彼女はすぐに河南に謝ってきたが、声音が平坦すぎて、謝っているようには聞こえなかった。

 しかも謝るとすぐに床にしゃがみ込み、淡々と飛び散ってしまった書類を拾っていく。その素っ気ない態度が何やら自分を馬鹿にしているような気がしてむかつく。ただそれだけの理由で、河南は彼女に詰め寄った。



「謝って済んだら、警察いらねぇんだよ。誠意ってもんがあんだろうが?」



 いつも自分が故郷でしていたヤンキーのような口調で脅す。すると初めて彼女は顔を上げ、河南を見た。

 顔を改めて見てみると、美人と言うほどではないが、顔立ちはそつなく整っており、肌も白くて可愛かった。年の頃は10代後半から20代くらいで、収まりの悪そうな銀色の天パを高くも低くもない位置で束ねている。

 髪以外は地味そのもので、漆黒の瞳は酷く落ち着いており、それと同じくらい落ち着いた淡い色合いの民族衣装を着ている。全体的に、あまり感情の起伏は激しくなさそうで、しかも今この状況でも焦っている風には見えない。

 夜兎である河南が脅せば、どんな男でも女でも、チンピラだったとしても、だいたい言うことを聞く。それに味を占めていた若い河南だったが、彼女は僅かに首を傾げるだけだ。



「てめっ、聞いてやがんのか?あぁ?」



 掴みかかろうと手を伸ばそうとすると、それをさらりと避けて、彼女は少し呆れたような顔をして立ち上がり、一緒に書類を拾っていた若い団員の服を引っ張る。



「ちょっと、彼、だれ」

「え、知らねぇよ。」



 とりつく島もなく、彼はあっさりとそう答えた。



「おい、おまえ!俺が話をしてんだろーが。てめぇ馬鹿にしてんのか!」



 無視されていると感じた河南は彼女の細い肩を掴み、無理矢理こちらに向かせようとする。

 何故こんな、自分と年の変わらないようなただの女に馬鹿にされているのだ。河南はふつふつと腹に淀んだ怒りがわき上がり、我慢するということを知らないため、そのままそれを表現しようと無理矢理彼女に手をかけた。

 今思えば、男ばかりの団員の中に何故女がいるのか、とか、それが何故地球人なのか、とか、何故団員が質問に素直に答えていたのか、とか。そういうことを冷静に考えていれば過ちは起こらなかっただろう。だが、苛立ちに支配されていた河南にそんな余裕はなかった。

 夜兎の強い力で肩を掴まれた彼女は表情を僅かに歪めたが、すぐに体ごと捩り、河南の肩の手から逃れる。そして腰にあった刀の鐔を親指で弾き、目にもとまらぬほどの速さで刀を抜いた。

 何が起こったのかもわからぬうちに、首の後ろに衝撃を受け、河南は昏倒した。




「…やっちゃったなー、やっちゃったよ。」




 崩れ落ちた体を眺めて、は少し考える。



「おい、肩は大丈夫か。」



 掴みかかられたのも見ていたため、の副官でもある龍山は、むしろの体を心配して尋ねた。

 夜兎の怪力は龍山も夜兎なのでよく知っているし、地球人は弱い。彼女の腕っ節は認めているが、それは刀を振るう場合のみで、肉体の強さではない。そのため夜兎で団長の神威に腕にひびを入れられたり、なんてことはたまにあるので、見ず知らずの夜兎よりの方を心配していた。



「大丈夫だけど…」



 夜兎の怪力というのは肩を掴むだけで地球人の肩の骨くらいは軽く折れるくらいの握力がある。だが、はすぐに彼の手を弾いたので、骨が折れるまでには至っていないし、無事だ。痣くらい出来ているかも知れないが、たいしたことはない。



「それより、生きてる?」



 は僅かに目尻を下げて、倒れ伏している男の隣に膝をつく。

 よく見てみれば、彼は若い男だった。年の頃はと同じくらいだろうから、10代後半から20代くらい。明らかに染めたとわかる金色のリーゼント。鼻と耳にはたくさんのピアスがつけられ、夜兎らしく傘を手に持っているが、手足とともに力なく床に投げ出されている。背の高さはだいたい170センチ強だ。



「すっげー格好。まさにチンピラ?」

「うん。うちの団員って馬鹿ばっかだけど、ここまで見た目も馬鹿な奴はいないね。」



 一昔前のヤンキーそのもので、龍山とは思わず感動する。



「ってかさ、今やった奴って峰打ち?」




 龍山は倒れている男などどうでも良いのだろう。の持っている刀をじっと見て尋ねる。

 そういえばに負けてばかりの龍山は、最近剣術の研究をしており、たまたまみた侍映画にはまっているらしい。峰打ちはよく映画や物語で相手を気絶させるためのわざとして出てくるので、覚えていたのだろう。

 峰打ちとは刀の背面に当たる峰の部分で相手を叩くことで、時代劇などでは、相手を殺さずに倒す場合に使われることが多い。ただ、現実にそんな甘い技はない。



「あのね。刀って言うのは、重いんだよ。今わたし、思いっきり叩きつけちゃった。しかも首。」

「え?何が言いたいんだ?」



 が説明しても、察しの良くない龍山はの意図がわからないらしい。は無言で転がっている男をちょんちょんとつつく。全く動かない。心配になって首筋に手を当ててみると、どうやら何とか生きているようだった。




「…生きてる」




 安堵の息を漏らすと、龍山が不思議そうに首を傾げていた。



「峰打ちって死なねぇんじゃねぇの?」

「そうね、凶器から鈍器に変わったくらいの違いかな。本気で殴れば、死ねるよ。やってみる?」



 いつもならも団員の相手をするために竹刀などを持ち歩いていたりするのだが、生憎今日は腰に刀しかなかったのだ。峰打ち以外では確実に殺してしまうため、選択肢がなかった。



「…遠慮します。」



 龍山もの腕は知っている。何度かに相手をしてもらっているが、夜兎の龍山も勝てたことがなかったので、まっぴらごめんだった。



「生きてるけど、思いっきりやったから…夜兎って丈夫だよ、ね。」



 峰打ちとはいえ、咄嗟のことだったので、渾身の力でやってしまった。鈍器で首を殴られれば、首の骨をいってしまっていてもおかしくない。生きているとはいえ、無事かどうかは別の話だ。



「俺に聞かれても、医療的なことはわかんねーし。」



 龍山も廊下に膝をつき、男を眺める。医師の資格を持っているがわからないことを、龍山がわかるはずもない。



「ってかさ、こいつ、誰?」



 こんなあからさまにチンピラみたいな団員、流石に馬鹿の龍山でも、一度見たら覚えている。



「…さぁ?」



 は第七師団の参謀兼会計役として働いている。

 第七師団の団員になる場合、手続きの関係でが必ず契約書を取り交わしているし、古い団員たちの顔は既にもう覚えている。龍山もの副官であるため、同席していることが多いわけだが、ふたりとも彼の顔を見たことはない。

 と龍山は二人でこの誰かわからない、名前も知らない男を、眺めることしか出来なかった。

峰打ち






 河南が目を覚ますと、そこは白い壁とカーテンに囲われた場所だった。



「…おまえ、勇気あるなぁ。あいつに掴みかかるなんて、正気の沙汰じゃねーよ。」



 茶の髪をした、先ほど女とともにいた夜兎の若い団員が河南に言う。河南は体を起こし、首筋が酷く痛むのを感じて自分の首の後ろを撫でた。



「なんだ?」



 どうやら首にはしっかりギブスがはめられているらしく、直接触ることは出来ない。ただ全身が何やら気怠くて、首は鈍い痛みを放っていた。河南は気を失う前のことを賢明に思い出そうとするが、女に掴みかかったことしか記憶にない。

 ならばあの女といっしょにいたこの男が殴りかかってきてこうなったのかと、河南は茶色の髪の男に警戒の目を向けた。



「あ、大丈夫そう?」



 白いカーテンをめくって、気を失う前に目の前にいた銀髪の女が顔を覗かせる。



「大丈夫だって、夜兎だからぴんぴんしてる。」



 茶の髪の団員はさらりと言って、ベッドの傍にある丸いすから腰を上げた。



「そりゃ良かった、弱い奴への手加減は慣れてないから。」



 彼女は軽く一つに束ねた天然パーマの髪を、軽くかき上げて自分の肩の後ろに払って笑う。

 その動作はどこまでも女らしかったが、河南は苛立ちと自分が笑われ、馬鹿にされた怒りから、彼女の首元へと手を伸ばそうと腰を浮かした。



「何しようとしてやがんだ!」




 茶の髪の団員が、河南の胸ぐらを掴んで怒鳴る。



「うっせぇ、その女俺を笑いやがった!」



 河南は叫んで、目の前の男の胸ぐらを同じように掴んだ。

 自分以外夜兎のいない星で、夜兎の力を持って人を脅して生活してきた河南は、相手を選んで喧嘩をするという方法を知らなかった。そのため、龍山に対しても平気でむかつけばくってかかる。まさに無鉄砲で無謀な挑戦が平気で出来るタイプだった。



「ちょっとやめなさいっ、二人とも。話を聞い…」

「うっせぇ!」




 が高い声を上げ、二人の手を引き離そうとするが、河南は腕を強く振り払う。夜兎であり、手加減なんてしたことのない河南の腕は、の軽い体を壁まで飛ばす。は音を立てて壁にぶつかり、ずるりと壁を背に床へと座り込んだ。



っ!おい、おまえっ!」



 団員の男は慌てた様子で河南から手を離して河南の手を振り払い、青い顔で飛ばされたへと駆け寄る。



「お、おまえが悪いんだ、女のくせにこんな所にいるから!!」



 河南の口が勝手に言葉を紡ぐ。だが、壁を背にしていた彼女の細い手が側に置いてあった傘を掴んだのが見えた次の瞬間、河南は恐ろしい程の衝撃を頭に受けて、気絶した。



「…」



 は無表情のまま、河南の頭の真上から下に向けて思い切りその重たい傘を振り抜いた。ぼこっと音がしたが、表情は変えない。

 怪力を持たない普通の地球人であるにとって、夜兎の傘は重たい。それを一発目は片手で、二発目からは両手で持って、何度も遠慮なく叩きつける。彼女が我に返ったのは、河南が後ろへとばたっと倒れたからだった。



「なあ、その傘俺の」



 龍山が呆然とした面持ちでを見ている。

 女のくせに、なんて言葉を本当に久々に聞いて、頭に血が上っていたは自分の手に握られている傘と、頭と口から血を流している男を見比べた。

 もう既に彼の金色のリーゼントは面影がなく折れてしまっていて、が殴ったせいで金色の髪には血がべったり。首にはギブス。顔は気にせず殴っていたのでぼこぼこで、凹凸があるのかないのか、少なくとも明日には凹凸も色彩も豊かな顔になれているだろう。

 部下たちの報告では、彼は今日入ってくる予定の、新しい団員だったらしい。まだ正式に第七師団で契約を行ったわけではないので参謀兼会計役で、契約書を交わすために全員の顔を知っているも、まだ知らない人物だった。どうやら団員の知り合いで、コネで入ってきたというわけだ。

 そんなことを知らなくて殴り倒してしまったは、医務室に彼を運んで手当てをしていたわけだが、女だということを馬鹿にされ、むかついて彼をぼこぼこにしてしまった。




「…」



 元々、は第七師団で取り繕ってはいるが、お世辞にも穏やかな性格をしていない。

 子供を持ってからは周りを警戒し、八方美人を装うようになったし、苛立ったりわき上がる感情を感じても少し宙を眺めて考え、自分を抑えるようになったが、元の性格は変わっていない。そのため、自分が油断していて壁に打ち付けられた苛立ちもあって、やってしまった。

 の副官たち、当然龍山もがそこそこ短気であることをよく知っている。



「…どうしよう、か。」



 宙をぼんやりと眺めて考えるが、ひとまず打ち付けた背中が痛むことと、むかつきが消えていないことしかわからない。ふつふつとわき上がるこの怒りの向け所である男は、これ以上やれば死んでしまうだろう。

 いや、仮にここで彼を殺してしまったとしても、問題にはならない。が参謀兼会計役として団員の採用にも関わっており、不適合と考えて手打ちにしたとしても、その権限は十分にある。その理由が「気に入らない」だったとしても、海賊や師団ないではよくあることだ。

 一人や二人殺したところで、団長の神威はに文句一つ言わないだろう。彼も実にくだらない理由で団員を殺すことがあるからだ。

 だが、流石にそれはのポリシーに反する。



「っていうか、あんた、大丈夫なのか?」



 龍山はが壁に打ち付けられていたのを見ていたため、の体の方を心配する。一方での頭の中では、これからこの男をどうするかという方に意識がいっていて、欠片も自分の怪我に気が回っていなかった。



「ひとまず、手当てしてもらわないと。」



 は血がついたかさから手を離して、頷く。



「それに、また顔を合わせたら殴りそうだから、あとは別の人に任せるわ。」

「…ってか、あんたも手当てしてもらわないと、団長の方が怒るんじゃね?」

「神威は関係ないでしょ…」

「いや、怒るだろ?」



 彼女の怪我に彼女よりもうるさいのが神威だ。

 ましてや団員にやられたとなれば、報復に出るに違いない、と龍山ですらも思ったが、目の前の事態を片付けることにしか考えていないは、そこまで頭が回っていなかったので、龍山も放っておくことにした。

 そして馬鹿な龍山は、そのことを二度と思い出さなかった。



殴打