結局阿伏兎と副官たちに宥め賺され、神威に脅されては自分の誕生日を先取りという形で、1週間ほど休みを取ることになっていた。第七師団は資材の搬入や第一師団への視察の準備のため、比較的安全で豊かな星に停泊しているため、出かけるのも問題ない。



、早く行くよ。」



 神威がをせかす。



「わかってるよ。」



 はフードつきの羽織を着て、ゆっくりと彼に続いた。

 よく考えてみれば、三人揃って外に出て、丸一日出かけるなんて、かれこれ一年ぶりだ。船が停泊すれば神威はいつも東を連れて買い物などをしていたが、はいつも船で仕事をしていることが多く、任務以外に外に出ることはなかった。

 隣で東を抱え、傘をさして歩いている神威をは見上げる。東は神威に抱かれることになれてしまっているし、何か起こったり、攻撃されたりした時にどうするかも、よく理解して行動する。慣れているのだ。

 そのため神威の腕に抱かれている東は、いつも神威を見ている。彼が出す指示や表情の変化を見落とせば、危険を回避できず自分の命に関わるとよくわかっているのだ。逆にいつも一緒にいる神威も、東に何が出来るのか、出来ないのかをよくわかっている。


 だが、はどうだろう。



 今となっては母親だというのに、東に何が出来るのか、出来ないのか、よくわからない。東のために自分は生きているはずなのに、生きなければならないと思っている。そのために生きている。

 なのに、は息子のことを今や何も知らない。

 もともと自分には義父だけで実父母の記憶はないし、義父ですらも養女のには遠慮もあったらしく、あまり干渉してこなかった。もちろん金銭的にも、芸事などもさせてもらい過不足なく与えられていたが、特別躾や教育をさせられたりした記憶はない。だいたい兄を見て自分で覚えるものだと思っていた。

 だから、一人目の子供である東に、親としてが何をすべきなのか、神威のように自然に接することが出来ず、正直戸惑い故に避けたまま、こんなことになったのだ。



「ぱぴー!あめ、りんごのあめ!」



 東はばんばんと神威の肩を叩いて近くの露店にあったリンゴ飴が食べたいと願う。

 といると借りてきた猫のように大人しい東は、神威の前ではわがままも言うし、当たり前のように願い事を口にする。



「だーめ。お昼ご飯食べてから、」

「やだー!あめ!」

「駄目って言ってるだろ。あんまりわがまま言うと殺しちゃうぞ。」




 物騒なことを神威が言うが、慣れている東はちっとも怯まない。



「いや!あめー!」



 東は神威の腕から飛び降りると、の隣を通り抜けてリンゴ飴屋に向かう。



「ちょっと、止めなよ」

「え、え、あ、」



 神威が不満そうに腰に手を当てて言うが、もう東は行ってしまっている。



「でもお金なんて使い方知らないで…」



 は振り返ってリンゴ屋を見れば、何故か東は手にお金を持っていた。彼の手元には何故かの財布を持っている。



「え、あらら。」

「あららじゃないよ。本当にってば不注意だよね。責任取ってが食べてよ。」

「え、わたしが食べるの?どうして?良いじゃない。ご飯の代わりにしたら。」

「駄目だって、そういう発想が良くないんだよ。」



 神威は逆にに怒って息を吐く。

 は安易に食事を東に与えるし、置いてあるおやつを勝手に食べても怒らないが、神威はきちんと時間を区切り、おやつもいつでも与えるわけではない。まさに躾に厳しい父親というヤツだ。



「ふぅん。もうお金とか使うんだね。」

、おまえどんだけアズマのこと馬鹿にしてるの。おまえの子供だろ?相当頭が回るよ。」

「そう。」



 はそれ以上の返事を持たなかった。




「そう、じゃないの。子供って賢いんだよ。見てごらんよ。」



 神威は眉を寄せて東を示す。東は持って帰ればすぐに神威に取られるとわかっていたせいか、小さな苺飴を買って、すぐに口の中に放り込んでいた。ただまだ口が小さいので、一つは口に入ったが、それ以上は入らないようだった。



「…賢いって言うか、ちょっとせこいね。」




 は思わず口元に手を当ててそう感想を口にしてしまった。神威は東に駆け寄ると、すぐに小さな頭を軽く叩く。


「っ、いたい!パピーいたい!!」

「痛いじゃないよ。だめって言っただろ。まったく。」



 当たり前のように怒る彼を、はぼんやりと眺める。

 これが親のする躾というものなのだろう。ただは兄に怒られたことはあっても怒ったことはあまりないし、親がいないのでよくわからない。泣かれたらどうしようとか、考えてしまうので、今となってはほとんど手が出ないのだ。

 神威は東の服の首根っこを掴んだが、赤い子供が着るワンピース型の中国服は、あっさりと脱げた。彼が一瞬目を見開いた隙をついて、東は残っていた苺飴を自分の口に放り込む。



「…あーずーまー?」



 貼り付けた笑顔ながら眉だけ寄せて、神威は膝をついて東の頬を両手でむぎゅっと挟む。だがすぐに東は体を反転させて、彼の手を蹴りつけた。手が緩むと、東はすぐに逃げ出す。



「わたしにこの面倒見るとか、無理じゃない?」



 思わずはそう呟いてしまった。

 神威に育てられれば、子供は自然と頭で彼への対処策を考える。バイオレンスで遠慮のない彼に対抗することを常に考えている東は頭が良いこともあり、神威の隙をつくことを覚えた。段々では御せないレベルになりつつある気がする。



「それを殴り飛ばしてでも御すのが母親だろ。」

「…御せない子供作ってる気がするんだけど。」

「気のせいじゃない?」



 神威は軽い調子で言ってみせる。はそんな彼を眺めながら、自分の存在価値ってどこに行ったっけと、少し寂しくなった。

 自分がいなくても、東は神威がいれば大丈夫だろう。だとするなら、自分がここに生きている意味なんてない。ざわりと心を支配していく、殺した人間たちの闇にとらわれそうになっていると、ふと自分の所が影になる。



「なに暗い顔してるの?」



 神威の傘が、の体を影で包む。



「うぅん、なにも。」



 は誤魔化すように小さく笑って、足を踏み出す。

 自分の心の闇なんて、今向き合う意味なんてないし、それを口にする必要なんてない。それに彼は良くしてくれている。子供の面倒もよく見てくれる。にとって彼の傍は一番居心地が良いし、それを口に出すことによってこの居場所を失うのは嫌だった。



って、本当に言葉が足りないよね。」




 神威が珍しくその細い眉を寄せて、の顔をのぞき込んでくる。その澄んだ青い瞳が感情を見透かすことをよく知っているは、誤魔化すように視線をそらした。



「まみ?いたい?」



 東が神威と同じように眉を寄せて、の沈んだ顔を全く異なることと勘違いしたようだ。



「え?なにが?」



 は東が問うている意味がわからず、首を傾げる。神威はそんなの様子を見てから、軽く彼女の頭を小突いた。



「…もうちょっとちゃんと子供見なよ。」



 ちょっとしたいたずらによってに怪我をさせたことを、幼い東は存外気にしていた。だから彼女の沈んだ表情を、手の痛みだと勘違いしたのだ。

 神威が東に手をさしのべているのは決して、綺麗な感情からではない。ただ少なくともよりは、東の気持ちが理解できると思う。妹がいて、母が病弱で、いつも構ってもらえない、心配はかけてはいけないという思いを抱えていたことを、忘れていないからだ。

 は孤児で、兄と義父はいたが、母や両親はいなかったという。子供が母親を気にする気持ちがよくわからないのだ。

 そう、多分二人は育ってきた環境も、考えていることも、違う。だから二人でいる時間を大切にしながら、いろいろ話し合うべきだと神威は思っているけれど、基地の存在たちの中でしか人間関係を作り上げたことのなかったには、やっぱりよくわからない。



「たくさん話してって言ってるのにね。」



 神威はの手を取って、一緒に歩き出す。も少し不思議な顔をして、でも手を握り返してくる。


 傍にいるために、ゆっくりとわかっていくことが大切なんだと、神威は知っていたけれど、まだはよくわかっていないようだった。








言葉足らず