神威がシャワーをしてリビングに入ると、彼女は着物を着替えてリビングのソファーに座ってぼんやりしていた。
不安なことがある時、はなにかに没頭しようとする。何もせずに頭の中で考えると言うことが、あまり好きではないだろう。きっと辛かった過去を思い出したり、どうしようもないことに苛まれるから、ワーカーホリックでいたいのかも知れない。
「俺のこと、考えてよ。」
神威はソファーの背もたれの方からに手を伸ばし、抱きしめる。抱きつくのに邪魔だから、高くも低くもない位置にある束ねた髪を解くと、ふわりと収まりの悪い銀色の癖毛が広がった。
「…ごめん。」
「何が。」
「なにか?」
そういうの漆黒の瞳は神威の方を向いていなかったけれど、目尻が下がっていてとても寂しそうだった。
「ねえ、はさ。何で俺がいいの?」
神威はから離れ、代わりにソファーの背もたれを超えて、ソファーの上に胡座をかいて彼女の方を向いて座る。は膝の上でぎゅっと白い手を握りしめる。
「…居心地が、良いから、だと思う。」
声は少しだけ震えていた。
神威の傍は、居心地が良い。彼は気楽で、単純で、考えていそうで、何も考えていない。怪力に物を言わせてなんでもする、気に入らなければすぐに手が出てくる。嫌なことは嫌で、好きなことは好きで。清々しいほどに自分の心のままに、素直に生きているから、きらきら輝いて見える。
はすぐにマイナスなことを考えて、どうしても俯いてしまう。たくさんの人を殺して、その業にすらも、東がいなければ耐えられないような弱い人間だ。だから強さに憧れるし、単純に好きなことだけやって生きてる神威に、憧れる。傍にいると自分もそうできる気がする。
それは幼い頃、兄や幼馴染みがいた頃と、よく似ているから、たまに怖くなるけれど、神威といるのは居心地が良い。自分で決めたことだ。多少無理しても、離れたくないし、ここにいたいと思っている。その気持ちは本当だ。
「でも、わたしだけ居心地が良いと、不公平だし、だから出来ることなら、なんでも、するよ。」
は俯いたまま、たどたどしく言葉を選んではいたけれど、そう言い切った。なんだか申し訳なさそうな彼女に、神威の方が首を傾げる。
神威は結構なことを彼女にしてもらっていると思う。
戦いたい強者がいればすぐに舞台を用意してくれるし、強い奴が良そうな戦場を探してくれることもしょっちゅうだ。神威がわがままを言ってもそこそこ「仕方ないなぁ。」の一言で聞いてくれる。多分神威がしてもらっていることの方が多い。
彼女は何を不公平だなんて言っているのだろう。
「じゃあさ、は俺をもっと優先してよ。」
神威はの身体を引き寄せて、顎を掴んで上を向かせ、その漆黒の瞳を無理矢理見下ろす。驚いたように見開かれた丸い漆黒の瞳は夜みたいだし、銀色の髪は月のようだ。
どうせこの身は太陽の下に生きることは出来ない。でも、神威は月を手に入れた。
「もっと俺のことをちゃんと見てよ、他人なんてどうでも良いだろ?居心地が良いなら、一番隣にいるようにしなよ。の考えてること、たくさん俺に話してよ。」
「でも、そういうの鬱陶しいでしょ」
「そんなことない。もっと、俺を構って、俺のこと考えて、俺のためにいろんなことしてよ。」
軽く啄むように唇を軽く重ねると、は途端に恥じらうように視線をそらした。
「あり、本当には恥ずかしがり屋だ。」
「だって…」
言いよどんで、神威から離れようとする。
「だーめ。俺を構ってよ。」
神威が勢いのままに抱きつけば、細い身体は神威の体重を支えることが出来ず、ソファーに押し倒される。見下ろせばは少し驚いた顔をして身を起こそうとするので、先に刀を腰帯から取り上げ、そのあたりに放り投げた。
この場で刀なんて、野暮だろう。刀を持つはどこまでも強いけれど、それがなくなれば彼女は非力で、夜兎には敵わない。
「俺、美人とか巨乳好きだったんだけどね。」
昔の神威は美人が好きだった。やっぱり美人であれば初対面で強烈な印象が残るし、ついでに胸や尻が大きければ、愛着なんて全くなくてもそれなりに性的魅力を感じるものだ。下半身は別物というのは、間違いない。
の見た目は確かに可愛いが、美人ではない。どちらかというと服装も伝統的な衣装のため目立ちはするが、派手系ではなく、どちらかというと地味だ。漆黒の瞳は落ち着きすぎていて、その服装によくあっている。
でも、今はその漆黒の瞳が潤んだり、すました顔が快楽や愉悦に歪むのを見るとなんだか満たされるのだから、実に不思議なものだ。
趣味が変わったんだろう。に出会って。
「…そういうこと、言われても、わたし、翠子みたいに胸ないし。」
は漆黒の瞳を不安そうに揺らして、神威の服をくいっと引っ張る。
翠子が何を言ってもはむかつかないのだろうと悔しく思っていたけれど、そうでもないらしい。少なくとも翠子の体型を確認する程度には、は彼女のことを気にしていたのだ。話を聞いていなかったのも、現実逃避だったのかも知れない。
翠子のように神威の肌に触れてきたり、わざとらしく誘うことはないけれど、袖を引っ張ってくる方が可愛い。
「別にそんなの良いよ。どうでも。」
日頃強そうな彼女の伏せられた睫がおずおずと上がる瞬間とかぞくりとするほどそそるし、そういうわざとではない、自然な動きで良い。
ギャップ萌ってやつなのかもしれない。
「それに、できることならなんでもするなんて、殺し文句も聞けたしネ。」
神威がこれ見よがしに笑ってやれば、一瞬何を言っているのだろうと神威をじっと見上げて、眉を寄せる。
「冗談だと思ってる?女に二言はないよ。強い人捜しでもなんでもしてあげようさ。」
「どうしてそうなにかと男らしい方にとるの。もうちょっとさ、色っぽい方にとりなよ。」
可愛いなんて思っていたけど、今ので萎えた。
神威は深く息を吐き出して、の腕をとり、身を起こさせる。は邪魔だと思ったのか、片手で神威に解かれた長い銀色の髪を自分でかき上げ、肩をまたいで片側へと流した。現れる折れそうな程細い首筋やかき上げる白い腕。
やはり彼女は自然だけれど、神威を誘うのはうまい。
「昼は淑女で夜は娼婦のようにって言うけど、おまえは昼は強者で、夜は弱者だよね。」
クツクツと笑うと、意図を察したのかは僅かに頬を染めて、知らない振りをするように視線をそらしたが、はたっとなにかを思い出したように神威の方を向いた。
「そういや、阿伏兎の言ってた翠子と別れた原因が翠子の浮気って本当?」
「うん。そうだよ。」
つきあってるなんて思ってなかったから放って他の女抱いてたら、あっちも浮気してたから別れた、なんての前では言えず、神威はソファーで足を組み直して頷いた。
結婚していたとは言えの恋愛事情は恐らく非常に清く正しく美しいのだろうが、生憎親元から離れ、傭兵をしていた神威の恋愛事情は全く美しくない。むしろ爛れたものの方が多いので、聞かれても正直困る。
「すごいね。絶倫の神威相手して、まだ他の人だなんて考えられない。流石夜兎だね。」
はしみじみと感心したように言う。
翠子とつきあっていた当時、神威は絶倫と言われるほどではなかったし、そんな何回も翠子に対して行為を望むほど持続的な性欲は感じなかった。ただは素直に翠子に対して敬意を持っているようで、神威は少し複雑な気分になる。
「ねえ、、俺との夜の生活、結構不満ある?」
「不満はないけど、肉体的限界はあるかも。」
「…善処するヨ」
なんて口だけ言って見ても、無理だろうなと神威は考えてから、何故この話になったのかと発端に思い至る。
翠子は神威と別れた理由が自分にとってマイナスであることは理解できているだろうから、には口が裂けても言わなかっただろう。なのに何故、そんなくだらない話がの耳に入ったのだろうか、不思議だ。
「、…それ、誰に聞いたの。」
「阿伏兎、だけど。」
鈍いはそれが阿伏兎の身を危険にさらすとわからない。
「そっか。ま、アズマもいないし。今日はゆっくりテレビでも見てだらだらすごそ。」
神威はごろっとソファーの上に転がる。
「…東がいてもいなくても、貴方は転がってるでしょ。」
はため息をついて、でも結局は神威には敵わないし、疲れていたので、少し昼寝をすることにした。そんな彼女を見上げながら、神威も目を閉じる。
わかればやっぱり彼女は白い