闘技場は宇宙船の中とは思えないほど立派な作りだった。
一メートル四方のタイル張りの闘技場は円形で、周囲を階段状の客席に取り囲まれている。闘技場と客席の間に塀があり、二つの入場口もついている。そこに鉄格子がつけられているのは、動物や剣闘士をそこから放つからだろう。
天井はそれほど高くはなく、天井のパイプなどはむき出しだが、闘技場を美しく保つためか、掃除用に水やお湯も引かれているらしい。あまりに綺麗すぎる白いタイルの闘技場は、掃除が行き届いていると同時に、その場所で行われている恐ろしい
結構本格的だなと、は闘技場を客席の一番上から見下ろして、そう思った。
丁度今から剣闘士とエイリアンの試合が始まるところなのか、客席は人が一杯で、割れんばかりの歓声が響いている。
顔ぶれを見ると客席には春雨に所属する師団の平団員や下っ端たちも並んでいた。窓からは春雨の幹部や元老の部下たちなどをはじめ、銀河の王族などもいるようだ。要するに裏世界だけではなく、表世界ともつながっている、大人の観劇場兼賭場。
裏で人身売買もやっているし、賭場に麻薬はつきものだ。第一師団副団長の燕も言っていたとおり、海賊らしいあくどい商売をしているのだろう。
「あ、あの、えっと、あまり近づかない方が良いですよ。」
が手すりの方へと乗り出していると、燕が慌てた様子で言った。
「そっちの客席はならずものの集まりなんです。」
「?」
「なんかやばい奴らがまざってんのかい?」
神威と阿伏兎も彼がに注意した理由がわからないようで、顔を見合わせて首を傾げる。燕は少しおどおどした様子で三人の顔を順々に見てから、意を決したように小さな声で言った。
「貴方、女性ですよね。あの人たちに襲われたら、危ないですよ。」
「…!」
は眼を丸くした。
今日はすっぽりと白いフードを深く被っているし、それは足下まである。着物も白地に黒の線の入ったもので、袴も深緑。小柄なのは仕方がないが、子供であっても夜兎の傭兵というのはよくいる。声さえ出さなければ大丈夫だと思っていたが、甘かったようだ。
「どうしてわかったんですか?」
は静かな声で燕に尋ねる。
「え、えっと、あ、いや、手が、」
「手?」
「柔らかそうですし。そろえてるから、指を、」
刀を持つ手とは言え、当然構造は男性とは全く異なる。それには芸事を幼い頃からしていたため、指をそろえる癖がついていたのだ。そんな癖のある男はなかなかいない。はなるほど、と納得すると同時に、おどおどして気が弱そうな彼の洞察力に素直に感心する。
ただ神威はすぐに表情を変えた。
「それは俺のだよ。」
手を出したら許さない、という、わかりやすい神威の脅しに燕は顔色を変え、手を出さないことを示すように頭が痛くなりそうなほど首を横に振った。
「丁度良かった、いくつか聞きたいことが…」
が燕に視線を向け、自分の質問を投げかけようとした時、歓声がの声をかき消した。
『皆さん、ご覧ください、右側から出てくるのが無敗の闘士、大鷲!!』
観客を煽るように、大音量のアナウンスが響く。
歓声に吸い寄せられるように闘技場へと目を向けると、そこには2メートルはあろうかという巨体の、角の生えた天人が棍棒を構えて立っていた。薄茶色の肌に、醜悪な鬼を具現化した、恐ろしい姿。二本の角。
個体差はあるが、それはある部族の特徴そのものだった。
「荼吉尼、」
はぽつりと呟く。
鬼のような姿をしており、夜兎に並ぶ怪力を持つ、宇宙最強をうたわれる傭兵三大部族の一つだ。様々な色の姿をしているが、多くの場合巨体で、地球では鬼と呼ばれる生物と同じ姿をしており、二本の角があるのが特徴だ。
が彼らの生態についてを詳しく知っているのは、の副官たちが荼吉尼だからである。
「彼がこの闘技場最強の剣闘士、大鷲です。」
燕が闘技場にいる荼吉尼の男を見下ろし、辛そうに目尻を下げる。はじっと闘技場の中央にいる荼吉尼を眺めた。棍棒を構えている男の視線は一方に向けられている。はその視線を冷静に追いながら少し考え、腰の刀に手を当てる。
観客を煽るように、大鷲は棍棒を闘技場の床にたたきつける。床は質の良さそうな石板だったが、簡単にひびが入った。
『今晩は、戦闘部隊と有名な視察に第七師団のお三方がお越しです!』
アナウンスをしている火星人のような白い体躯、大きな黄色い目の司会の男が甲高い声で叫ぶと同時に手を振ってたちを示す。その途端に観客の視線もたち三人に向けられることになった。
用意された茶番に、はため息をつく。
「こりゃこりゃ、大層な見せもんじゃねぇか。」
阿伏兎もあまりにもあからさまな挑発に気づいて、ぐっと傘を握りしめた。
“第七師団ほどではありませんが、闘技場には強い剣闘士がいます。それに勝利できるようでしたら、一つ願いを聞いて差し上げても良いですよ。”
第一師団の団長である郭公は、神威にそう言っていた。
当然だが元老からの視察を、第一師団団長の郭公が面白く思っているはずもない。視察を任された第七師団を適当に追い返してしまいたいと考えている。そのために、要するに郭公は第七師団の団長である神威や団員たちの実力を試したいのだ。
この事実は二つのことを示している。
一つは第七師団の視察に進んで協力する気はないと言うこと。そしてもう一つは、剣闘士たちが反乱を企てているかどうかはわからないが、第一師団の団長である郭公は、剣闘士、特にこの大鷲という男が死んでくれれば良いと思っている、ということだ。
「あははは、売られた喧嘩は買わなきゃ夜兎じゃないよね。」
神威は面白くなってきた、と楽しそうに笑って、一歩踏み出そうとする。は彼のマントをがしっと掴んで、彼の耳元に唇を寄せる。
「だめ、戻って。」
はそう言って、マントを後ろから引っ張られたため後ろに反り返った彼の代わりに前に出る。
「え。そんなのやだよ。せっかく面白そうなんだ、誰にも邪魔させない。」
「殺しちゃ困る。」
ここで神威が荼吉尼の剣闘士・大鷲を殺してしまっては、第一師団団長、郭公の思い通りになってしまう。かといってここで逃げ出しては、第七師団の威信に関わる。
「俺がやるか?」
阿伏兎が傘を肩に担ぎ上げ、に尋ねた。だが、神威でも阿伏兎でも、本能に忠実な夜兎に、殺しをこらえろという方が、野暮というものだろう。
「良い。わたしが出る。」
「駄目だよ。俺が行きたいんだから。」
「じゃあ、これがわたしの誕生日プレゼントで。ってか、傘貸して。一応わたし、夜兎ってことで」
「それ、別に理由じゃないだろ。傘は良いよ。でも、話はずらさないよ。何そのしょぼい誕生日プレゼント、って聞いてる?」
「後で聞くよ。」
は神威から傘を受け取ると、気のない様子で彼にひらひらと手を振って、闘技場へと下りていく。
こういう見世物のような形は好みではないが、第一師団の団長・郭公は勝てれば願い事を一つ聞いてくれると、公の場で約束した。第七師団の団長である神威の手前、全面的にしらばっくれるようなマネはしないだろう。
背後で神威が不機嫌そうなオーラを纏って笑っていることに気づかぬまま、は闘技場へと軽やかな足取りで下りていった。
言葉があっても聞いていない