『第七師団側、夜兎とは言え、小さいぞ!』



 司会の男が甲高い声で叫び、それが闘技場の観客席全体に響き渡る。すると観客たちは口々に野次をに対して飛ばした。

 大きなフードつきの羽織を着て顔を隠しているため彼女が女だとはわからない。小柄で、ただ袖から覗く白い手が神威の傘の手元を握りしめている。



「何、考えてるのかな。」



 神威は腰に手を当てて、ため息交じりに言葉を吐き出した。



「おまえさんがわからねぇのに、俺がわかるかよ。」



 阿伏兎はが心配なのか、腕組みをしながら一応目尻を下げている。

 彼女の実力は理解していても、やはり女だからか、近しい間柄だからなのか。心配しているのは間違いないらしい。阿伏兎に彼女に対する恋愛感情がないことは重々評価しているが、何やらとてもむかつく。

 前から自分でも自覚があったのだが、神威は団員がの話をしていると苛々するし、に好意を持っているとわかると、むかつきを通り超して殺意ものだ。どうしてなのだろうと前は悩んでいたが、現在はくよくよ悩むのは自分らしくないと、その衝動に素直に身を委ねることにしている。

 そういうことだ。




「ぐべっ!おい!なにしやがんでぇ!?」



 阿伏兎の鳩尾に肘を入れると、当然奇声を上げて蹲って、神威を恨みがましい目で見てくる。



「いや、なんか阿伏兎の顔がむかついたからさ。今日は苛々するんだよ。」

「ふざけんじゃねぇ!…もう帰って良い?いるとはいえ、俺生きて帰れる気がしねぇわ。」




 第一師団視察中、は視察中ほぼ話さない、フードを取らないと言うことになっている。女とばれると面倒ごとが増えるし、なめられるからだが、神威としては自由に彼女と話せないのはストレスがたまるし、阿伏兎にとってはいつも神威を止めてくれるからの援護射撃がない、ということになる。



「そのは一体俺の傘なんかで、何をする気なのかな。」



 神威は闘技場の真ん中で鬼と向かい合っているに視線を戻す。彼女の前にいるのは、2メートルはあろうかという茶の肌をした鬼だった。棍棒を軽々と持つその姿は、前にの息子・東の持っていた絵本で見た、悪い鬼そのものだ。

 対するは腰にいつも通り2本の刀、右手には神威の傘。いつも夜兎の傘は自分には重すぎると言うし、銃は人を殺した感触がわからないからとか、神威からすると意味のわからない理論で使わない。まさか殴打するために傘を使うことも非力な彼女はないだろうし、一体何に必要なのだろう。

 かといって、夜兎のふりをするためだけに、邪魔な傘を右手に持つなんてしないはずだ。



のやるこたぁ、最後にならなきゃ俺にはさっぱりわからねぇわ。」



 彼女の行動の全ては彼女なりの合理性の元に出来ている。

 最終的な結論や結果が出ると、彼女が最初に取った行動はこのためにあったのだと理解できるが、行動を見た時は、彼女は一体何を考えているのだろうと本気で悩むのが常だ。最初の頃はそれに阿伏兎もやきもきしていたのだが、現在は彼女の行動を見守りつつ、協力しつつ、結論を待つようになった。

 神威もを信頼して、だいたいのことは彼女に任せている。

 ただ第一師団の副団長・燕は荼吉尼である鬼に挑戦する彼女の行動を無謀とでも思っているのだろう。真っ青の顔で目尻を下げ、闘技場の方を見下ろしていた。

 視察が始まってからまだ1時間。一体彼女はこの燕という男と、第一師団団長・郭公に何を感じ、策を練っているのだろうか。そして何の目的でこんな公の闘技場なんて野蛮な場で、あの荼吉尼の男を倒すことにしたのか。



『では、相手を闘技場からおとすか、殺せば勝利です。さぁ、用意は良いですかー!?』



 観客を煽るように、司会の男はと荼吉尼の男・大鷲に尋ねる。マイクの声は空虚に広い闘技場の観客席に響き渡った。

 大鷲は鷹揚に頷く。フードを被るの表情は見えなかったが、小さく首を振ったのが見えた。



「つまんないの。」



 荼吉尼の大鷲はそこそこ強そうだったというのに、に横取りされてしまったのだ。



「い、言っておきますけど大鷲さんは、宇宙であった戦争の時に、夜兎の村を全滅に追い込んだほどの荼吉尼ですよ。」



 燕はもういてもたってもいられないという様子で、その深い青色の目尻を下げて縋るような目を神威に向けてくる。神威は疎ましくなって、思い切り燕の足を蹴った。

 本当に夜兎のくせに気合いがない。



「っ!!」

「黙って見てなヨ。」

「おいおい、流石によその副団長殺してくれんなよ?」



 阿伏兎が呆れたようにはーっと深いため息をついて神威を見下ろしてくる。それにもむかつきを煽られた気がして、殺意満載の満面の笑顔で彼の顔を見上げてやった。



「へえ、じゃあ、俺の師団の副団長は殺して良い訳だ。俺、今本当に機嫌が悪いんだよね。」

「勘弁してくれやこのスットコドッコイ。」



 阿伏兎はげんなりした様子で蹲っている燕を見下ろして、また本日何度目とも知れないため息をついていた。



『さぁ両者、用意は良いですか?』



 司会の男の声が闘技場内に反響し、すぐに下劣な歓声が答えるようにその声をかき消していく。闘技場にいるは別段動く様子もなかったが、大鷲は手に持った棍棒を握りしめ、一歩足を踏み出した。



『はじめ!』




 高らかに響き渡る声。同時に大鷲が棍棒を振り上げ、に襲いかかった。見ていた燕は「ひっ」と引き連れた声を上げて目をつぶったが、神威は彼女から目を離さない。遠すぎて見えないけれど、あの漆黒の瞳が鋼のように鋭い、研ぎ澄まされた光を宿すことを、神威はこれ以上ないほどよく知っている。

 彼女の身の丈はあろうという棍棒が、彼女がいた場所を叩きつぶすように通り過ぎていく。ばきっと闘技場の四角い大理石の板が割れる音がして、観客の歓声が響き渡る。

 だが次の瞬間、その場所から荼吉尼の巨体を包むように大量の水が噴き出した。


 ざわっと観客席が騒ぎ出し、突然の事態に息をのむ。水の勢いに押されるようにして、叫び声を上げて荼吉尼の体がリングの端まで追いやられていく。ぎりぎりのところで踏みとどまった大鷲は、目をも開き、棍棒を横に振った。

 そこにいたのは、肉薄しただ。彼女が上に飛ぶ。彼女の跳躍は確実に棍棒を避けるためか、常よりずっと高い。棍棒は彼女の足下を通り、彼女には届かない。代わりに何故か彼女の刀がはじき飛ばされた。宙でが掴んだのが神威の傘だ。

 切っ先は大鷲に向いている。放たれた銃弾は、2発。避けるためにはどうしてもリング外に出るしかなく、大鷲の体は傾いてリングへと落ちていった。

 はフードから銀色の髪を一瞬覗かせて、着地する。




『おっとおおおおおおおおおおおおおおおおお、大鷲、リング外に出たぞおおおおおおおおお!!』



 司会の男が高らかに声を上げた。

 ぐっしょりと全身水浸しになっている大鷲はリングの外に倒れ込み、立ち上がることも出来ず、蹲る。観客からはブーイングや歓声が上がるが、大鷲は動けない。それに対しては、司会も大鷲も全く無視して、放り出された刀の方へと歩いて行く。

 棍棒にあてられた刀は真っ二つに折れていた。

 は構造上床のタイルの下に、床を掃除するための水道管が巡っていることを、ブーツの踵の音で気づいたのだ。血なまぐさい賭博などやっているのに、あまりに床のタイルが綺麗すぎるので、お湯も使って掃除をしており、配管とともに湯が通っているだろうと予想した。


 自分の部下が荼吉尼であるためもよく知っていることだが、荼吉尼は冷たい星に住んでいるせいか、湯に弱いのだ。

 ただしの力では床をたたき壊し、配管まで届くような亀裂を入れることなど出来ない。大鷲の荼吉尼としての怪力を利用させてもらったのだ。そのまま排水の勢いでリング外に押し出されてくれるかと思ったが、そこは流石荼吉尼、踏みとどまった。

 しかも追い打ちをかけようと肉薄したに棍棒で攻撃までしてきたのだ。咄嗟に棍棒の動きを察したは、傘を放り投げ、刀を床に突き刺して柄を踏み台にして高く飛ぶことで棍棒を避けた。ただ棍棒に床に突き刺さったままはじき飛ばされた刀は、曲がってしまっている。



「…」




 背後では観客の叫び声が聞こえるが、しゃがみ込んではじっと曲がってしまった刀を見つめ、刀身に指で触れる。

 刀は曲がれば直せない。困ったな、なんて考えていると、向けられた殺気に鳥肌が立つ。本能の警告に身を任せて飛び退くと、そこを槍が通り過ぎて行く。が振り返ると、大鷲が客席にいた警備の天人から槍を取り上げて投げつけたらしい。湯で爛れた肌を晒しながらも、こちらを睨み付けていた。








語れぬもの