が拾った夜兎の子供は、ひどい状態だった。

 夜兎の肌は日光や紫外線に弱い。長い間人工の紫外線にぼろ布一枚であてられていたその子供の肌の状態はひどく、やけどが治ったとしても成長に伴って引きつったり、将来にわたって痕は残るだろう。子供は医務室で傷の手当てを受け終わる頃には目を覚ましていた。




「…やばね、矢羽根」




 名前を問うたに、子供はそう答えた。

 年の頃はぱっと見、5,6才と言ったところだが、もしかすると成長が悪いだけで、年齢はもう少し上かも知れない。紫外線に長い間直接あたっていたせいか髪の毛も抜けてしまっているが、元は栗色だったようだ。目の色は深い焦げ茶で、まだ状況がよく飲み込めていないのか、ぼんやりとしていた。

 無理もない、おそらくあの牢に長い間いたのだろう。



「一応、賭けに勝ってわたしが貴方をもらったことになっているはずだから、もうあの牢に入れられることはないし、ここには夜兎もたくさんいるから、適当に過ごしてね。」



 はにっこりと矢羽根に笑う。ただ彼の反応はいまいち良くなく、じっと警戒するような顔でや医務室で働く夜兎たちを見ていた。まぁ、時間とともに、是正されるだろう。

 は楽観的にそう結論づけて椅子から立ち上がり、副官の赤鬼のいる医務室の廊下へと出る。



「助けた夜兎から情報は聞けた?」

「はい。どうやら第一師団には何人か夜兎や荼吉尼がいるそうなのですが、師団長をはじめ副団長の燕以外は辰羅のようです。何人かは第七師団で働きたいと言い出しています。」

「うん、だろうね。」



 赤鬼と青鬼の報告は、どれもにとっては予想通りで、驚くに値しない。

 第一師団から助けた夜兎の何人かは、医務室にいる。紫外線に当てられていたり、虐待されていたりと肉体的にはひどい状態だが、夜兎の回復は早い。既に何人かは第七師団で雇って欲しいと申し出てきていた。

 学のない彼らには、力以外持つものがない。だからこそ、人身売買の場に引き出され、奴隷として第一師団の檻の中に入れられていたのだ。働き場所は限られている。

 第七師団は戦闘部隊であり、どうしても戦いでは死亡者も出るので、人員の補充は必要だ。夜兎であれば基礎能力の高さは約束されている。団員になりたいと望む夜兎を拒む理由は、第七師団にはない。

 赤鬼は淡々と他にもいくつかの報告をに聞かせたが、それが終わる頃、ふと口を噤んだ。



「どうしたの?」

「…団長、怒ってますよ。」



 先に自室に戻った神威は、どうやらの部下か、阿伏兎に苛立ちのあまりあたったのだろう。



「龍山、生きてる?」



 には3人の副官がいる。荼吉尼である赤鬼と青鬼の兄弟、そして夜兎でよりも少し年下の龍山だ。特に龍山は元元は文字も読めず、根性だけでどうにか勉強して書類をこなせるようになったという、典型的な肉体言語のみだった男だ。

 上司であるに対しても敬語なんてものはろくすっぽないし、ぞんざいだ。馬鹿なので一言多い。はそれでも目をつむるし、殴る気にはなれないが、そんなところが神威の勘に障るらしく、よく殴られていた。



「生きては、いますけど。」

「ん。なら良いよ。」




 はあっさりとそう結論づけて、ちらりと医務室の方を振り返る。



「あの子供はどうなさるおつもりですか。」



 赤鬼はの視線の先にあるものに気づき、問いかけてくる。

 夜兎とはいえ、子供なので傷が完全に癒えるのには時間がかかるだろう。ただ動けるようになるのは早いはずだ。



「立ち上がれるようになったら、執務室に連れてきて。あの子は今回の件が終わるまでは大切にしてね。殺されちゃうと困るから。」



 人差し指を唇において言うと、赤鬼は少し目を丸くしてから、神妙な顔で頷いた。



「第一師団のものが何人か視察に来るだろうから、気をつけてね。」



 一応注意を促して、は医務室を後にして自分の執務室へと向かう。副官の赤鬼もともについてきた。



「あと、刀曲がったから、…どうにかしないと」



 歩きながらはため息交じりで目尻を下げる。

 義父からもらった刀が曲がってしまったのは、ショックだった。曲がった刀を使い続ければ恐らくそのまま折れてしまうだろうし、直したとしても強度に問題が出てくるだろうから、生死に関わる場で使うのは危険だ。

 もう一振りは刀を持っているが、あれはの身を守るためのものではなく、が自分の大切なものを守るために振るうようにと、師が与えてくれた物だ。自分のために使うことは出来ない。武器なしというわけではいかないので、早急に新たな武器が必要だ。

 やるべきことは山積みである。

 執務室につくと、中では明るい声がしている。子供らしい高い声音と、それに混じる男性にしては高い神威の声。冷えていた胸にゆっくりと温かいものが広がるのを感じ、は目を細めた。




「ただいまー、」




 中に入ると、執務机の前に置かれているソファーの上で、神威との息子の東が楽しそうに笑っていた。




「おかえり、、」





 神威は膝の上に東を抱いたまま、に目を向ける。



「おかえりー」




 東も神威に続いてそう言った。くるりとした漆黒の瞳を見て、は机に戻る途中に手を伸ばし、その頭を軽く撫でる。とは全く異なるさらさらの黒髪は、すぐにの指からこぼれ落ちたが、温もりだけはちゃんと残った。

 東は母親が日頃はあまりそう言うことをしないため、少し驚いた顔をする。だがはそれに全く気づかず、机に向かう。

 その手を、東を膝から下ろした神威が掴んだ。




「あのお子ちゃま、どうしたいの?」

「あぁ、医務室だよ。」




 は神威の質問の意図は理解していたが、わざと見当違いの答えを返した。神威の青色の瞳に鋭い色合いが宿り、いつも笑みの形で固定されている口元が、ひくりと上がった。




「…まあ、良いよ。好きにすれば。」 




 神威はそれ以上、言葉で追撃する気はないらしい。内心がほっとしていると、ぐっと掴まれていた手が引っ張られ、無理矢理ソファーの方に体が引っ張られる。驚いていると、唇に柔らかいものが押しつけられた。



「俺も好きにするから。」



 神威が満足げに微笑む。は驚いて眼を丸くしたが、今されたことを頭の中で反芻し、じっとソファーの上から目を輝かせて息子がこちらを見ているのを意識して、そっぽを向いた。

 ただし、東がこちらを見ていたのは、“そういう意味”ではなかったらしい。



「マミー、かたなは?」



 高い声音が問いかける。どうやらの腰に一振り刀がないことに気づいたらしい。幼い息子もが刀を大切にしていたのは知っているため、気づいたのだろう。



「…」



 大鷲との戦いで曲がってしまった刀は、持って帰ってきてはいるが、修理は出来ない。それを思い出しては心が沈むのを、ため息をともにはき出す。




「買いに行く?」




 神威の軽い声音が問うてくる。

 あの刀は、随分と昔に、義父からもらったものだ。既に義父はもういないから、あの刀にかわるものを手に入れることは出来ない。そう、だからこそ大切なものであり、質うんぬんではなく、買い換えられるものではないのだ。

 は答えず、軽く首を傾げたままぼんやりとまとまらない考えを巡らせた。



あれれ