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 第一師団団長、郭公(かっこう)は耳のとがった、傭兵部族・辰羅だった。

 焦げ茶の巻き毛に、同じく焦げ茶色の瞳。二重が大きいせいか、何やら随分と凡庸なイメージを与える。ただ薄い唇は酷薄そうで、上質の紫色の長い布を体に纏っていた。



「ようこそおいでになられました。お座りください。」



 神威を見ると、彼はその薄い唇で弧を描いて歓迎の態度を見せたが、目はちっとも笑っていない。その証拠に、立派そうな椅子から腰を上げようともしなかった。

 用意されている長いテーブルの端に置かれた椅子には郭公が、恐らくもう片方にある椅子に神威が座るべきなのだろう。興味もなかったが、が手で神威にそこに座るように示したので、神威は大人しく席に腰を下ろした。

 席がないので、と阿伏兎は神威の両側に立つ。

 正直神威としては話し合いの場は大嫌いだし、そういうことは全て参謀兼会計役のに任せておきたいのだが、今回の第一師団の視察は、元老直々の命令だ。団長である神威が出ないわけにはいかないということだった。

 ただし、この顔見せさえ終わってしまえば、曰く自由にして良いと言うことだったので、我慢する。



「このたびはお手数をおかけして、申し訳ありません。剣闘士たちに不穏な動きがあるようで…」



 悩ましげに、郭公はそう言った。

 元老が第一師団の視察を第七師団に命じた原因は、第一師団が経営している闘技場の剣闘士たちが反乱をもくろんでいるという噂があるからだ。第七師団は戦闘部隊で、組織の調整役でもある。反乱となれば、鎮圧するのは第七師団の仕事だ。

 神威としては反乱になってくれればそれこそ楽しそうだが、この場は退屈そのものだった。



「あ、そうだね。」



 神威は適当に第一師団の団長である郭公に返して、テーブルに頬杖をつく。



「一週間、第七師団と第一師団の母艦は連結するから、視察のためにも、第七師団の団員が行き来することになる。もちろん、居住区以外については、第一師団の団員が来てもらうのも結構だよ。」



 あらかじめに言われていた言葉を口にする。

 視察は約一週間、基本的に第七師団の団員は無条件で第一師団の母艦に出入りが許されている。その結果何かを見たら、神威に報告することになっている。当然だが、第七師団の団員が賭場で博打を行うことに関しては、あらかじめ禁止だ。

 第一師団の団員も、第七師団に入ることは、一応許されているが、戦闘部隊であるため、特別な設備はないし、戦闘部隊を望んで見物に来るような物好きもなかなかいるまい。恐らく訪れるのは形だけ見に来る程度の団員だけだろう。



「視察の結論や処分に関しては俺に一任されてる。一週間後、改めて話させてもらうよ。」



 視察は約一週間。その間に神威が第一師団の団員や剣闘士たちを危険だと見なせば、皆殺しにするという判断を下すことも出来る権限を、神威は元老によって与えられていた。ちなみにそれをもぎ取ってきたのは当然、である。

 彼女はおそらく、神威がいざとなった時、第一師団の人間を殺してしまっても責任問題に発展しないように予防線を張ったのだろう。



「わかりました。視察に伴って、副団長の燕を付けますので、詳しいことはそちらからお聞きください。」



 郭公はそう言って、先ほどまで神威たちを案内していた夜兎の燕を視線だけで示した。気弱そうな彼はびくっと肩を震わせ、深々と頭を下げる。

 夜兎のくせにへこへこして、本当に萎えるヤツだ。



「第七師団ほどではありませんが、闘技場には強い剣闘士がいます。それに勝利できるようでしたら、一つ願いを聞いて差し上げても良いですよ。」



 郭公はクスクスと笑う。

 それは第七師団の実力を馬鹿にしているのか、それともその剣闘士が負けるはずがないとでも思っているのか、どちらにしても神威と第七師団を馬鹿にしているのに間違いはなさそうだ。

 神威は頬杖をついたまま、を見やる。フードを深く被っているため、座っている神威からでも彼女の表情はうかがえない。ただ視線には気づいたのか、彼女は僅かにフードを上げて、そのぼんやりとした漆黒の瞳で神威を映した。


 だめ、


 彼女が唇だけを動かして言う。神威はそれを確認して、席を立った。こんな茶番に長い間つきあうほどの忍耐を神威は持ち合わせていない。

 それならば最近やんちゃになって神威から逃げ回ったり、回し蹴りをかましてくるの息子・東の方が、遠慮もないし、賢いから面白い。戦うことがないのなら、早く帰って彼と遊んだ方が百倍退屈しのぎになる。



「ツバメ、だっけ?闘技場まで案内してよ。」



 神威はびくびくしている自分よりも年上の同族に興味もなさげに淡々と命じた。彼は神威を恐れているのか、大げさなほど大きく頷く。

 闘技場にいる剣闘士の一部に、反乱の疑いがあるという。所詮見世物として戦っているような者たちに興味は全くないし、強さも常に戦場を駆けて死地をくぐり抜ける第七師団の団員よりも強い、なんてことはないだろう。ただもしかしたら、強いヤツがそこにいるかも知れないので、確認はしておきたかった。

 どちらにしてもしけた面をした第一師団団長・郭公に興味はない。



「え?早くね?」



 立ち上がって早速踵を返した神威に、阿伏兎は少し驚いたような顔をしたが、が神威に続いて背を向け、阿伏兎のマントを引っ張ったため、黙って神威に続く。第一師団の団長・郭公も別に神威と同席したくなかったのだろう、神威の早々の退出を止めようともしなかった。



「良いのか?」




 阿伏兎は燕と神威のの後ろについて歩きながらに尋ね、不格好なほど身をかがめる。

 彼女の身長は155センチくらい。阿伏兎は186センチなので、どうしても彼女の高い声が燕に聞こえないように話そうとすると、身長差故にしゃがむか、かがむかするしかない。



「良いの。あとは闘技場さえ見に行けば一端、終わり、」



 慣れている神威としては、唇の動きだけで声が聞こえずともだいたい彼女が何を言っているか、何となく聞こえる。なので、阿伏兎に何を言っているのかはわかったけれど、内緒話をしているようで、神威としては不快だ。



「不便だね。」



 神威はぽつりと呟いて、ちらりと後ろを振り返った。

 女とばれないためとはいえ、彼女と話せないのはとても面倒くさいし、不便だ。プラカードなどを持って筆談という手もあるのかも知れないが、そんなこと待ってられるような忍耐は神威にも阿伏兎にもないから、無意味だろう。

 宇宙海賊にはほとんど女がいないから、女だと言うだけで犯したくて襲ってくる天人も多い。ただ、争いを避けるためとはいえ、どうせ彼女に斬り殺されて終わりなのだから、むしろ襲ってくる奴を皆殺しにする役を自分に任せてくれれば良いのにと神威は少し思っていた。

 まぁ、彼女に襲ってくるような見る目のない男、弱いに決まっているが。



「あ、あの、これから闘技場に案内しますんで。」



 先頭に立って神威を案内していた燕が、気遣わしげに神威たちを振り返って言う。



「さっきも言っただろ。」

「す、すいません。」

「…」



 言い返されると、すぐにぺこぺこと頭を下げて見せる。

 こういうおどおどしたタイプの人間が今までの副官は愚か、第七師団にも、親戚にもいなかった神威は、胸にわき上がるむかつきに笑みを貼り付けたまま眉だけを寄せる。その苛立ちが燕に伝わったのだろう、彼はますます怯えた様子を見せた。



「おまえさんも夜兎だろぉ?しっかりしろや。辰羅なんかに負けんなよ。」



 流石に同族をこよなく愛している阿伏兎も、心底呆れたように息を吐いて燕を見やる。だが、彼の表情は曇ったままだ。



「…団長は、恐ろしい人ですから。」



 燕は目を伏せて、自分の持っていた書類を抱きしめる。



「恐ろしいって言ってもなぁ、辰羅は単純な腕力じゃ、夜兎に勝てねぇだろ?」



 同じ有名な傭兵部族とは言え、辰羅は集団戦術で有名で、単純な腕力や回復力は夜兎には敵わない。本来であれば団長の郭公一人、それほど恐れるに足りない相手のはずだ。

 阿伏兎が肩をすくめて言うと、が阿伏兎の首元がしまるように、思い切りマントをそのブーツで踏んできた。



「ぐえっ!ちょっ、おまえ、突然踏むんじゃねぇ!!」



 阿伏兎が抗議をすると、が僅かにフードを上げて唇だけを動かす。

 だまって、と。

 神威は彼女のそんな様子を確認してから、もう一度この弱々しい夜兎の男に視線を向けた。どうやら彼女は先ほどからこの男に何らかの期待か、疑いか、どちらにしても感情の機微を見抜こうと注意深く観察しているのは間違いない。

 彼女は常日頃から言葉こそ少ないが、神威たちが思いもしないことを考えている。今回の視察にも、何らかの意味があるのかも知れないし、既にそれなりの伏線が神威の目からも見えている。基本的に無駄なことはしない。




「ま、傍観しようか。」



 ならば、面白くなるまで放っておこうと、神威は決めた。











傍観