「ふぅん。」




 は危なげなく着地して、大鷲を観察する。




『おおっっとぉお?勝敗が決まってもまだ立ち上がるかぁ!?』




 司会の男がマイクを持って叫んだ。同時に観客が歓声を上げる。

 当然だがこの闘技場での戦いの結果は賭け事も絡んでくる。恐らく賭け事の勝敗に関しては、が大鷲をリング外に落としたことで、決定しているだろう。ルール上、リングから大鷲を落とした時点で、の勝利だ。

 しかし司会の男はどう見ても叫んでいるだけで、強さなどなさそうだ。要するにもしここでと大鷲が殺し合いを始めたところで、止める人間はいない。ここからの頃試合は、本人たちに任されると言うことになる。

 そして同時に観客たちは、あっさりと大鷲が負けてしまったことで不満なのだ。大鷲の行動を擁護するような熱狂を孕んで歓声を上げている。



「貴様っ…」



 大鷲はを射殺さんばかりの勢いで睨み付けている。

 湯をまともに浴びたせいか、荼吉尼である彼の深緑色の肌は焼けただれたようにどろりとした液体を滴らせていた。本来なら立ち上がって戦うなど、正気の沙汰ではない。

 ただ、荼吉尼に睨まれて別のことを考えているも十分、おかしいのだろう。



「…」



 刀曲がっちゃったけど、どうしよう。は右手に持った神威の重たい傘を肩に担ぎ上げた。視線は未だに切っ先のままだ。

 大鷲がリングへと上がってきて、自分の棍棒を拾い上げる。



「貴様、良くやってくれたな。死んでもらうぞ…」



 赤い目が、をまっすぐ見据えている。ただその体はぐらぐら揺れていて、随分と辛そうだ。

 彼らにとってお湯を被るというのは、火に全身を焼かれるほどに辛いことだろう。動きが鈍くなっても当然だし、動けていると言うことは逆に言えば彼がそれなりの強者だと言うことを示しているとも言えた。

 ただは既に勝敗が決まっているためこれ以上戦っても良いことなどないし、神威のように強者と戦って勝ちたいなんて思想もまったくない。それに大鷲に“死んでもらっても困る”のだ。



「…刀曲がっちゃった。」



 周りに聞こえないように小さく呟いて、ため息をつく。

 曲がってしまった刀は、自分を守るようにと義父から与えられたものだ。もう一本は刀を携えているが、こちらは自分の大切なものを守るためにと与えられた。だから、今その刀を抜くことは出来ない。

 に与えられたのはこの曲がった刀と、神威の傘だけと言うことだ。

 は動きの鈍い大鷲に改めて視線を向ける。彼には彼の、負けられない理由が存在するのだろうが、それはも同じだ。

 少し視線を上げれば、観客席の向こうでこちらを見下ろしている神威と阿伏兎が見える。第一師団の副団長燕の姿が見えないが、まさか殺していないだろうかと一抹の不安を覚える。燕のおどおどした様子は弱い者を嫌う神威にとって一番苛立つものだろう。

 背後の観客の歓声がうるさい。頭に被っているフードがの視界を狭める。



「覚悟しろっ!」



 大鷲が野太い声で叫んで、棍棒を振り上げるが、先ほどよりも遥かに動きは遅い。やはり湯を頭から被ったことがこたえているのだ。しかし荼吉尼も夜兎と同じく怪力、地球人のが捕らえられればその腕力だけで殺されてしまうだろう。

 棍棒を軽やかな足取りで避け、は後ろに下がる。



「剣を抜け、」




 大鷲はに警戒しながら、棍棒を構えた。動きでだいたいどの程度の使い手なのかはわかるものだ。

 は長いマントを翻し、棍棒を避ようと飛ぶ。だが次の瞬間、横に振り払われるはずだった棍棒が、めがけて一直線に突き出される。はその漆黒の瞳をみひらく。

 白いマントに棍棒が食い込んだ。



「甘いなぁ、」



 ひらりと黄色い袖が舞う。翻るのは銀色の長い癖毛だ。



「っな、」



 女だとは予想していなかったのだろう、今度は大鷲が瞠目する。は棍棒の上に軽く着地し、傘の切っ先を大鷲に突きつける。大鷲は体を横にずらすことで銃弾をよけたが、その銃弾は一直線に後ろにいた司会の元へと向かう。

 予想もしていなかった事態に、火星人のような白い肌に大きな黄色い目をした司会の男は反応も出来ず、銃弾は男が持っていたマイクのコードを切り、その勢いのまま胸元を打ち抜かれた。

 コードは湯で濡れた床に落ちる。床が淡く光った。

 は棍棒を蹴って、体を一回転させる。後ろを振り向くことなく大鷲はを殺そうと棍棒を振り上げたが、次の瞬間、その巨体は硬直した。はバランスを取って傘の切っ先をタイルに突き立て柄の部分を蹴り、そのまま今度はリング外まで飛ぶ。



「…」



 観客がしんっと静まりかえる中、大鷲はばしゃっと音を立ててリングの上に倒れた。



「ばれちゃった。」



 は少し乱れた、一つに束ねた銀色の髪を軽く後ろに払いながら、リングを後にする。観客席の方を見ると、阿伏兎と神威が上から降りてくるところだった。幸い、後ろにはおどおどとした燕がついてきている。どうやら神威に殺されていなかったようだ。

 マイクには当然だが電気が通っている。は銃弾によってコード切り、漏電させた。床は先ほど配管から漏れた湯で、ぐっしょりと濡れている。おかげで感電しやすかったのだ。

 はというと夜兎の持つ傘の柄を踏み台にリングの外に逃げた。もともと武器として使用されるこの傘は電気を通さない仕様になっている。それが役に立った形だ。



「さて、何が欲しいの、。」



 ゆっくりと降りてきた神威は、にっこりと笑う。ただその笑顔には苛立ちも見える。が戦いをしているため退屈しているのだろう。はすぐに神威に傘を返す。彼は不機嫌そうにぴくりと整った眉を寄せたが、黙ったまま傘を受け取った。

 は次に副団長の燕を見やる。青みがかった黒髪に、戸惑ったような目尻の下がった赤い瞳。それを冷たく一瞥して、口を開いた。



「牢の夜兎、ぼうやいるでしょ、頂戴ね。」



 は腰に手を当てて言う。




「そ、それは…」

「団長自らの約束でしょう?まさか、破るなんて言わないよね。」



 第七師団の団員が闘技場で大鷲に勝てば、こちらの望みを一つ叶えると約束したのは、第一師団の団長である郭公自身だ。




「牢のぼうや?誰だそりゃ。」




 阿伏兎が自分のぐしゃぐしゃの髪をかき上げながら首を傾げる。





「わたしが見てたでしょ。離発着のポート見下ろせる窓から、見えたの。」




 は心底軽蔑の目を背後の大鷲と燕に遠慮なく向けた。燕がゴクリと息をのむ。




「ふうん。よくわかんないけど、それとって、ポートに行って、早く帰ろう。」




 神威は早く第七師団の母艦に帰りたいのか、あっさりそう言って踵を返した。

 どうせ第一師団と第七師団の連結部分は離発着用のポートに近いので、そちらを通らなければならない。帰るついでに牢の中の者たちを連れて行けば良いのだ。

 観客たちは大鷲の敗北と、が女であったという事実に戸惑いを覚えているのか、不穏にざわついている。変なもめ事に発展する前に、早々にここを出るのが良いだろう。もそう思って、神威に続いて闘技場を後にする。阿伏兎もそれに当然ながら続いた。




「あ、あの、団長の許可が、」




 燕は必死に言いつのって、の言葉を撤回させようとする。神威も阿伏兎も燕の態度に少しだけ違和感を覚えた。

 彼は牢にいるのは人身売買のための天人だと言うようなことを話していた。しかしながらただの人身売買の品ならば、これほどこだわる必要性はないはずだ。燕の態度で、神威と阿伏兎はのとった手段が正しいことを知る。牢の中の者は何らかの理由で第一師団団長にとっては何らかの意味がある天人らしい。



「許可なんかもう出てるでしょ。わたしが勝った。何か文句があるの?それとも、第一師団は約束すら守れないのかしら。」



 は歩を止めることもなく淡々と燕に尋ねる。燕は目尻を下げたまま、言い訳を探すように宙に視線をさまよわせた。まともな答えが返らないままに、いつの間にかポートへとたどり着く。



「おいおいおいおい、」



 阿伏兎があまりの光景に眉を寄せる。

 牢の中には何人かの夜兎がいたが、身を寄せ合って一カ所に固まっている。というのも、牢の中にある電灯が夜兎にとっては危険な紫外線を放っているからだ。

 日光に当たれば、夜兎の肌はやけどのような状態になる。逃げないように、そして弱らせるために、紫外線を牢の中で夜兎に当てているのだ。同族を愛する阿伏兎は怒りに眉間に皺を寄せる。は、すたすたと一番奥の牢へと歩いて行った。


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