桐皇が誠凛に負けたその夜、青峰はを呼び出した。




「約束だからな。別れてやるよ。」





 言ってから足下から崩れ落ちるような感覚があった。

 安堵とも絶望ともつかない、遠い日、彼女に別れを告げられた時と同じ、酷い苛々する感覚だ。すべてを失ったような感覚が身体を支配する。

 黒子たちが勝てたら、別れてやると言った。そのときは絶対に彼らが自分に勝てることはないと思っていたから、そんなことを言ったが、それを黒子たちは覆してきた。約束は約束だ。しかも自分でした約束なのだから仕方がない。




「・・・はい。」

「他に言うことねぇのかよ。あー、情けねぇ。」





 無理矢理抱かれ、脅されてつきあっていた相手に、あまりに淡々としすぎていて、青峰はその場にゴールを背にして座り込んでしまった。正直彼女の表情を窺うだけの余裕もない。

 全部、全部終わったような顔をするなと言われたけれど、に関してはすべて終わった。踏みにじったことも、全部全部終わった。そう思えば心に積もる罪悪感と、感じる安堵に崩れ、壊れてしまいそうになる。

 負けても、勝っても、何も変わらない。むしろ負けてを失ってしまったのだから、むしろマイナスだ。負けてしまっても、取り戻せたものは何もなかった。


 俯いて座り込んでいると、ふっと影が出来る。青峰の前にいつの間にかがしゃがんでいた。



 ふわりと夜風に彼女の肩までに切りそろえられた髪が揺れる。それはバスケをする時に翻っていた、黒子の髪を思わせた。

 自分の仲間、相棒、恋人、全部失って、何も残らない。夜風が全部さらっていく。






「青峰くん、わたしはバスケは出来ません。」

「あぁ?んなのあたりめぇだろ。」 







 今更何を言っているのだ、と青峰は俯いたまま嘲る。

 彼女は体育の授業ですら基本的に見学だ。少し運動をするだけで肺が悲鳴を上げるため、基本的に激しい運動は禁止。それは未熟児で生まれてきた故だと聞いていて、先天性だ。身体も弱く、休みがちの彼女に運動など夢のまた夢だ。

 そんなことは病気のことについて詳しく知らない、馬鹿の青峰でもわかる。




「でも、だからわたしは楽しそうにバスケをしている人が好きです。」




 そっと細くて白い手が、青峰の頬に優しく触れる。ゆっくりと彼女の柔らかい声につられるように顔を上げると、は驚くほど穏やかに笑っていた。それは、昔青峰が好きだった、彼女の笑顔だ。自分のずっと焦がれていた、それでいて見ることの出来なかった笑顔。




「テツの話を聞いて貴方のバスケを見た時、とても楽しそうで、こんな楽しそうにバスケをする貴方はどんな人なんだろうって思いました。」




 出だしはあこがれだった。運動が出来る彼らへの憧れ。中でも彼を選んだのは、そこから彼自身に興味を持ったからだ。出だしがそこだったからこそ、歪んでいく彼が許せなかった。好きなバスケをする人々をもて遊んだ彼を見るのが辛くてたまらなかった。同時にそれをメンタル面で後押しする自分が許せなかった。

 だから、今日の試合を見ては思った。




「今日の試合を見て、やっぱりわたしは青峰くんが好きです。」





 全力で戦い、楽しそうに試合をし、強者に食いつく姿が、自分の憧れた物であり、好きになった彼だと思った。やっぱりは彼が好きで、誰よりも真剣で、誰よりもバスケが好きで、だからこそ全力で食いつくあの姿が、愛しい。




「真剣で、楽しそうで、それに一生懸命な青峰くんが好きです。」





 は呆然と目を見開いている青峰ににっこりと笑う。





「だから、わたしとつきあってください。」






 遠い日、それは彼が自分に言ってくれた言葉だった。頬を染めて、はにかんだように笑って、それていて不安そうにその青みがかった瞳は揺れていた。こちらを窺って怯えるように細められた瞳を、は忘れたことがない。それをは昨日のように覚えている。

 だから、始めるなら同じ言葉がよい。




「・・・馬鹿じゃねぇの・・・」




 青峰はくしゃりと自分の髪を掴んで、眼を丸くした。




「・・・やっぱり駄目ですか?」





 は目尻を下げて、感情の起伏の少し欠ける顔に悲しそうな色合いを見せる。

 捨てられた子犬のようなその表情をされると、何故かいつも言うことを聞いてあげたくなるのが、青峰だった。つきあった頃、彼女が愛しくて、いつも傍にいたくて、笑っていて欲しくて、傍にいてくれるのが嬉しくてたまらなかった。ふっとあの日のことを、思い出す。

 しゃがんでこちらを見ている彼女の手を引き、強く抱きしめる。そんなことすら、もう忘れていたのかもしれない。




「俺の方が好きに決まってんだろ!」





 どんな汚い手を使っても彼女に傍にいて欲しいと思った。笑っている顔が好きだと言いながらも、笑わなくても悲しそうな顔をしていても、彼女が好きだった。その気持ちが変わったことはないのだ。




「く、くるしっ、」





 思い切り抱きしめているせいか、が呻く。





「おまえが悪い、」





 試合に負けた悔しさも、絶望も、嬉しさも、すべてがない交ぜになってよくわからない。でも腕の中に彼女がいることだけはわかった。


太陽と月