「こんなところで寝ていたら、風邪を引きますよ。」



 そう言って、ベンチに座って眠ってしまっていたを起こしたのは、そこにいるのを忘れてしまうほどに存在感の薄い少年だった。

 対人恐怖症と言っても、全員に対して倒れるわけではなく、いじめが原因であるため、同年代が駄目なのだ。なのに、彼は明らかに自分と変わらない年齢で、目の前にいるというのに、何故か怖くない。多分怖くないと言うよりは、存在感がなさ過ぎて、テレビ電話のような雰囲気しかないからだろう。

 無機物に話しているような感じだ。




「あ、え、ごめんなさい。」




 は慌てて身を起こし、少し離れたところにあるコートを見る。コートでは何人かの人がプレイをしていて、その一人が赤司だと確認できた。

 どうやらまだ彼の練習は終わっていないらしい。

 本当は同級生になるわけだし、彼らに挨拶くらいした方が良いのだろうが、その勇気はない。大抵同じ年頃の人間と会うと気絶するか、呼吸困難を起こすので無理だ。だから遠くから見ながら、赤司のバスケの練習が終わるのを待っている。

 とはいえ、隣にいる少年には何故か緊張を感じなくて、は首を傾げた。見れば彼はバスケットボールを持っている。




「あのバスケ部のひと?」

「はい。ここの近くの帝光中のバスケ部です。」




 ひょろっとしていて、背は130センチのよりは高いが、決して少年が学校で高い方とは思えない。強そうな雰囲気もなかったが、もしかすると赤司の言っていたレギュラーの一人なのかもしれない。




「すごいですよね。」




 彼はが赤司たちを見ていたことを知っていたように、同じように彼らを見て言う。




「うん。」




 幼い頃から、は赤司の隣にいた。理由はよくわからない。親同士仲が良かったからと言うのが一番大きな理由だろう。小学生時代は見事に6年間同じクラスで、よく赤司とは同じ班にされていた。

 バスケを彼が始めたのがいつかは忘れてしまったが、気づいた時にはすでにやっていた。多分天才的プレイヤーとして名声を確立していたの長兄・忠煕の影響だったのだろうと思う。何をやらせてもトップクラスに出来た彼は、バスケに関してもめきめきと成長し、誰もが驚くほどの選手になっていた。

 だからバスケの強豪帝光中学に入ったのだ。

 両親から聞く彼の近況はだいたいうまくいっているというもので、あまり小学校の頃と変わっているようには思えなかった。

 対しては実家がある京都の中学に入り、そこでいじめを受け、結果的に転校することになった。




「この近くに住んでいるんですか?」




 影の薄い少年はバスケットボールを持って、穏やかに尋ねる。あまりきつくない柔らかで聞き心地の良い声が、耳にすっと入ってくる。



「うん。おひっこしで。」

「じゃあ、学校は帝光ですか?」

「う、うん。」



 そのことを考えると気が重たくなる。

 前の中学では初日から小学校時代の知人に絡まれ、挙げ句いじめられるという酷い目に遭った。彼らは多分最初から目をつけていたのだろう。正直別の中学とは言え、自分が毎日通う姿が、もう想像できない。




「頑張ってください。帝光小学校は良いですよ。僕、卒業生なんです。きっと新しい友達が出来ますよ。」



 少年はにっこりと笑って、に言う。その言葉には目をぱちくりさせた。その反応に彼は驚いたのか、首を傾げる。



「・・・」

「あ、ごめんなさい。何か気に障ること言いました?」




 黙り込むに、少年は慌てたように尋ねる。単調で穏やかだった少し声がうわずっていて、彼の焦りが伝わってきた。

 確かに自分の背は130センチしかないし、お世辞にも大人っぽいとは言えない。漆黒の髪はぱっつんのおかっぱで、小学校時代のあだ名は座敷童だった。いまでもその体型は変わっていないが、それでももう中学1年生だ。



「わたし、そんなに小さいの?」





 の成長期は確かに遅い。来るかどうかも今となっては怪しいところだ。運動神経や動体視力は良い方だが、大抵の人間はの背が低いのを見て、どのスポーツでも成功しないだろうと言っていた。




「え?えっと、僕も小さい方なので、何とも。」




 男として、決してクラスで背が高い方ではない。バスケ部と言えば身長が大きいというのがセオリーだが、その中では小さい方だ。ただ、少なくとも彼は、が意図していることに気づいたらしい。




「もしかして、中学生ですか?」

「・・・」

「転校って言うことは、三学期からですか?すいません。気分を害しましたね。」




 少年はぺこりと謝る。何やら薄い雰囲気のおかげで、抗議することこそ出来ないが、中学に入ってから正直普通に初めて話せている気がする。




「あの、」



 貴方の名前は、と聞こうとして口を開いたが、その声がかき消された。




「テツ!誰だよそいつ、知り合いか?」




 背の高い髪の短い少年が、バスケットボールをつきながらやってきて、影の薄い少年に尋ねる。だがその強い存在感に、目眩がした。




「この人は、え、ちょっ、あれ、だ、大丈夫ですか?!」

「おい!!!」




 二人の少年が慌てた声で言う。




!」




 最後に聞き慣れた赤司の声が聞こえた気がしたが、の意識はそれ以上もたなかった。

大丈夫、じゃない