幼馴染みだったと一緒に住めと父から命じられたのは、中学一年の冬休みのことだった。
「部屋は隣を使ってくれ、鍵もかかる。メイドが一週間に三回来るから、洗濯物とかは・・・」
赤司は端的に家の使い方を彼女に説明する。
「あ、うん。」
彼女は聞いているのか聞いていないのかわからない生返事をした。
久々にあってからも目尻は完全に下がっていて、表情も暗い。一年前に会った時は明るくて、こいつは馬鹿かというくらい無邪気で、少しは黙れと言うくらいよく話し、元気だったのに、今はその欠片もない。ただその理由を聞くのも憚れ、赤司はそ口に出来なかった。
「?聞いているか?」
彼女の名前を呼んで尋ねる。
「え、う、うん。聞いてるよ。」
反応は鈍かったが、聞いてはいたらしい。
「じゃあ荷物を置いておいで、」
「うん。」
掠れた声で、彼女は答えて、荷物を持って部屋へと歩いて行く。その背中は元々背が低かったのに、前よりずっと小さく見えて、やはり彼女は全く背が伸びなかったんだなと再確認した。
父から珍しくお願いをされたのは、正月に顔を合わせた時だった。
父はほとんど帰ってこず、赤司は屋敷の離れと言うには大きい別宅で一人暮らし状態だ。たまにやってくるお手伝いが家事をしてくれているので別に不満はなかったが、そこに父が幼馴染みのを一緒に住まわせろと言い出したのだ。
素っ気なく端的な父の話とは違い、彼女の長兄は海外からわざわざ帰ってきて、赤司に事情を説明してくれた。
と赤司征十郎は同い年で、の父が赤司の父の取引先であり、自体も公家の中でも有数の名門であったことから、幼い頃からよく遊ばされた。
とはいえ、は嫡男の兄二人とは年が随分と離れており、親が随分と年をとってから生まれた末っ子、しかも女の子であり、浮き世離れして蝶よ花よと育てられた彼女と、帝王学を学ばされていた赤司では全く話がかみ合わず、かみ合ったのは神経衰弱だけで、これだけは赤司も彼女に敵わなかった。
互いの両親が忙しかったこともあり、赤司は年の離れた兄がいるの家に預けられっぱなし。幼稚園も小学校も同じで、長期休みも基本的に赤司はの家の人間と動いていたので、いつも二人で一緒にいた。
物心つく頃にはとろくてすぐに行方不明になるの面倒を見させられるのはいつも赤司で、それにも慣れていた。中学は親の意向もあって別々の所に進み、連絡を取ることも少なくなっていたが、どうやら一年の間に彼女は相当苛烈ないじめに遭っていたらしい。
彼女の両親は仕事で海外暮らし。年の離れた兄ふたりも彼女が中学に入ると同時期に中東とアフリカに赴任していたことから、彼女は京都の祖母宅の離れで暮らしていたが、そのことが結局状況を悪化させる一因になった。
家族が気づいた時には、は学校に行かないどころか、部屋からも出なくなっていた。学校側から連絡を受け、初めて彼女の両親はことの重大さに気づいたのだと言う。
彼女の両親は仕事の関係ですぐに日本に帰ってくることは出来ない。彼女を海外に連れて行くことも危険地域への赴任であるため出来ず、途方に暮れていたのだ。それでどうやら仲の良かった赤司の父に相談したらしい。
結論として、彼女の長兄が正月とクリスマスに休みを取って冬休みの間に転校の手続きをとり、は赤司のいる帝光中学に移ることになった。
ついでに一人暮らしをさせるには心配だからという理由で、赤司の家で暮らすことが決められた。
おそらく彼女が学校に行かず家に閉じこもるようになったため、それを防ぐための見張りの意味も含まれているのだろう。対人恐怖症を患っているという彼女は、一応赤司に久しぶりに再会しても黙ったままだったが、気絶したり、呼吸困難を起こすことはなかった。
まず赤司に課せられているのは、この幼い頃からあまりに変わってしまった彼女に無理をさせず部屋から出すと言うことだった。
「?」
荷物を置きに行っただけだというのに、戻ってこない彼女を心配して、彼女の部屋の扉をノックする。すると少し間を置いて、「うん。」と暗い声がかえってきて、扉が開いた。
改めて見ると、一五八センチの赤司が言うのもなんだが、彼女は随分と小さい。多分一四〇センチくらいしかないだろう。漆黒の髪はさらさらだがおかっぱで、あまり成長していない。小学生時代のあだ名が座敷童だっただけのことはある。
だが大きな黒い瞳の纏う暗い雰囲気は、小学生時代と打って変わって不幸を呼びそうだった。
「何か不具合でもあったかい?しばらく使ってはいなかったけど。」
「うぅん。」
暗い、ふわりと浮いた声音。ちらりと彼女の部屋の中を見ると、荷物が解かれることもなく置かれていた。一体彼女は時間をかけて、何をしていたのだろう。
「京都から来て疲れているだろう。お茶でも飲もう。」
彼女の実家は京都にあり、だからこそ彼女は両親がいなくても京都の学校に通っていた。帝光中学に赤司とともに入学してはと提案していたのは彼女の長兄・忠煕で、おそらくいつも赤司に頼っている彼女をよく知っていたからだろう。
それは不幸な予言となった。いつも赤司とともにいた彼女は、赤司のいない場所になじめなかった。
「うん。」
「今日はそればっかりだな。」
赤司は小さく苦笑して、昔みたいに彼女の頭を撫でようと彼女の頭に手を置く。その途端に彼女はびくっと肩を震わせた。今までにない反応に、赤司は眉を寄せる。
「どうした?」
「あ。」
ふっとは赤司の方を見上げる。その大きくて丸い漆黒の瞳は確かに恐怖を抱いて、ゆらゆら揺れていたが、すうっと大きく焦点を結び、ぱっとすぐに俯く。それはまるで今、赤司がそうしたと気づいたようだった。
「な、なんでもない。」
ぎゅっと自分の胸元で手を握って、彼女は赤司にと言うよりは自分に言い聞かせるようにそう言って頷いた。
一年前に最後に別れた時、彼女は明るい少女だった。箱入りのお嬢さんで、この世に汚いことなんて何もないとでも言うように鈍くて、それでいて少しずれているがよく話す、明るい、いつも笑っているような少女だった。
彼女は一年のうちに笑顔を失い、悪意と恐怖を知った。
「・・・」
何があったとは聞けない。だが、彼女の態度は明らかに傷の深さを物語っていて、無理矢理引きずり出せばより悪化させることは、どう見ても明らかだった。一応カウンセリングにも通っていると言うが、効果は人によってまちまちで、彼女を見る限り好転しているとは思えない。
まだ少し、冬休みは残っている。
「このあたりを散策するとか、ゆっくりゆっくり進めば良いよ。どうせせかしたところでうまく出来ない。」
昔から、は人と同じ速度で進めない。なんと言っても右向け右で右がどちらかわからず、とろすぎて右を向けず首を傾げているようなタイプだった。だから、人と同じ速度ではなく、なりの速度で歩けば良い。
それにあわせて歩くことに、赤司は慣れていた。
良くない変化