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「せっかく市場をあちこちまわったのにさぁ、本当に、って物欲ないから困るよ。」
神威は腰に手を当てて歩きながら肩をすくめる。
珍しく足下まである長い羽織を着て、すっぽりとフードを被っているはその彼の言葉が不本意なのか、くいっと神威の袖を引っ張るが、声は出さない。
「この際、ものでなくても何でも良いから、何か欲しいって言ってみなよ。誕生日、今日だし」
「いやな、んなこたぁ良いから、真面目に視察しろや。」
阿伏兎はつらつらとよどみなく文句を言う神威に、思わず言ってしまった。阿伏兎たちを案内してくれている気が弱そうな夜兎の男・燕は苦笑している。
「あはは、個性的ですね。」
彼は、神威のことをそう評した。神威はじっと燕と名乗っていた男を見て、またため息をつく。
燕は第一師団の一応副団長をしている夜兎で、青みがかった黒髪をした男だった。年の頃は20歳前後ととそれほど変わらないだろう。白い肌は夜兎らしく、背中には傘が携えられている。ただ、深い赤色の瞳は驚くほど目尻下がっていて、見るからに弱そうだ。
第一師団は戦闘部隊ではなく、基本的に闘技場とそれに伴う賭場の経営を主な資金源にしている。そのため当然、そこに所属している団員たちも、第七師団ほど強くはない。
「つまんないの。」
神威はいつも貼り付けている笑顔すらも、浮かべるのが面倒くさくて、頬を軽く膨らませて何度目ともわからない文句を口にする。
本日第七師団の母艦は、第一師団の母艦と連結されている。第七師団の団長である神威が、元老の命令で第一師団を視察することになっているためだ。ここは第一師団の廊下。への誕生日プレゼントの話など、今すべき場所ではない。
ただ、神威にとっては視察など心底どうでも良い話で、への誕生日プレゼントが未だに決まっていない方が問題だ。
「しっかりしろよー。正式な視察だぜ。視察。」
「うるさいな、阿伏兎が一人で行けば良いだろ。視察なんて面白くもない。」
「おまえさんな、一応団長なんだから、黙って頑張れや。」
「じゃあおまえが相手してよ。見るだけなんて退屈なんだ。それくらいなら、アズマの方がずっと面白い。」
神威は心底悩ましげにため息をつき、その形の良い青色の瞳に憂いを浮かばせるが、阿伏兎も阿伏兎でもう疲れ果ててげんなりだ。元々闘争本能だけの神威を止めるなんて、阿伏兎には荷が重すぎる。
なのに、いつもなら神威をうまく止めてくれるは神威の隣にいるが、一言も話さない。
視察時に女であることがばれると侮られることもあるので色々と厄介だ。かといって参謀兼会計の彼女が同席しないわけにはいかない。今回は彼女が着ているのは裾の長い、頭をすっぽりと覆える程長いまんとで、更に深くフードを被り、顔が見えないようにしている。極力声を出さないのも、高い声はすぐ女とわかるからだ。
背の高い阿伏兎から、背の低い彼女の表情は当然うかがえないが、フードの下では恐らく心底呆れた顔で神威を見ていることだろう。何度も神威の服を引っ張って自重を促す努力はしていたが、それくらいで止まる彼ではない。
「だいたい俺、見たってわかんないよ。阿伏兎が行けヨ。」
「おいおいおいおい、勘弁してくれや。」
阿伏兎は髪をかき上げ、目尻を下げる。
一体どうすれば良いのだ。このわがままな団長を。そう思って神威の橙色の旋毛を眺めていると、フード被っているがいい加減に神威のわがままを見るに見かねたのか、くいっと神威のお下げをひっぱった。
「なに?」
神威は首を傾げ、の方へと少し身をかがめる。は案内をしてくれている第一師団の燕に聞こえないように、彼の耳のすぐ傍に唇を寄せ、こそっと話した。
「第一師団は闘技場を経営していてあとで見に行けるから、大人しくして。」
「本当?強いヤツいる?」
「いなかったら、近くの星にある闘技場に行く時間を作ってあげるから、」
「…わかったよ」
神威は少し考えて、ため息交じりに頷き、姿勢を正す。は彼の様子をじっと確認してから、僅かにずれたフードを深く被りなおした。
「まったく、勘弁してくれよ。」
阿伏兎は安堵の息を吐いて、の存在の偉大さをまざまざと感じる。
「阿伏兎。おまえ、がしゃべらないとうるさいね。」
「おまえさんが噛みついてくるからだろうが、だいたい視察もしねぇ団長とか…」
神威に言われ、売り言葉に買い言葉のような形で愚痴を続けようとすると、くいっと今度はに服を引っ張られた。どうやらこれ以上はやめておけと言うことらしい。
「団長とか、なに?」
が止めていることに気づかない神威は、阿伏兎の言葉が突然途切れたことに、顔を上げてぎろりとその青い瞳で不機嫌そうに阿伏兎を睨んでくる。
「…いや、なんでもねぇよ。」
どうやら阿伏兎は神威の怒りの沸点を正確に読めているわけではないらしい。それに対して神威に逆らうことも時には厭わないは、わかっていてやっていたようだ。そして多分、神威の怒りから阿伏兎や団員たちをうまく遠ざけていたらしい。
「俺、生き残れっかな。」
今回は視察において女であるため、侮られたり襲われても面倒なので、基本的にフードを被り、顔は見せないし、声も出さない。要するに表向きに話をするのは阿伏兎と神威だけで、は補助程度だと言うことになる。
阿伏兎は自分の身の安全に既に一抹の不安を感じて、隣に並んでいる神威を見やる。
「なに?」
にっこりといつもの調子で笑ってくる神威の目が、殺意を自分に向けている気がして、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「。俺、居残りできねぇ?」
ひとまず神威から離れた方が安全だと思った阿伏兎は、隣にいるはずのに目を向けようとして、彼女がいないことに気づいた。
「え、あれ?」
阿伏兎が辺りを見回すと、は少し後ろで足を止めている。そこにはこの宇宙船の離発着用のポートが見下ろせる窓があった。
ポートの近くには荷物を保存するための倉庫があり、生き物を閉じ込めるための牢が見える。宇宙船のポート近くに格納庫があることは決して珍しくはないが、牢が完備されているのは、この宇宙船が闘技場を経営しており、闘士や奴隷、危険生物を牢に入れる必要性があるからだ。
阿伏兎が彼女の傍に歩み寄り、窓から牢の中を見下ろしてみると、なにかが入っていて、僅かに動いているのがわかった。ただ目をこらしてみても、手前のポートが明るすぎるせいか、夜兎の目にはうまく映らなかった。
夜兎は夜目こそきくが、明るい場所ではそれほど目が良くない。
「何なの?何見えてるの?」
神威は牢を見ているの視線を追って牢を見下ろしたが、阿伏兎と同じく動いているのは見えても、それがなにかはわからないようだった。
そういえば視力という点だけを上げると、は裸眼で3.0くらいとのことなので、夜兎よりも遥かに目が良い。ましてやこれほど明るい所となれば、彼女が一番見えているはずだ。
「…」
は答えない。ただ彼女の手が血が出るのではないかと言うほど、強く握られたのだけはわかった。
阿伏兎の背は大きいため、彼女が下を見ていることがわかっても、フードを被っているため、どんな表情をしているのかわからない。元々多弁な方ではないから、話さないとなおさら彼女が何を考えているかなんてよくわからなかった。
フードのせいで、彼女の感情の機微を読み取るのが得意な神威も、仕草でしかを理解することが出来ない。ただ、眼下の光景を好ましく思っているわけではないと言うことは、簡単にわかった。
「す、すいません。ぼ、僕ら人身売買とかやってて、剣闘士とかもいるんで、虐待とかも日常茶飯事なんっすよ…」
案内をしていた燕が、申し訳なさそうに深い青色の瞳を揺らして、言う。それにフードを被ったままのがぴくりと反応した。
「そりゃ、宇宙海賊なんだから、人身売買なんて、普通だろうさ。」
阿伏兎は牢の中身が何か、よくは見えていなかったが、燕にふっと笑って、返した。
別に驚くべきことでもない。宇宙海賊なんて、麻薬の密売から人身売買、賭場の経営など、非合法なことをやるのが常だ。社会のゴミ屑のようなものばかりである。第七師団は戦闘部隊であるため、対立組織の殲滅やエイリアンの駆除などを担当しているが、普通ならばもっと黒い交渉が吹き荒れていることだろう。
もちろん、一番血にまみれる場所にいる第七師団が綺麗とは、口が裂けても言えないが。
「まあ、そうなんです…けど。」
燕は少し目を伏せて、悲しそうに笑う。その表情からは後悔の色合いすらもうかがえて、阿伏兎の方が首を傾げた。
「なんでぇ、おまえさん、自分たちがやってることに不満でもあんのか?」
第一師団は昔から賭場や闘技場の経営をしており、そのため前の団長の時から人身売買などやっているだろう。
何をそんなに愁いを帯びた目をしているのか、今更後悔でもしているのかと嘲る阿伏兎に、燕は複雑そうな表情で眼下の様子から視線を背けて、「第一師団団長が、首を長くして待ってますよ、」と誤魔化して見せた。
「なんなんだよぉ、冷たくあしらってくれる」
阿伏兎が悪態をついた次の瞬間、に軽く足を踏まれる。
「おいっ!夜兎とは言え、ブーツで踏まれりゃ痛いんですけどぉお!?」
反論は、完全に無視され、彼女は阿伏兎に視線すら向けない。彼女の視線は未だに燕からそらされず、彼の表情をじっと注意深く見ていた。
無言の凶器