「行くよー。」



 神威は軽い調子で言って、野球ボールを傘で東の方へと打ち出す。すると刀を持っていた東は、上手にそれを刀で切り落とした。まだ幼いので袖の広がった、ワンピースのような中国服に、小さな手。持っているものは刀なので厳ついけれど、一見すれば幼子と父親の微笑ましい光景だ。

 ただ、ここは宇宙海賊春雨、第七師団の鍛錬場である。



「おいおい、こんなところで何やってんだ。おまえさんたち。」

「…神威と東?」



 たまたま通りかかった阿伏兎と書類を持ったままのは鍛錬場に入る。

 団員たちも興味があるのか鍛錬場の入り口には人だかりが出来ている。入ってこないのは、神威が鍛錬場を使う時に入ると、戦いの相手をさせられ、そのまま殺されることがよくあるからだろう。ただ今日は神威と一緒に小さなの息子がいた。



「やっぱ小さい頃から身を守る方法は教えておくべきだと思うんだ。強くなってもらわないと困るからね。」



 神威は満面の笑みで傘と野球ボールを構えていた。



「身を守る、ねぇ。」



 阿伏兎は顎に手を当てて感心する。

 常日頃から思っていたが、神威はの連れ子である東に本当の父親のように接しているし、大切にしている。実母のはずのの方が東によそよそしく遠慮がちなくらいだ。神威のことだから殺しの方法でも一番に教えそうだと思っていたが、予想に反して身を守るための、刀の使い方を教えるつもりのようだ。

 の方が頭脳という点では何でも出来るし、賢いわけだが、彼女は息子にほとんど教育を与えない。教育というのは勝手に自分でやるものだと思っている節がある。それは彼女自身が賢いからだろう。

 対して神威は少なくとも息子に寄り添って、一緒にやる。だから東も実母よりも神威に懐くのだ。



「刀まで持ち出して、まだ早くない?やりたくなったら勝手に見て覚えるよ。」



 は刀を振っている東を見て、小さく息を吐く。

 背が小さいためまだうまく鞘が払えないから、そのまま刀の柄を持っている。柄の持ち方も悪く、神威から投げられる野球ボールもどちらかというと斬ると言うよりは刃をボールに向けて打つ、に近い。要するにバッティングに近しいのだ。

 剣術をきちんとおさめているから見れば、これを剣術とは言わず、眉を寄せる。



「アズマはやってみたいよね?俺、楽しいヨ。」

「うん!ぱぴーたのしそう」

「…それ、団長の影響じゃね?」



 阿伏兎は呆れたようにため息をつく。

 子供なので、父親が楽しそうにしているのを見れば、やってみたくなるのだろう。神威相手では非常に危険な考えだと思うが、子供なんてそんなものだ。親に言われれば何でもやる。



「子供の自主性に任せる俺の教育方針になんか文句あるの?阿伏兎。」

「いや、滅相もない。ご自由にどうぞ。」



 阿伏兎はぶんぶんと全力で首を横に振って否を示す。




「そんなの勝手にやりたかったら見て覚えるでしょ。」

「子供に血まみれみせるの?教育に悪いよ。」



 の言葉に、神威は腰に手を当てて呆れたように首を振ってまっとうな意見を返す。


「…強くなって欲しいんじゃないの。」



 神威はいつも、東を育てているのはの息子で、強くなりそうだからと言うが、彼の教育方針だけは全うだ。自分に当てはまることではないところが、ダブルスタンダードというヤツか、反面教師なのか、にはわからない。ただ、ひとまずまともだ。



が教えないなら俺が教えるしかないでしょ。それに夜兎と違って腕力がないんだから、刀の方が良いだろ?」



 神威は悪びれもなくそう言った。

 自分が殺し甲斐を求められるくらい、息子には強くなって欲しいから、神威も一応向き不向きは考えている。

 夜兎の神威たちが扱う傘は、銃としての機能もあるため重たい。男だったとしても地球人の東が扱うには重たい。それに対して刀は傘や人体を一瞬にして切り裂く力があるが、重たくはなく、がしてみせる居合いなどは女性でも十分に出来るくらい、力より技術を必要とする。

 鍛練を積めば、鉄だろうが銃弾だろうが、人の首だろうが一瞬で切り落とすことが出来る。

 ただ神威は剣術などちっとも知らないので、ひとまずが銃弾を刀で切り落とすのを見ているため、野球ボールを切り落とすところからはじめさせようと思ったようだ。ただし刀の持ち方も、振り方も全く異なる。

 単に打者がバッターボックスに立っているだけのようだ。斬ると言うより動作は打つに近い。




「良いかもしれないけど…、全然駄目じゃない。ほら、持ち方がまず、違うよ。鞘の払い方も知らないでしょう?」



 は書類を近くにいた副官の赤鬼に渡し、東の頭を軽く撫でる。

 神威と一緒に暮らすようになってから、東を神威に任し、仕事ばかりしていてあまり東を構ってやっていないから、たまには良いだろう。



「よく見ててね。」



 は一度振り返って、息子に念を押すように言う。

 他人に手本を見せるなんて言うのは、本当に久々だ。松陽の教えていた塾で、門下生を教えた時以来かも知れない。

 努めてゆっくりとした動作で柄に右手を当て、左手で鯉口を持つ。鍔を親指で上げてしまうのは、自身の癖なので、今はしない。次の瞬間、神威の傘の切っ先が、に向けられる。撃ち出された銃弾は、迷いなくの心臓を狙っていたが、視線をそらすこともなくはそれを刀で切り落とした。



「やっぱ飛び道具じゃ無理だね。」



 神威はそう残念そうに言ったが、口元はにんまりと笑っていて、青い瞳は満足げに細められている。は東にも見てわかるように、ゆっくりと刃の切っ先を鞘へと収めていく。



「わかった?もう一回やろうか?」




 は鯉口に左手を当てたまま、息子を振り返る。すると東は漆黒の瞳をまん丸にして、を見ていた。



「え、なに、その反応。」

「マミーって、ホントはすごい?」

「…」 



 手本を見せてやったのになんだこの酷い言いぐさ。は息子を見下ろして、複雑な気分になった。

 確かに仕事ばかりにかまけて構ってやらなかったが、神威や団員と喧嘩をしているところを見ている限り、が強いなんてことはわかっているかと思っていたので、少し心にずきっとくる。弱いと思われていたんだろうか。



「姉御はすごいんすよ。坊ちゃん。団員で勝てる人なんていないですし、団長とまともに争えるのは、この人だけですよ。」



 ついてきていた赤鬼が、取り繕うように身をかがめ、東に言う。



「うっそ。パピー、いちばんにきまってる。」



 東はぷいっとそっぽを向いて、神威の方へと駆け寄ると、勢いのままに彼に抱きついた。

 今となっては東も、何となく神威と血がつながっていないとか、とはつながっているとかそういうことはわかっている。でも彼にとって仕事ばかりをしていてあまり構わない母親よりも、遥かに神威の方が慕わしい存在なのだろう。

 神威は傘を放り投げて危なげなく東を両手で抱き留めると、軽く頭突きをかました。



「っっいったーーーー!」

「マミーに酷いこと言わないの。」

「うー、いたいよー、っと!」



 東は頬を膨らませたが、次の瞬間、神威の肩に手をついてそれを支えにして身体を反転させ、神威の頭に回し蹴りを食らわせた。夜兎の神威にとって、幼い地球人の東の回し蹴りなんて、顔面で受けたところで痛くもかゆくもない。



「アズマ…」



 痛くはないけれど、顔に何かされれば、それが毛で頬を撫でられただけだったとしても、鬱陶しいしむかつきはする。

 神威は東に手を伸ばすが、彼の腕から飛び降りた東は神威の落とした傘をとって、傘を開いて蹲る。そのまま2,3発、神威めがけて銃弾を撃ち込むが、まだ反動を押さえ込めるほどの腕力はないため、狙いは良くない。神威はそれを軽くよけて、間合いを詰め、開かれた傘を蹴り上げる。

 だがそこにあったのは、穴だった。神威によって蹴り上げた傘が、あっという間に穴に吸い込まれるべく円を描いて戻ってくる。掴むもののない場所で、蹴り上げたその不安定な体勢の神威は、穴に落ちる以外に方法がない。



「あ。それ、まずい。」



 はその穴がなんなのか一瞬で理解したらしく、神威に手を伸ばす。

 神威も本能的に何かを悟ったのか、視界の端に映ったの手を咄嗟に掴んだ。瞬間、神威の身体は大きく引っ張られる。神威の周りにあった野球ボールの切れ端が、あっという間に人ひとり余裕で通れそうな程大きな穴に消えていく。

 まさに掃除機のような吸引力で、あたりのものはすべて穴へと吸い込まれ、見えなくなっていった。どうやら穴は外につながっているらしい。



「赤鬼!」




 は神威の手を掴んでいたため引きずられ、僅かに身体が浮いたため、副官の赤鬼に早々に叫んだ。赤鬼が慌てた様子での腰を掴む。荼吉尼で身体も大きな赤鬼は難なくの身体を柱に押さえ、それに伴ってに掴まっていた神威も何とか柱に手をかけた。



「何がどうなってんだよ!ちくしょ!!」




 阿伏兎は事態が飲み込めないのか、柱に掴まって飛ばされないようにこらえている。



「大丈夫?」



 赤鬼にかわって、神威がの身体を腕で押さえる。地球人、しかもには自分で柱に掴まるほどの力はない。ただの目は神威よりずっと冷静に自体を見ていた。



「赤鬼、そこの鉄板大きいでしょ、はがして。」

「はがしたら、あそこに吸い込まれちまいますよ。」

「吸い込まれない。あの、鉄板大きいから。」

「わかりました。」



 赤鬼が柱に掴まった状態のまま、その大きな鉄板を片手で引きはがす。正しその鉄板はすぐに穴の吸引力に負けて、吸い込まれるように穴へと向かったが、鉄板は自然にそこにはまり、穴をふさいだ。途端に浮くような吸引力がすべてなくなる。

 それを確認して、神威以外の全員が安堵の息を吐いた。






やんちゃ