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 の誕生日が近いから、何か買ってやろうと思って神威は息子の東とも話し合っていたのだが、仕事人間である彼女の欲しそうなものがよくわからない。だから休みを取って外に出て、たまたま立ち寄っていた星の市場まで連れて行ったのだが、彼女は首を傾げるばかりだった。


「欲しいものなんて、ないけど。」



 酷く困った顔をして、彼女は言う。



「なんかないの。」

「本とか?」

「しょぼい。」



 神威は彼女の答えにそう返した。

 誕生日プレゼントに本だなんて、どこの子供のプレゼントだ。誕生日にわざわざ贈るようなプレゼントではない。

 彼女は読書こそよくするが、基本的に物欲はない。着物なんて言っても、だいたい彼女が自分で作っていたりするので、布だけ買ってやるのも誕生日にしてはしょぼい気がする。宝飾品を彼女が付けたのも見たことがない。せいぜい値が張る物と言えば刀くらいの物だ。

 神威がじっとの刀を見ていたせいか、彼女は視線に気づいて小さく笑う。



「刀はね、もう足りてるよ。二振りもあるし。侍の魂だっていうしね。」



 は腰に差されている二振りの刀に左手で触れる。



「たましい?」



 神威の足下にいた幼い東は、言葉自体の意味がわからなかったのか、その言葉を反芻した。



「魂って言うのはね、心だよ。」

「マミーの、こころ、なの?」



 細い眉が寄る。まだ幼い東に入っている意味がわからないのだろう。ただそれは神威にとっても一緒で、青い瞳を何度か瞬く。



「まあ、それは一般論だよ。別に刀を持ってたからと言って侍というわけでもないし、刀を持っていなかったからと言って、侍でないと言うわけでもない。」




 は実に曖昧な答えを返した。当然神威にも理解できないのだから、東はもっと不思議そうな顔で母親を見上げていた。

 を“侍”と呼ぶ天人たちがいる。

 地球で大きな戦争の際に刀一本で圧倒的な天人の科学力に立ち向かった、脆弱な地球人の一部。ただ天人が優位に立つと考えられたのに、頑強な抵抗を示した。今でも語り継がれる、天人も恐れる地球の化け物たちだ。

 彼女がわざわざそれを名乗ることはないが、彼女を知る周りの人間は、たまにそう言う。



「サムライって、結局なんなのさ。」



 刀を持っていても侍ではないのだろう。なら、“サムライ”とは何なのだろう。

 元老の終月も言っていたが、皆言うことが曖昧でよくわからない。少なくとも神威が知っている中でと、彼女の友人である坂本は“サムライ”という生き物らしいが、“強い”以外によくわからない。ただ戦う相手として、強いと言うことだけわかれば、神威には十分だ。

 実際に目の前にいる“サムライ”だというは、強い。だから、知りたい。



「さあ、なんだろうね。」

「おまえの先生は教えてくれなかったの?」

「教えてくれたよ」



 は小さく息を吐いて東に手を伸ばすと、久々に息子を抱き上げて、口元に柔らかい笑みを浮かべる。その目には確かな愛情がある。



「武士道とは、弱き己を律し、強き己に近づこうとする意志。自分なりの美意識に沿い、精進するその志。」



 歌うように流れるその言葉は、彼女のものではないだろう。



「坂本はわたしに今はわたしも侍、武士だと言ったけれど、わたしはそうは思わないな。」

「おまえ強いだろ?」

「今の話聞いてた?物理的な強さの問題じゃないよ。侍っていうのは言って見れば神威の言う、強き魂ってやつ、かな。」



 はこつんと息子の額に自分のそれを押しつける。



「東のためにたたき上げた強さはあるけど、美意識なんてないね。誰よりも強くて、生きて、東を守れればそれで良い。」



 師の与えた教えを、自分は満たしていない。だから、侍ではない。そう言う彼女の言葉は、ある意味で正しいのかも知れない。でも、彼女は子供を、自分の未来を守ることを筋として、弱い己を律し、強い己に近づこうとしている。

 それこそが、自分なりの美意識なのではないだろうか。だからは強いのではないかと、神威は思う。

 守る者がある故に強くなる。それは神威にはよくわからないけれど、間違いなく彼女が強い心を持つのは、彼女自身が強かったわけではなくて、東を守りたいから強くなった、そういうことなんだろう。それを否定する気はない。



「ま、どっちでも良いよ。じゃあその刀はいらないの?」

「侍としてはいらないけど、わたしとしてはいるよ。」

「でも、おまえの話を総合すると、サムライに刀は必要ない。要するにこれは、ただの武器だろ?」




 侍の心を示さないのならば、武器は所詮、人を殺す、そのためのものだ。

 神威が武器として持っている傘はよく壊れるし、壊される。だから第七師団には夜兎が傘を壊した時のために、たくさんの傘がストックされている。それに対しては刀を立った二本しか持っていないから、予備は持っていても良いはずだ。

 ただ戦士は首を横に振る。



「あはは、普通ならね。でも、これはかえのきかないものなんだよ。わたしにとってはね。だからこれ以外を持つ気はないの。」



 いつもはぼんやりしている漆黒の瞳は、どこか寂しそうな色合いをたたえる。細い指が触れる、漆黒の紐が巻かれた柄にはすり切れた部分もある。彼女はその刀とともに、戦場を駆けてきた。



「なんで?軽い魂だね。」

「違うよ。わたしの大切な人たちの、形見だからだよ。」

「誰の形見なの?」

「義父と、先生のね。」



 柔らかい声音は、それでも悲しそうに響いた。

 は孤児で、実兄はいたが、実両親は知らないという。そんな彼女を育てたのは、彼女と兄を拾った彼女の“先生”と、養子にとった義父だったという。特に師が、彼女が参加した戦争の折りに処刑されたという話は、神威も聞いたことがあった。

 義父がどうだったのか、故人だということは知っているけれど、何故亡くなったのかまでは知らない。ただ、きっと不本意な死に方をしたのだろう。



「義父はね、この刀を自分の身を守るようにってくれたの。わたしがお兄と一緒に家を出た時にね。」

「…もう一振りは?」

「先生が、東がいるってわかった時に、心に決めた、大切なものを守りなさいって、くれたの。」




 義父と、師のことを語る時のは、酷く悲しそうで、愛しそうで、声をかけるのが憚られるほど寂しそうに見える。いつもは強くてすました顔をしている彼女が、壊れそうなくらい、消えてしまいそうに、弱く、儚げに見える。

 刀は所詮、武器だ。でも、彼女にとってはそれ以上の価値があるのだろう。同時にその価値は、故人たちの願いですらもある。



「義父は、どうしたの。」



 神威が尋ねると、は東を抱きしめたまま、柔らかく微笑むだけだった。漆黒の瞳に宿るのは後悔と深い悲しみだ。

 僅かに吹く風が頬を撫でて、彼女の白銀の髪を揺らす。

 彼女が抱える闇は、とても深い。子供がいなければすぐにその命を絶ってしまうほどに、深い罪悪感と悲しみと絶望がそこにある。

 神威は彼女の強さを心から愛しているし、彼女の頭脳と自分の強さを持った子供を産んで欲しいと思っているけれど、東がいなければ、彼女はすぐに自分を殺してしまうだろう。神威が敬意を表す、その強さとともに。


 だから、神威は東が自立するまでに、東以外の、彼女が生きる理由を作らなければならない。そのためには、彼女に東から自立してもらわなければ困るのだ。


 神威は、ずるい。東のことは嫌いではないが、同時にと東を切り離し、彼女に自分自身のことを考える時間を取らせようとしている。それは彼女に大きな絶望を抱え、東以外に生きる理由を見いだせない彼女には残酷なことだ。

 ただ、早く、早く彼女に東以外のものを見つけてもらわねば、彼女はいつか、その命を絶つ。だから、早く過去の悲しみや後悔を乗り越えて欲しい。子供への義務という形ではなくて、自分と生きて欲しいと願っている。




はむかつくね。」

「は?」




 神威が言うと、東を抱えたまま、はぽかんと口を開いた。神威は彼女から東を抱き取ると、の頬に唇を押しつける。



「な、なにするの、」

「ぐだぐだくだらないことにこだわるなよ。俺はここにいるんだから、」



 子供への親としての義務とかではなくて、こっちを見て、死んだ人間じゃなくて、今傍にいる、自分を見て。生きることを願って。

 そんな願いを直接口に出すことは出来ないから、神威は片手で東を抱えたまま、彼女の細い体を抱きしめる。



「今が大事だって、思いなよ。」



 死にたいほどに重たい過去ではなくて、今の自分を見て。今、隣にいる自分とともに生きて欲しいと、神威は柔らかな体を抱きしめながら、そう願っていた。