「へぇ、酷いことするね。」
神威は気のない様子で牢の中を見た。ちらりと阿伏兎を見れば、珍しく怒りを覚えているのか、ぐっと拳を握りしめている。
牢の中にいるのは男女十数人の夜兎だ。身なりは汚く、服は薄く、肌を全て隠すほどの機能はない。電灯が強い紫外線を放っているのか、牢の中の人々の肌は焼けただれている。日光に弱い夜兎にとって、紫外線は危険すぎる。場合によっては、骨までひからびさせるだろう。
だが神威はそれほど同族に対しても同情は覚えなかった。神威にとって、強いか弱いかだけの話で、同族にこだわりなどない。
「…胸くそわりぃな。」
阿伏兎はそう言って、大きな牢の中にいる男女十数名の夜兎を外へと救い出す。阿伏兎は同族を重んじているから、許しがたいと思っているのだろうし、助けたいのだろう。
「ちょ、あのっ、」
第一師団長・郭公を恐れてか、副団長の燕は必死で阿伏兎を止めようとするが、軽く阿伏兎に払われて床に倒れ込んだ。
生憎神威はそれを手伝う気には全くなれなかったので、かわりに視線を癖毛の銀髪の女に向ける。
彼女は一直線に銀色の一つに束ねた長い髪をゆらゆら揺らしながら小さな牢へと歩み寄った。そこには裸にされた子供が紫外線にあてられ蹲ってぐったりとしている。だが、は自分の刀の柄に手をかけたまま硬直してしまった。
「何してるの。」
神威は首を傾げて声をかける。だが、彼女は一向に刀を抜かない。少し考え込むそぶりを見せるとあっさり柄から手を離し、牢の扉の前にしゃがみ込む。
「いや、何してるのっていうか、何したいの。」
「いやね。牢開けてあげないと、助けてあげられないじゃない。」
鍵穴に袖から出してきた何かを取り出して、突っ込んでいる。
「なんで刀抜かないの。一振りは曲がっちゃったみたいだけど、もう一振りあるんだし、いつも見たいに切ったら良いでしょ。」
神威は腰に手を当てて、呆れた様子で彼女を見下ろした。だがはそれに答えを返すことなく、牢の扉を鍵穴にものを突っ込むことで器用に開けると、中へ入っていった。
中にいる子供は裸と言っても遜色ない、ぼろ布だけの状態で長く紫外線に晒されていたせいか、肌がほとんど焼けただれてしまっている。ぴくりとも動かないので、神威は死んでいるかと思ったが、彼女が慎重に首元に触れると、びくりと体を震わせた。
「ちょっと阿伏兎、マント貸してよ。」
先ほどの戦いで、は被っていたフード付きのマントをリングに放ってしまったため、ない。かといって、体中をやけどしているこの子供をそのままの状態で運べば、ひどい状態になるだろう。
「あぁ?」
阿伏兎が振り向く。だが既に、やけどの酷い夜兎にマントを貸していた。は少し考えて、ちらりと神威の方を見上げてきた。
「なに?」
にっこりと笑い返す。ただその笑顔で神威が全く協力する気がないのはわかったらしい。というか、恐らく最初から期待していなかったから、神威のマントを借りようとはしなかったのだろう。
「なんでもない。」
は僅かに眉間に皺を寄せてから子供の近くに膝をつくと、自分の帯を緩めようとする。
「待ちなよ、何する気なの、」
神威は目を丸くして思いっきり牢を殴りつける。本人を止めるより明らかに早い方法だ。驚いたは神威の方へと視線を向ける。牢の鉄格子には神威が本気で手を払ったせいか、20センチくらいの穴が横に空いていた。
「いや、まあ、わたし長襦袢着てるし、一応着物絹だし、大きいから、この子包めるかなって。」
女物の袴は普通の着物よりも遥かに動きやすいが、袴をはいているだけで実質的に上の着物は常のものと同じものを着る。要するに大きな布なわけで、小さな子供を包んで運ぶには十分だ。
しかしそうすればは上だけ長襦袢で第七師団に戻らなければならないことになる。
「だって、この子をそのままって訳にはいかないでしょ。」
「そういうわけにはとかじゃなくて、おまえが脱いでどうするの。」
「神威も阿伏兎もマント貸してくれなさそうだし、仕方ないでしょ。」
は自分の腰紐を緩めて、着物だけを脱ごうとする。だが神威はそれに眉を寄せ、自分のマントを脱いだ。
「え、良いの?」
「良いのじゃないよ。もし俺が貸さなかったら、襦袢で動く気だろ?」
地球の伝統的な服のことなど、男たちは誰も知らないので、襦袢だけでも胸元は詰まっているし、団員たちは気にしないのかも知れない。だが、神威は襦袢が下着がわりだと知っているので、気持ちとしては複雑だ。
「だって、そのままこんな焼けただれた肌の子供、運べないでしょ?」
そう言いながら、は淡々と神威のマントで子供の体を包み込む。だがマントで包むだけでも痛むのか、子供は小さなうめき声を上げた。
「…そんな子供役に立たないでしょ。助けてどうするの。」
「あぁ、うん。まあ、良いんじゃない?あ、東の友達とか。」
まさに適当な答えをは返す。
「…はぁ?」
今度こそ神威は瞠目した。
「おまえ、まさかと思うと夜兎の奴隷を自分の子供の友達にする気なの?」
この夜兎の子供は、奴隷としてこの牢に入れられていたはずだ。人身売買や、麻薬売買など、黒い商売ばかりを請け負う第一師団に売られているくらいだから、幼いとは言えろくな人生を歩んできていないだろう。
夜兎であれば子供とは言え怪力だ。地球人の子供の遊び相手にふさわしいとは思えないし、怪しい場所で育った子供が息子に良い影響を与えるとはもっと考えられない。
「え?良いんじゃない?」
はというと神威が何を危惧しているのか全くわかりませんといった表情で、不思議そうに首を傾げて見せる。
「ちょっと、この子供夜兎だよ?しかもすれた子供は良くないよ。」
「良いじゃない。東も最近やんちゃだし、同年代の子供と遊ぶことも大切だと思うんだよね。」
「何したり顔で無茶苦茶なこと言ってるの。」
神威は腰に手を当てて、を睨む。だがそんなことで怯むような女なら、神威は彼女にこれほどこだわっていないだろう。
はというと、マントでくるんだ子供をそっと抱きかかえて牢屋の外へと出てくる。
「ちょっと、阿伏兎。おまえも反対しなよ。」
「なんの話だよ!」
けが人をまとめて抱え上げていた阿伏兎は、神威の方を振り返って突っ込む。どうやら夜兎を助けるのに忙しくて、こちらの話は全く聞いていなかったようだ。
「が夜兎の子供、アズマの友達にするって言うんだよ。」
「あぁ?その前におまえさんら、手伝えよ。こいつらを助けたいって、おまえさんが言い出したんだろ?」
「え?わたしは彼らに興味はないから、助けたかったら阿伏兎が助ければ良いよ。」
はあっさりとそう言って、阿伏兎を見返す。阿伏兎は彼女が言っている意味がわからなかったのか、抱えていた怪我をしていた夜兎たちを落としそうになった。
「は?夜兎助けようと思ったんじゃねぇのかよ。」
「宇宙海賊に人身売買なんてよくある話でしょ。わたしはこの子だけ手に入れば良いよ。」
人身売買など、宇宙海賊では実にありきたりな話だった。彼らを夜兎だからだなんだと理由を付けて助けようと思えば、お金がいくらあっても足りないし、は自分にかからない火の粉を払うような性格でもない。
とすると、何らかの理由ではこの夜兎の子供に利用価値があると考えたのだ。
「だったとしても、誰がこの子供の面倒見るんだよ。」
神威は不機嫌丸出しでを睨む。
「大丈夫。多分どうにかなるよ。」
神威の言葉にも、はどこまでも楽観的だ。
「おまえ仕事しかしないし、子供の面倒だって見ないだろ?俺、協力しないよ。」
戦いや物事に関して楽観的な神威も、流石に子供のことになると楽観的にはなれなかったし、は常に仕事に忙しく、の連れ子である東の世話をしているのは神威だ。子供の身の安全と、その世話が自分の身に降りかかってくると思えば、の言葉に賛成出来なかった。
「いらなくなったら良いじゃない。どうせここにいても捨てられるだけだろうしね、」
は子供を抱え、あっさりと言って牢から出てくる。
「ちょっと、、帰ったらちゃんと説明してよ。聞いてる?」
「聞いてる聞いてる。」
神威が言っても彼女はどこ吹く風で、別のことを考えているようだ。
あれ、この感じ、いつもと立場が反対ではないだろうかと思いながら、神威はため息をついて第七師団に戻ることにした。
やっぱり聞いていない