「だーつだぁ!」



 びよよーんと壁につき立った刀を見た東の高い声が響く。

 刀が突き立っており、目の前に血を流している男がいるというのに、暴力沙汰になれている三歳児ははしゃいだ声でぱちぱちと拍手をする。

 はやってしまったと内心で思いながら、少しげんなりした気分にもなった。新しく団員としてやってきたはずの河南は、血が出ている自分の首を押さえながら、恐怖のあまり尻餅をついている。こんな弱い団員、役に立つのだろうか。

 素直に言ってしまうと、部屋に人が入ってきたのはわかっていたが、書類仕事があまりに忙しくて、よく話を聞いていなかった。



「ご、ごめん、首大丈夫?阿伏兎だと思ったから…」

「それ酷くね!?」



 阿伏兎が突っ込むが、は無視して椅子から立ち上がり、男の方へと歩み寄る。

 見下ろせばまだ自分より年下のようだし、チンピラっぽい、安っぽい金色のリーゼントも、ピアスだらけの鼻と耳も、笑える程度のものだ。前回は女の癖にとか言われてむかついたが、はじっと男を眺めて心の中で自分に言い聞かせる。

 が一歩歩み寄ろうと歩を進めると、彼は震えて動かない足で後ずさろうともがく。

 今から人の生死に関わるような任務を行おうという人間が、自分の首を刀がかすめたくらいで尻餅をつき、腰を抜かしていればすぐ殺されて終わりだろう。こんな哀れな男、がむかつくほど感情を傾ける価値もない。

 そう思い込もうとしたけれど、は存外根に持つタイプで、やっぱり改めて考えてもむかつきは消えない。途中まで歩み寄ったところで、足を止めると、神威がの手を引っ張った。



「なに考えてるの?」

「心の中で苛立ちと理性が葛藤してるの。」

って短気だもんね。」




 神威はけらけらと軽い調子で笑って見せ、「契約書持ってきて、」との背中を軽く叩いた。それでは河南がここに来た理由は契約書を交わすためだったと思い出し、執務机に戻る。執務机の引き出しの一つに、契約書が入っているのだ。



「アズマ、おいで。」



 神威は自分が座っている方のソファーを叩き、反対側に座っている東を呼ぶ。東もそのあたりは心得ているので、すぐにローテーブルをまたいで神威の隣へとやってきた。



「ほらほら、おまえもそんな地べたに座ってないで、そこに座って契約書書きなよ。がむかついておまえを殺しちゃう前にね。阿伏兎、契約書持ってきて。」

「人使い荒ぇな。おい。」



 阿伏兎はぼやきながらも、が執務机から出した契約書にペンをそえて、ローテーブルに置いた。だが河南は首を押さえたまま相変わらず尻餅をついたまま動けない。完全に恐怖で腰が抜けてしまっているようだ。

 刀が自分の首すれすれを通っただけで、死んでいないのだから良いじゃないかと神威は思うが、完全に怯えきった目で、男はを見ていた。

 今まで夜兎のくせに、他の夜兎のいない星で、チンピラを脅して自分もチンピラになって生きていたのだという。だから本当に命の危機にさらされたことが、なかったのだ。人を殺してきたくせに、自分が殺されそうになると怯えるなんて、勝手な話だ。



「おいおい、しっかりしろよ。うちはこんなんじゃ、やってけねぇぞ。おら。」




 阿伏兎は河南の首根っこをひっつかみ、神威の向かい側に座らせる。

 がたがた震えている河南は、その体勢のままにソファーの上へと座らされ、震える手でペンを握っていた。だが、手は動かない。首からはまだ血がだらだら流れ、彼の服をゆっくりと染めていた。



「っていうかさぁ、なんでこいつ、鼻に牛みたいなのついてんの?」



 神威はの座っている方を振り返って、首を傾げる。無邪気な高い声音すらも恐ろしいのか、河南はびくりと肩を震わせた。



「神威、それピアスだよ。」

「ピアスは耳につけるんじゃなかったっけ?」

「いや、最近は鼻にもつけるらしいよ。」

「そうなの?痛そうだね。」



 神威は隣にいる東の鼻をつまむ。「むぐ」なんて声を上げた幼い東は、何の遠慮もなく神威のその手を、小さな体を反転させて蹴り飛ばすことで外させた。




「痛いなぁ、アズマ酷いよ。」



 神威はむっとした顔をして、痛くもないだろうに手をひらひらとさせる。




「むいらんぼう!」

「どっちが!!」



 東の高い声に阿伏兎が突っ込んだ。

 とはいえ、東の動きは神威に対しては非常に妥当だった。ただまだ幼く力の弱い東では、怪力である神威の手を鼻から外させるためには、蹴り飛ばすくらいのことはしなければならない。



「もう、最近お父さんに生意気だよ。」



 神威は軽く手元にあった、空になっているおやつの皿を東に投げる。それは明らかに東を狙ってはいなかったけれど、東は手元にあった神威の重たい傘を両手で持って勢いよく払った。皿はそのまま方向を変えて、ローテーブルを挟んで神威たちの前で震えていた河南の顔に直撃する。

 打ち所が悪かったのか、河南はずるりとソファーの背もたれにそって横に倒れてしまう。



「…まだサインしてないのに、気絶しちゃったけど…。」

「いや、見りゃわかんだろ。」



 が言うと、阿伏兎が突っ込みを入れる。皿を投げた神威と、打った東は二人そろって顔を見合わせ、同時に河南を見る。




「どする?」

「外に放り出しといたら良いんじゃない。邪魔だし。」

「駄目に決まってんだろ!あぁ、もう仕方ねぇなぁ。俺が連れて行ってくらぁ!」



 阿伏兎が仕方なく、立ち上がって、河南を担ぎ上げてつれて行く。その後ろ姿を見ながら、残された三人は顔を見合わせ、「まあ、良いか。」とそれぞれが自分のやるべきことに戻った。


バッティング




 昼ご飯の片付けのため、がリビングに戻っている時、執務室にやってきたのはの副官のひとりである龍山だった。



「あー、りゅうだー」




 東は龍山の方へと駆け寄ると、がしっと腰あたりに抱きつく。



「おいおい、書類落としたらどーすんだよ。おらおら、離れろ。」

「むりー。」




 龍山は少し困った顔をしたが、東を無理矢理引きはがす風はない。東はぎゅうっと腰に抱きついて、執務机に書類を置こうと歩き出している龍山にしがみつき、ぐらぐら揺れるのを楽しんでいる。

 今年で三歳の東は徐々に人の好き嫌いをはっきりと見せるようになってきた。

 の副官である荼吉尼の赤鬼や青鬼、夜兎の龍山は比較的好きだが、阿伏兎に対しては何をしても許されると思っているのか、悪質ないたずらも目立つようになってきている。この前も阿伏兎の食べるものにタバスコを仕込んで、神威に食べ物を粗末にするなと怒られることになった。

 幼い頃、も随分賢くて、彼女の兄や先生は手を焼いたらしいが、その気持ちが今の神威にもよくわかる。

 東は賢い、だからこそ、三歳の今でも十分、神威の思いもしないような行動に出て、いつの間にかいないと言うこともよくあった。第七師団の団員は全員が信用できるわけではない。今のところ捕まえられているが、もう少し成長すれば、神威も本気で追いかけなくてはならなくなるだろう。

 それはそれで楽しいので、良いのだが。



「アズマ、あまり龍山を困らせるなよ。」



 ソファーで寝転がっていた神威はそう言って、体を起こした。

 龍山と神威だと、神威の方がいくつか年上だ。龍山はの副官で、字なども読めるようになっており、頭も悪くない。事務処理という点でも期待できる人間だし、夜兎で、腕っ節もそこそこ強いので、将来性がある。

 ただ、のお気に入りである龍山を、神威は単純な嫉妬から嫌っていた。



「そういや、あいつ無事だったのか?」



 悩ましげな顔で書類仕事をしている阿伏兎が、龍山に尋ねる。




「あいつ?」

「おいおい、忘れちまったのか?医務室に俺が運んだろ?なんだっけ、河南とか言う新しく来た奴。」



 数時間前、阿伏兎は神威が投げ、東が傘で打った皿が顔に直撃した、河南という新人を医務室に運んだ。昏倒しており、意識はなかった。その前に既に首に大きなギブスをつけられ、頭に包帯を巻き、の刀で首を切られていたため、かなりひどい状態だったと言える。

 まだ正式に第七師団に入るという契約書を交わしていないため、少なくとも回復して契約書を交わさないうちに殺すと、いろいろと厄介だ。いや、厄介と言うほどもないが、の小言が面倒なので、他の団員が間違えて殺してしまう前に、阿伏兎としては早く契約書を交わさなければならない。

 ただ阿伏兎の周りは自己中しかいない。




「あ、あー。アズマ、おまえよくやったらしいな。」




 龍山は少し思い出すのに手間取ったようだが、詳しい事情を医務室の団員に聞いたのだろう。河南を昏倒させた東の頭をくしゃくしゃと撫でた。




「なぁ龍山、人の話聞いてんのか、」

「あーんな奴、死んでりゃ良かったのに。」

「そりゃ流石に酷かねぇか?」



 阿伏兎が言っても、龍山は視線を東に向けたまま、ポケットの中にあったお菓子まであげようとする。その途端、龍山に向けて神威の傍にあった傘が放られた。龍山はそれを何とか紙一重で避けたため、後ろの壁に傘が突き刺さった。




「団長。執務室では勘弁してくれや。壁に穴開けたらの奴、また怒るぜぇ?」

「勝手にお菓子あげるなよ。」

「無視かい…」



 慣れている阿伏兎は、ため息交じりに頭を抱える。




「…すんません。」




 龍山は避けておきながらも驚いたのか、まだ呆然としていたが、素直に謝って手に持ったお菓子を引っ込めた。



「えー!むい!おかしぃ!」




 東は龍山から離れて神威の腰にしがみつき、お菓子ほしさに抗議する。突き刺さっている傘も、龍山の命も無視のところが、神威の傍で育っているだけのことはあるなと、阿伏兎は目尻を下げてしまった。



「駄目、ご飯食べたでしょ?おやつは三時だけ。」



 神威は東の前に膝をついて、言い聞かせる。



「うぅー。」



 東は頬をぷっくりと膨らませたが、神威が何を言っても譲らないことはわかっているためそれ以上しつこくごねることはない。かわりに神威の首元に抱きついて、むくれた顔を隠した。神威はぽんぽんと小さな背中を叩いて、東を抱き上げる。

 まだ子供なので、生活習慣は重要だ。

 神威自身も規則正しい生活をする傾向にあるが、それは子供に対しても同じで、間食などは極力させないようにしていた。周りにもむやみにおやつやお金を与えないように注意しているし、子供が調子に乗らないように、ごねてもわがままは絶対に聞かない。

 それを徹底しているせいか、東がそれほど長くぐずることもない。数分後にはけろっとした顔で甘えてくるだろう。



「どーすんだよ団長、壁のこの穴。の奴、また怒るぜぇ…。」

「仕方ないよ。龍山につけといて。」

「俺ええ!?団長そりゃ酷い、」

「何が酷いんだよ。いつも言ってるだろ。アズマにお菓子、与えるなって。」



 神威は東をあやしながら、龍山を睨む。


 理由まではわからないようだが、嫌われていることだけはその夜兎として優れた感性で理解している龍山は複雑そうな顔でため息をついた。


ダーツ再び