は結局、汗まみれになったブラウスを脱いで、赤司のセーターを着て帰ることになった。




「・・・はしたない。」

「・・・怒らないで・・・」





 は不機嫌に言い捨てる赤司に大きな瞳を潤ませる。赤司はそれを見てため息をついた。

 そういう彼女の目に赤司は昔から弱い。赤司が怒った顔をしていても、大抵はあまりに素直に目尻を下げてみせるので、それ以上言う気が失せるのだ。とはいえ、あまりに自覚がなさ過ぎる。

 男なら服を脱いでコートを着て帰れで終わるが、流石にがキャミソールの上からコートを羽織るのはどこかのエロゲーのシチュエーションのようでありえない。かといってあの汗だくのブラウスを着て帰るのも微妙だ。

 おかげで赤司はセーターをに貸す羽目になった。




「あーくっそ!やられっぱなしとか、」

「それはわたしだよ。」





 青峰とはお互いにまだやり足りなかったのか、口げんかを始める。

 は弱そうに見えて、負けず嫌いらしい。遊びだと言っていたバスケに本気になったのもそのせいだろうが、それは同じで、青峰も最初は教えてやるとか上からものを言ったのに、今となってはマジ気ある。





「存外は勝ちにこだわる性分なのだな。」





 緑間も意外だったのか、と青峰のやりとりを眺めながら言う。日頃のぼやーっとして鈍いからは全く想像できなかったのだろう。





「そうだね。小さい頃、ばば抜きを20回やらされたことがある。挙げ句わざと負けたら泣かれた。」






 赤司は幼い頃を思い出してため息をついた。

 今でも忘れない、小学校の3年生の時の夏休みだ。の家でばば抜きをやっていたのだが、何度やっても顔に出るに勝ち目はなく、負け続けていた。それでもは諦めずにしつこく同じばば抜きをやろうという。

 だんだん赤司も面倒になってきて、負ければ満足するだろうとばばをわざととったのだ。はなんだかんだ言っても手を抜かれるのは大嫌いで、すると今度は大泣きされた。

 それから赤司はとゲームはしないことにしている。





「でもー、あの子もう少し背が大きかったらすごかっただろうにね。」






 紫原はしみじみと言う。 

 もしもの身長があと15センチ高ければ、十分に女子バスケでも通用しただろう。だが、の身長は今現在の時点で130センチ。身長がものを言うバスケをするにはあまりに低い。否、他のスポーツでも同じか。





さんも、僕らが夜にやっている居残り練習に来ます?」





 黒子は青峰と言い争っているに尋ねる。





「え、良いの?」

「良いですよ。一緒に2on1で青峰くん倒しませんか。」

「はぁ!?ざけんなテツ!」

「わたし頑張る!」

「おいぃいいい!」






 何故か黒子とによる打倒青峰共同前線に、青峰の方が慌てたが、ふわりとした雰囲気の黒子とは手を繋いでにっこりと笑うだけで青峰を黙らせた。






「あのふたりって、なんかふわってしてて、言う気なくすよね。ずるいー。」

「というか勢いをそがれるのだよ。」






 紫原と緑間は大きくため息をつく。

 なんだかんだ言っても、と黒子が身体的というか、能力的というかひとまず弱いと言うことも知っているため、ふわっと笑われると言っても可愛そうだし、と仏心が出てしまうのかもしれない。




「黒子くん、一緒に頑張って青峰くんを倒そうね。」




 は楽しそうに黒子の手を取って笑う。





「はい。頑張りましょうね。」

「おいおいおいおいおいおい、おまえ俺の相棒だろ!」





 青峰が黒子の腕を引っ張った。






「そうですよ。でも頑張りましょうね」

「うん。」

「ったく。」





 三人はなんだかんだ言いながらも、笑いあう。

 単純な性格が青峰とはぴったりと来る。そして青峰と黒子は正反対だからこそうまくいく。のんびりしたところが、黒子と合致する。

 それを感じて、赤司は小さく息を吐いた。

 対人恐怖症は徐々に和らぎつつある。今日は同年代の人間の前に立っても気絶しなかったし、どうやら少なくとも青峰は完全に大丈夫になったらしい。少なくとも曲がったことの嫌いな二人は誠実なの友人になってくれるだろう。

 だが、それを不快に感じる答えを、すでに赤司は見つけつつあった。





「俺は、」






 まだ気づきたくないと、自分の心が言う。目をそらしたいと思う。

 このまま自分の感情のままに動けば、彼女をまたあの悲しみの中に引きずり戻してしまうかもしれない。が笑っているのに、それを受け入れられなくなる。まだ手を出して良い時ではない。今彼女を閉じ込めれば、永遠に彼女は笑顔を失うだろう。

 だから、だから、まだ。




「征ちゃん、寒い?」




 いつの間にか、赤司の隣に来ていたが尋ねる。

 汗だくになったブラウスを脱いでしまったので、は今、コートの下、キャミソールの上に赤司のセーターを着ている。その代わり赤司が着ているものが往路より一枚少ないわけで、は寒くないか気にしているらしい。





「寒くないさ。着込みすぎたと思っていたから。」

「ほんと?征ちゃん、いつもわたしに優しいから。」

「そう思うなら、あまり予想外のことはしないで欲しい、」





 赤司はぽんっとの頭を軽く叩く。その拍子に肩までの艶やかな黒髪がさらりと揺れた。





「それには女の子なんだから。」

「え?」





 はよくわからないのか小首を傾げる。

 女の方が男性を意識するのは早いと言われるが、は兄がいるせいか、あまり人の目を気にしない。幼い容姿で、子供扱いしかされないからというのもあるのだろう。

 だが、流石に中学生にもなれば、キャミソールを着ているとは言えブラジャーの線も肩紐も見えるのに男がいる場所でブラウスを脱ぐのは浅慮だ。実際に緑間と黒子は顔を背けていた。青峰は気づかなかったようだが、年を経ればわかるようになるだろう。


 なのに、はよくわからなかったらしく、心底不思議そうに注意の意味を考えている。


 彼女は多分、まだ女と男が違う生物だと言うことも、男の見る目が変わることも、まだ何もわかっていない。その変化の前に、彼女は自分の周りの変化に耐えられなかった。だから、まだそこまでわからない、しらない。

 知っていくのは多分、もっと後なんだろう。





「えっと、セーター借りちゃったこと、怒ってる?ごめん・・・」





 は目尻を下げて、しょんぼりして謝る。




「そういうことじゃないんだけど、ま、言っても駄目だから、もう良いよ。」





 赤司はの頭を軽く抱き寄せて、くしゃりと撫でてやった。

 それほど身長の高くない赤司よりもずっと低い身長。幼いからだ、幼い心。それを抱えている彼女は、多分歩くのも遅い。だから、きっと恋愛感情を知るのも遅いはずだ。赤司が焦らなくても、きっと徐々にわかってくれるだろう。




「いつかわかる。どうせはゆっくりじゃないとわからないしね。」





 赤司は彼女の隣で、手を繋いで一緒に歩いてやればそれで良いと、まだ思っていた。

 青峰が狭い世界から彼女を引っ張り上げたことも、そして黒子がに寄り添っていることも、彼はまだ気づいていなかった。



静かなる予兆