神威は相変わらず笑顔を貼り付けていたが、後ろに背負っている空気が真っ黒で淀んでいる。その威圧感に阿伏兎は頬を引きつらせるしかなかった。

 その魔王の怒りが向けられている当の本人、はすっぽり体を覆っているフードと羽織を揺らしながら、闘技場の方へと下りていく。軽やかな足取りから後ろで怒る神威のことなど全く視界に入っておらず、自分の悪巧みしか頭にないのだろう。

 怒れる神威と残される阿伏兎はたまったものではない。



「っちょ、あ、あの人ここ最強の剣闘士で、強いんですよ?!」



 を普通の女だと思っているのか、第一師団副団長の燕は、を止めない阿伏兎と神威に真っ青の顔で詰め寄る。

 普通なら、女と剣闘士がやりあうなんて知れば、止めるものだろう。



「うるさい、黙ってろヨ。殺しちゃうぞ。」


 神威がに向けていた殺意をそのまま燕に向け、笑う。それを見て燕は凍り付いたように口を噤んだ。

 確かには見た目こそ華奢で、ぼんやりした目をしているし、強そうには見えない。だが、阿伏兎も神威と同じように、その点に関しては心配していなかった。



「はー、うちのちゃんは勇ましいねぇ。団員たちが惚れちまうわけだ。」

「おまえもうるさいよ。阿伏兎。」



 おまえも殺されたいの?とその青色の瞳で睨まれれば、阿伏兎も黙るしかない。

 が女であることをばらさないため、ほとんど今日口をきかなかったせいか、もしくは、望まぬ第一師団への視察と団長・郭公との長い話のせいか。先日せっかく休暇を取ってまでの誕生日プレゼントを一緒に探しに行ったのに、物欲のないが自分の欲しいものを見つけられなかったせいか。

 ひとまず神威は今日、すこぶる機嫌が悪い。



「だいたいさぁ、なにその誕生日プレゼント。」



 挙げ句、闘技場の剣闘士の中で一番強いとまで言われた荼吉尼の大鷲と戦えるかと思ったら、に誕生日プレゼントはそれで良いから、殺しても困るし、戦うなと言われてしまったのだ。ただ単に神威を止めるための言い訳ではないか。

 真面目に彼女への誕生日プレゼントを悩んでいただけに、脱力感がむかつきにかわったと言ったところだろう。



「もう良いじゃねぇか。がそれで良いっていってんだから。」 

「何その俺が全く努力しなくて良いプレゼント、しょぼすぎるよ。もっとこうさ。…宇宙船とか?」

「おまえさん、どこの姫さん嫁にもらったんだ。」



 阿伏兎もそう返しながらも、何となく神威の言いたいことはわかった。




「ってか、団長。おまえさんはあんのかよ、物欲。」

「ないよ?でも、にして欲しいことはたくさんあるから、」

「あ。そう、」




 聞かない方が身のためというものだ。暴力沙汰を伴う派手な痴話喧嘩をする反面、いちゃついている所も、朝起きてこない時があることもよく知っている阿伏兎はげんなりした表情をする。




ってさぁ、俺が言えば何でもしてくれちゃうんだけど、自分はあんまり欲しがらないし、俺にして欲しいことも、別にないみたいなんだよね。」




 は神威が強いヤツと戦いたいと言うと、手配してくれるし、適当な舞台を用意してくれる。わがままも「仕方ないな、」の一言でかなえてくれることが多い。

 それに頭脳という点では宇宙でも右に出る者がいない彼女は、出来ることのスケールが大きい。宇宙船のシステム構築から第七師団の任務の手配、元老や他の師団との交渉まで全てを一手に担っている。それだけ優れていれば、望むものも大きいと思いがちなのだ。

 なのに、彼女は存外無欲で、大きなものを望まない。いつもそう。彼女は簡単に人に多くのものを与えるのに、自分が頼ることも、与えられることにも、消極的だ。望むこともほとんどない。



の誕生日って、今週だよな。」

「うん。そうなんだよね。ま、ばたばたするから、視察が終わってからしようってことになってるんだ。」

「団員たちも祝いたいらしいが、プレゼントに困ってたぜ。」



 他の団員たちも神威が彼女の誕生日プレゼントを探しているという話を聞いて、自分たちもと意気込んでいたが、何が良いかわからず、阿伏兎に尋ねてきていたのだ。とはいえ、阿伏兎としてもお手上げだ。



「あ、あの、じょ、冗談でなく、大鷲さんは強いんですよ?」



 関係ない話をし始めた神威と阿伏兎に、青い顔をした燕が意を決したように言う。

 夜兎のくせに彼は随分と気弱そうだが、度胸と良心はあるらしい。阿伏兎と神威は一瞬燕の方を振り返ってから、闘技場に目を向けた。そこには既にがいて、フード故に女だとはわからないようだが、小柄な挑戦者の出現に、会場が沸いた。



「おまえさん、心配性だな。ツバメだったか?ありゃ勝ち負けのルールはなんなんだ?」

「え、え、し、死ぬか、あの闘技場から落ちたら負け、ですけど。」

「あ。そうか。そりゃそりゃ、結構なこった。」




 阿伏兎は自分の背中に傘を携え、腕組みをして闘技場を見下ろす。

 荼吉尼の大鷲は2メートルを優に超す背丈を持っているのに対し、は155前後。まさに大人と子供の戦いに見える。誰もが荼吉尼の大男に勝てるなんて、思いやしないだろう。




「ありゃガキじゃね?第七師団は夜兎が多いって言うし夜兎かぁ?」

「はは、傭兵部族っていやぁ、大鷲のヤツも荼吉尼じゃねぇか。ガキの夜兎なんて敵じゃねぇよ。」




 賭け事をしている観客たちは、口々に小さなをせせら笑う。

 深くフードを被っているため、の性別は観客にはわからない。ただ傘を持っているため、夜兎だと思ったのだろう。

 小柄なのは見てわかるし、袖から覗く肌も白い。そのため、フードも太陽を避けているように見えるし、夜兎の体格は地球人とはそれほど変わらないので、傘さえ持っていれば、確かに夜兎だと言っても誰も疑わない。

 ただし、恐らくが神威の傘を持っていった理由は、別にあるだろう。



「彼女、夜兎なんですか?で、でも、大鷲も荼吉尼ですし、」



 燕が少し驚いたような顔をするが、やはり荼吉尼を相手にするのは危険だと考えているらしい。



「ま、女とはいえ、うちの参謀さんがどんだけのもんか、よく見ておくこった。」



 阿伏兎は笑って、闘技場の様子を彼も黙って眺めるように促した。

 既に荼吉尼の大鷲とが向かい合って司会からいくつかの説明を受けているようだった。大鷲は大きな棍棒を持っているが、一応役職は剣闘士らしい。なんて、つまらないことを考えていると、阿伏兎の後ろに細い頭が鶏の天人がやってきた。



「さー、いくら賭けますか?」



 近くで馬券のように、チケットを売っている男が、阿伏兎と神威に声をかけてくる。

 どうやらこの闘技場で一番強いと言われる大鷲の試合であるため、当然第七師団所属とは言え、が勝てるとは誰も思っていないらしく、彼女に賭ける天人はほとんどいないらしい。ただそれでは賭は面白くないし元が取れないので、第七師団の団員である神威と阿伏兎に彼女に賭けるように訴えているのだ。

 神威と阿伏兎は顔を見合わせる。



「あはは、良いよ。が勝つのにうちの宇宙船一隻賭けようか。」

「いや、おまえさん、そりゃやり過ぎじゃね?親ばかみてぇな発想だぞ。」

「え?阿伏兎、が負けるとでも思ってるの?ならおまえは荼吉尼のヤツに賭けなよ」

「勝算のねぇギャンブルなんざ、ごめんこうむらぁ。」

「じゃあ決まりだね。」



 神威が言うと、賭を取り仕切っていた男が慌てた様子で貴賓席があるであろうビルの中に入っていく。恐らく神威の掛け金ならぬ賭け船に煽られて、無茶苦茶なものを賭ける金持ちが出てくることだろう。逆に言えばが勝てばそれらの掛け金は全て神威たちのものである。



「おまえさんたち、一体どんだけ稼ぎゃぁ気が済むんだよ。」



 第七師団の団長である神威と、参謀である。ふたりの世帯収入は莫大で、株式や銀河の星の国債ならぬ、星債、投資など、彼女は幅広く様々な形で資産を増やすのに熱心で、そのため急に第七師団で修理などのため、入り用になった際、個人資産で代わりに支払って、後で埋め合わせることもよくあった。

 正確な額は知らないが、お金に困っていないであろうことは間違いない。



「さぁ、多分何か、したいことがあるんじゃないかな。」




 神威は肩をすくめて答えた。



「それ手伝ってやりゃ良いんじゃねぇの?誕生日プレゼントに。」



 はその莫大な資金を使って何かをしたいのかも知れない。賢い彼女の考えることなど阿伏兎の想像できるところではないが、誕生日プレゼントなら、彼女のやりたいことの手伝いが一番喜ばれるプレゼントだ。

 とはいえ、阿伏兎が言うほどそれは簡単なことではない。



「俺もそうだけど、第七師団の団員全員で?星一個落とすとか?」

「…」



 皆プレゼントをあげたいところだが、人にものを贈るよりも絶対、人を殺したり、ものを壊したりしてきたことの方が多い団員たちが出来る、の手助けというのは、一体何なのだろう。

 本気で腕組みをしながら、阿伏兎は考え込んでしまった。









傾国の化け物たち