□
は三角座りをしたまま、手に抱えた枕に顔を押しつけて赤い頬を隠す。だが、耳まで赤いので、恥ずかしがっていることは隠しきれていない。
「ね、自分で貼るから、」
「背中なんてうまく貼れないでしょ。」
神威は慎重にの青い痣の上に、白い湿布を二枚、慎重に貼り付ける。それを手でゆっくりと撫でて、ついでに肩に口づけ、吸い付く。
「は俺のものなんだから、傷はつけるなヨ」
「…わたしは神威のものじゃない。わたしはわたしのもの」
「だめ、俺の。だから今度怪我を秘密にしたら、ただじゃすまないぞ。次は肉食いちぎるから。」
肩の血までにじんでいたの傷をゆっくりと手でなぞる。
そこには河南に掴まれた時の指の形をした青い痣があったけれど、今は神威が噛んだ歯形が赤黒く残るだけになっていた。他人のつけた痕が彼女の肌に残るなんて、不快に決まっている。それを消すためならば肉を食いちぎるのも、悪くはない。
背中の痣は飛ばされた拍子に壁にぶつかったものらしい。本当はそれも嫌だけれど、飛ばされたとはいえ傷を作ったのは壁だし、痣が広範囲に広がっているので、湿布を貼るだけで我慢することにした。
は答えなかったが、まず自分が裸であると言うことが嫌なのか、身を捩って、近くにあった襦袢に手を伸ばした。
「って本当に恥ずかしがり屋だよね。」
情事の時ですらも、何度しても肌を晒すのに抵抗があるらしい。神威にしてみれば何度も見ているのにそんなに恥ずかしがらなくても良いと思うが、口には出さない。拒むの着物をひん剥くのも楽しいから、放っている。
「だって、はしたない」
は襦袢に身をくるんで腰紐を締めると、ふーっと安心したように息を吐いた。
どうやら地球では、あまり肌を晒さないのが風習らしい。着物はぴっちりと首元がつまっているし、袴の裾は長くて足首すらも晒すことはない。少し残念だと思うが、団員たちに肌を晒されれば、神威は団員を皆殺しにしてしまいそうだ。
着物をしっかり着込んでいる時は袴のせいもあって、華奢な体躯は目立たないが、襦袢は薄くて体の線がもろに出るため、は見た目より細いのがよくわかる。よくそんな細腕で刀を振るい、細い足であの跳躍をみせるものだといつも考える。
はそのままベッドの下にある着物を着ようと思ったのか、ベッドの下に足をつけたがそのまま前のめりにこけた。
「何してるの。まだ足しびれてるんだろ?」
情事の時は足を上げたり無理な体勢をするため、終わった後痺れていたり、うまく立ち上がれないなんてことはよくある。は疲れているのか、床に転んだまま蹲って動かなくなってしまった。
「、そんなところで眠っちゃ駄目。」
息子の東が幼いため、どの部屋にも柔らかい絨毯が敷かれているため、怪我はないだろう。ただそれが気持ちよかったらしく、動かないの手を掴んで体を持ち上げ、横抱きにする。眠たいのかうとうとしているは、それでも神威が抱き上げようとすると少し抵抗した。
「書類…しないと。あ、東。」
「大丈夫だって誰かやってくれるよ。アズマはおまえのよく出来た副官たちが面倒見てくれてるさ。後で俺が見に行くヨ。」
この状態で子供を気にするのは母親らしいと思うが、書類を気にするのは理解できない。神威はをベッドに横たえて、自分も隣に寝転がる。
「まだ夕方の五時だよ?起きないと、」
「疲れてるんだろ?寝ちゃいなヨ。はいつも無理しすぎ」
神威は華奢な体を腕に抱きしめてから、ぽんっとの頭を軽く叩く。するとやっとは体から力を抜いた。
は銀色の天然パーマがコンプレックスらしいが、絡まりやすく、あちこちに跳ねているその髪が、神威は平凡な彼女の容姿の中で、常識では考えられない人間性を唯一表しているようで、結構好きだった。それに撫でるとくるくる絡まってくるしつこさも、本人にしつこさがないので笑える。
「ってさぁ、」
「ん?」
「経験人数、ふたりだよね?」
神威が言うと、の手が神威のお下げを引っ張る。見下ろすと、が眉を寄せて神威を睨んでいた。ただまだ先ほどの名残なのか少し潤んでいるし、目尻も赤いので凄まれてもちっとも怖くない。
「一応確認だよ。5人以下なのはわかってるんだって。」
「…なんでわかるの。」
「抱いたらわかるよ。癖が少ないし、ちっともうまくないんだもん。」
神威が言うと、目尻を下げ、口をへの字にする。
「わたし、下手?」
「うん。すっごい下手だよ。」
客観的に考えるなら、は情事がうまくない。受け身だし、フェラなんてほとんどしたことがなかっただろうし、自分で腰を動かすなんてことも出来ない。意図的に中を締め付けるなんてことも不可能で、神威の方が彼女の体をよく知っているくらいだ。
「なに、ショック受けてるの。」
目尻を下げて情けない顔をしているに、神威は首を傾げる。
「…なにかでへたって言われたの、初めてかも。」
幼い頃から何でも出来るため、下手だと言われたのは初めてだったらしい。そんなこだわることでもないと思うが、彼女にとっては言葉自体が衝撃だったのだろう。
「ま、でもね。俺は満足だよ。」
「なんで?下手なんでしょ?」
「うん。でも、良いじゃない。俺は気持ち良いし、気持ち良いように動けば良い。困ったことないよ。」
自分本位な神威にしてみれば、自分に主導権を握らせてくれれば自分で気持ちの良いようにするし、必要であれば必要なことは教える。長時間文句を言わず、つきあってくれれば問題はない。それに経験の少ない彼女の中はきついので、それだけで十分良かった。
「はどうなの?…って聞く必要ないか、いつも泣いてよがるもんね。」
「ちょっ、」
「本当に可愛いよね。日頃すました顔してるのに、縋り付いてきちゃってさ。」
神威が軽く言うと、は顔を真っ赤にして神威の口をふさごうとする。
「良いじゃないか。本当なんだから。」
情事も長時間にわたれば理性が焼き切れる。彼女もそれは同じで、いつもの強がりも強固な理性も意味をなさなくなる。神威はその瞬間、泣いて縋り付いてくる彼女の姿を見るのが好きだし、何より嗜虐心を煽る姿だ。
だから神威もやめられなくなる。少しでも彼女の、狼狽える姿を見ていたいから。
「俺はに、満足してるよ、だからこれからも頑張ってね。」
地球人にとっては体力的に辛いだろうが、が神威を完全に拒否したことはない。なんでなのか、神威にはわからないけれど、こうやって甘やかしておいた方が良いかな、と本能的にわかるから、神威はを抱きしめる。
「…」
は何も答えなかったが、神威の胸に自分の頬をすり寄せて、強く抱きついた。
鎖
「え?…やめたの?」
は書類仕事をしながら、副官の龍山を見上げる。
「あいつな、やめたってか、船下りたぜ?」
龍山は訝しげな顔で首を傾げた。
あいつとは、先日新たな団員としてやってきて、契約も交わさぬうちに三回もノックアウトされて医務室行きになった、河南という夜兎のチンピラだ。どうやら彼は昨晩が眠っている間に意識を取り戻し、船を下りてしまったそうだ。
まだ契約書すらも交わしていなかったので、別に問題はない。
「団長が、ぶつかったらしくてさ。」
「ぶつかった?」
「俺もよくしらね。怖いから下りるってさ。」
ぶつかっただけで下りるとか、どんだけ意気地なしなんだよ、とぼやく龍山は、人づてに聞いただけで詳しくは事情を知らないのだろう。も今聞いたところなので、よくわからない。
「神威、ぶつかったの?」
はソファーで相変わらず、東と神経衰弱をしている神威を見やる。
「そうだっけ?俺知らない。」
神威本人の対応は素っ気なく、どうやら相手が誰だったかすら覚えていないらしい。おそらく神経衰弱に忙しいのだ。
「なんか団員が運んだって言ってたぜ?」
龍山はそう付け足した。は、河南が元々怪我をしていたとはいえ、それを心配してぶつかったくらいのことで医務室に運んでいくなんて、団員たちも優しいな、なんて心中で思う。ただそう思うのは、事情を知らないからだ。
「まあ、契約書交わしたら、死亡書類書くの面倒くさいから、良いけどね。」
もともと強者なのかどうかも確認せずに他人に喧嘩を売るような奴、第七師団では長生きできまい。契約書を交わす前に出て行ってくれたのなら、それ以上にありがたいことはなかった。
「それにしても面白いピアスだったよな。鼻の奴。」
龍山はけらけらと河南を思いだして笑う。
「やんきーうしー!」
東がトランプのカードを持ったまま、手を振り上げた。どうやら同じカードを見つけたらしい。ただ次にめくった二枚のカードは全く異なるものだったらしく、もう一度カードを裏に向けた。
「ヤンキー牛かぁ、確かに。イメージそのままのチンピラだったね。今時あんな典型的なの、いるんだね。」
は目を細めて河南の姿を思い出し、口元に手を当てて笑った。
河南は明らかに染めたとわかる金髪のリーゼントで、鼻と耳には大量のピアスがついていたから、それが誰にとっても印象的だったのだ。しかも少し殺されかけたくらいで立ち上がれなくなるほど怯えるとは、第七師団に入るにふさわしくない。
「あんな奴、すぐ死ぬから、命拾いしたんじゃないの。」
神威はぴらりとトランプのカードを二枚めくる。スペードに2とダイヤの2だ。更に二枚めくったがそれも同じ数字で、神威は口角をつり上げ、東の口角が下がる。そのままなお一枚めくる、それは先ほど東がめくった数字と同じで、「えー」と東はとうとう声を上げた。
「今日は俺の勝ちだね。」
神威は息子に向けてにっこりと笑う。
既にテーブルの上に残っているカードは少ない。その全てを東がとったところで、今回は神威に勝てそうではなかった。
「ま、死んだ人がいなくて良かったよ。」
「まったくだ。団長にぶつかったくらいでびびってやめるような奴いらねぇーし。あんな喧嘩っ早いと喧嘩も増えるしよかねえよ。」
「龍山もよく喧嘩して物壊してる奴が、自分を棚に上げてよく言うわ。」
龍山の言葉にはさらりと反論して、書類を隣の束に置いた。L字の机の片側で書類仕事をしていた阿伏兎は、暢気な二人の会話から視線をそらす。
昨日、が眠ってからだろう。夜になって部屋から出てきた神威は、河南とぶつかった。しかも走っている時にぶつかったというのが本人の言だが、河南は全身複雑骨折という状態で、それを見ていた団員たちによって医務室に運び込まれた。
神威は「あ?ごめんネ?」なんて適当な謝罪の言葉とともに颯爽と去って行ったそうだ。
ただ団員も河南がに掴みかかったという話は聞いていたので、扱いが非常にぞんざいで、最後には団員たちがげんなりするほどに、助けてくれ、船を下りるからと泣き叫んだそうだ。あまりに酷い狼狽えようで、殺すにも張り合いがなく、団員たちは着陸していた星のポートに置いてきてあげたらしい。
河南は泣いて喜んでいたそうだ。
「…本当に、鈍いもんだよな。」
阿伏兎は楽しそうに話していると龍山を眺めながら、白い目を向ける。
神威はに対して存外執着している。河南本人に悪気はなかったとはいえ、彼女に掴みかかった人間を、ただで許すはずもない。偶然ぶつかって相手も覚えていないようなことを言っているが、悪意があったことは明白だ。
実際に彼が団長になってからも、衝突して相手の骨を折ったなんて聞いたことがないし、そもそも宇宙船の中に、彼が全速力で走るほどの理由があるとは思えない。
は河南がそれほど重傷を負わされたなんて想像もしていないだろうし、神威がそれほどに自分に対して執着していることもしらない。裏で手を回していることにも、気づかない。
「なんか物言いたそうだネ。阿伏兎。」
阿伏兎が黙り込んでいると、ふといつの間にか神威が振り返っていて、いつもの貼り付けたような笑みを阿伏兎に向けていた。
「いんや、なーんもありませんよ、団長殿。」
阿伏兎はペンを置き、降参を示すように両手を挙げた。
第七師団としても、阿伏兎としても、わざわざことの顛末をに伝える必要はないので、そんなことするはずもない。団員たちも、が無駄な争いを嫌うことは知っているため、口が裂けても神威がしたことも、自分たちが河南を放り出したことも言わないだろう。
こうして、彼女の知らないところで、いつの間にか彼女の平穏は守られている。
「むい、ずるいー。」
東が唇をとがらせて神威に言う。
「ずるくないヨ。正々堂々と勝負してるだろ。」
神威はクスクスと笑って、東の額を軽く小突く。東は不満そうな顔をしていたが、それをころりと変えて笑った。はそんなふたりの姿にその静かな漆黒の瞳を細める。
阿伏兎はそんな彼を横目で見ながら、今日も変わらない一日が始まることを確信した。
新人の逃亡