はフードを僅かに上げて、荼吉尼だという剣闘士・大鷲を見上げる。

 焦げ茶色の肌に、大きな角。醜悪で恐ろしいその顔立ちは、まさに荼吉尼の典型と言える。体には今までについたたくさんの傷が刻まれている。年齢の方はわからないが、筋肉の具合からまだ30から40前後の肉体と言ったところだ。

 棍棒を持つ大きな手は、の頭など一ひねりに出来そうだった。

 とはいえ、攘夷戦争に参加してきたにとって、別に彼の容貌など取るに足りない要素だ。



『この勝負は、相手を殺すか、闘技場から落とせば勝利になります!』



 アナウンスを通じて司会がルールを説明する。非常にわかりやすいルールなどは、ここが賭場であり、勝敗を必ず付けなければならないからだ。当然観客は闘技場から落とすなんて言う、簡単な勝利を望んではいないだろう。



“第七師団ほどではありませんが、闘技場には強い剣闘士がいます。それに勝利できるようでしたら、一つ願いを聞いて差し上げても良いですよ。”



 第一師団の団長・郭公はそう言った。

 彼は当然、闘技場を経営している第一師団の団長であり、今日誰が試合を行うか、正確に把握している。荼吉尼の大鷲が今日も目玉として出場することを知っており、第七師団に挑戦的なことを言ったのだろう。

 郭公にとって、第七師団からの視察は疎ましいものだろう。


 元老は第一師団に反乱の疑いがあるからこそ、組織の戦闘部隊で、掃除もする第七師団に、第一師団の視察をするように命じた。

 だがどこの師団もそれぞれの師団長の下で、好き勝手犯罪行為に手を染めているのが常で、それは提督や元老が簡単に口出しできるようなレベルではない。仮に第七師団が同じことをされれば、は全力で抵抗しただろう。

 郭公は恐らく、第七師団が剣闘士の力を恐れ、視察などそっちのけでそのまま帰ってくれることを願っているのだ。

 仮に第七師団の団員に荼吉尼の大鷲が殺されたところで、郭公にとってはどうでも良いことだろう。



「甘いな、」



 第七師団には、力で押されておののき、帰るような団員はいない。夜兎や荼吉尼など傭兵部族を含む団員たちは、敵が強いとわかればわかるほど、心弾ませることだろう。

 ただ、力を振るう場所は、考えねばならない。



「それに、気に入らないんだよね。」



 もちろん、第七師団の威信を守るためにも、団員で、しかも参謀見解契約のがここで負ける訳にはいかない。同時には、郭公の言った、勝利すればこちらの願い事を聞いてくれるという、それによって得られる者に興味があった。

 そう、はポート近くにあった牢の中に入っていたものが“何なのか”知っており、それを許せないと心底思ったのだ。だからこそ、大鷲の、煌々とした赤い目が、ずっとポートの方へと向けられていることに、気づく。

 が最初に見た、牢のある方向。



「ふうん、…心配、なの?」



 司会に聞こえないように一歩踏み出し、彼に近づいては嘲るように尋ねた。

 常ならば聞こえないほど小さな声に反応した所を見ると、彼は耳が良いのだろう。その赤い瞳がへと向けられた。



「貴様、」



 相変わらず鬼に似た強面では驚いているのかすらもよくわからないが、声には呆然とした響きが含まれている。



「夜兎か、」

「へえ、知ってるんじゃない。わたしは、違うね。でも夜兎の特性はよく知ってる。だから、胸くそ悪いことに変わりはない。」




 は神威から借りた重たい傘を自分の肩に担ぎ上げ、哀れみと軽蔑の眼差しを目の前の大鷲に向けた。

 それは自分が同じ年頃の子供を持つが故の、嫌悪感だったが、彼はその嫌悪感を同族故だと思ったのだろう。そう、彼はポート近くにある牢の中に誰がいるのか、正確に知っているのだ。

 がポート近くの牢の中に見たのは、小さな子供だった。

 恐らく光の中ではそれほど目の見えない夜兎の神威や阿伏兎には、見えなかっただろうが、生憎の視力は地球人一般より遥かに良い。そのため、牢の中に鎖で繋がれているのが夜兎の子供で、しかも擬似的に太陽光を生み出す機械の元に晒されているのが見えた。

 子供の年齢は、の息子の東とそれほど変わらない。ただ普通ならば真っ白の肌は真っ赤に爛れていた。



“す、すいません。ぼ、僕ら人身売買とかやってて、剣闘士とかもいるんで、虐待とかも日常茶飯事なんっすよ…”



 恐らく第一師団の副団長・燕もその小さな子供が牢の中にいることも、虐待されていることも知っていたのだ。だからあんな言い訳の仕方をしたのだろう。また、燕は第一師団団長の郭公を恐ろしい人物だと怯えていた。

 おそらく、郭公のやり方は、本人に対して暴力を振るったり、圧力を加えるのではなく、その者の大切な者に対して、脅迫するのだ。それは傭兵部族相手ならば、非常に効率的で、有効的な方法だと言える。

 宇宙海賊など社会の屑の集まりで、矜持も恥も外聞もない。自分が相手を都合良く扱うためには手段を選ばないというのは、第七師団の参謀兼会計役をしているも、痛い程に知っているし、神威や東に危険が迫れば、とて同じ方法をとるかもしれない。

 だが、守るものもないのにそう言った方法をとる第一師団団長・郭公には嫌悪感を持つ。そして同時にそれを放置している大鷲に対しても、は子供を持つが故に許せない感情がふつふつとわき上がるのを止められなかった。



「あの子は、貴方の大切な子なのね。ちょっと以外だったけど。」




 牢は合金を使った夜兎を閉じ込めるに十分な強度を持つもので、逃がしたくないという気合いを感じた。

 牢にいるのが要するに心底郭公が疎ましく思っている人間の子供で、子供が夜兎であると言うことを考え、同じく脅されている方も子供の実父母・夜兎だろうとは想定していた。だが、どうやら違うらしい。

 その証拠に、大鷲の拳はこれ以上ないほど握りしめられていた。が夜兎の子供の話題を出した時から、彼の表情は苦しそうだった。

 もしもが荼吉尼に会ったことがなければ、鬼と同じ顔をした彼の表情の判別などつかなかっただろう。ただが重用している副官二人は荼吉尼で、彼らの表情を一年近く見ていることもあり、その強面から感情を読み取れるようになっていた。



「…何を言われても、地べたを這いつくばっても、俺はあの子に果たさなければならない義務がある。貴様、死ぬぞ。」



 ぐっと唇を噛むその仕草から、彼がこの戦いを望んでいないことが伝わってきた。とはいえ、に負ける気もないだろう。彼が負けられない理由は、あの牢の中にある。



「死なないよ。」



 は小さく笑って、彼を検分するようにゆっくりと彼の周りを歩く。こつこつと、ブーツの底が厚いせいか、澄んだ音が鳴る。それを聞きながら、はゆっくりと気持ちを落ち着け、研ぎ澄ます。

 片手に持っている神威の傘はが持つにはあまりに重たい。




「貴方を、解放してあげようか。」



 凄然と、そして艶やかに、は僅かにフードを上げて、大鷲に微笑む。

 その気迫に彼は僅かにその赤くまがまがしく光る瞳を大きくして、自分よりずっと小柄なを見下ろした。



「…手加減など、出来ないぞ。」



 大鷲は前置きをして、ぐっと己が持つ、身のため程もある棍棒を握りしめる。



「必要ないね。」



 は笑みを崩すことなく傘を振り上げて自分の肩に乗せた。








強さ