「よぉ、ちびっ子。」
がたまたま灰崎に会ったのは昼ご飯時のことだった。
今日は部活のみんなで食べるから、一緒に来いと赤司に言われたのだ。ところが赤司は先生に呼び出されてしまったので、は職員室の前の廊下で待っておけと言われたが、は中庭でしばらく待つことにした。
中庭には池があり、魚が泳いでいるし、ウサギなど何匹か動物もいる。本当は教室で待っていても良いし、先に学食に行っていても良いのだが、他のメンバーはもう学食に行ってしまったようで教室にいなかったし、元々は動物が好きなので、そこで待っていることにした。
廊下で待っていろと言っていたが、どうせしばらくしたら、赤司がの惹かれそうな場所に気づいて迎えに来てくれるはずだ。
そこで灰崎に会ってしまったのは、まさに誤算だった。
「こんにちは、灰崎くん。」
は素直に挨拶をしておきながらも、彼がどうしても苦手だった。
自分をいじめていた人たちとよく似た、悪意を感じるからだ。それが自分に向けられているわけではないが、いつ向くかがわからない気まぐれさが彼にはある。
「なんだよ、そっけねぇなぁ。ちゃん、」
「・・・え?」
は彼が自分の名前を知っていたことの方に驚く。だが実は灰崎はのことをよく知っていた。自分が一番恐れ、それでいて嫌っている赤司が彼女を気にしていることに気づいていたからだ。
は一年の3学期に転校してきた上、しばらく保健室登校をしていたようだった。だがと赤司は恐らく知己だ。どう見ても赤司のに対するフォローの仕方は、あらかじめお互いを知っていてしか成り立たない。
彼女は驚異的な記憶力を持っているらしい。それがマネージャーとして監督やコーチがを一目置く理由になっているのは明白だ。赤司の感情が自分の道具に対する庇護なのか、きわどいところだが、どちらでも灰崎にとっては良かった。
事実は変わらない。
このひ弱で、背が学年で一番低く、可愛いと言えば可愛いがそれ以外なんの特筆すべきカリスマ性も、こだわりも持たない少女は、赤司にとって必要な物なのだ。
「おまえ赤司の腰巾着だろ?」
「こし・・・なに?それ?」
灰崎が言っても、の反応は鈍い。この間もそうだった。自覚がない上、言語能力もないらしい。
「・・・なぁ、おまえ学年期末テスト一位だったよな。」
腰巾着の意味がわかっていないのに、学年で一位だったなんて、何かの間違いじゃないだろうか。そう思ったが、は小さく頷く。
「うん。一番だった。」
「腰巾着の意味は?」
「腰につけて携帯する巾着。」
「わかってんじゃねえか。」
「赤司くんは、腰巾着持ってないよ。」
話が全く通じていない。最初はこちらを馬鹿にしているのかと思ったが、本人には人を馬鹿にするような精神性は全くないらしい。多分、比喩的な表現というのが理解できないのだろう。苛々するが、これ以上議論するだけ無駄そうだった。
は灰崎と別に話したくないのか、ケージの前にしゃがみ、ケージ越しにウサギの頭を指でなでなでしている。何やらその姿が子供っぽくて、彼女に酷くぴったりときていた。
「あー、なんかおまえ言う気なくすわ。それ可愛いか?」
「かわいい。」
ふにゃっと彼女の表情が一気に緩む。灰崎はそれを見て萎えた。
正直強い奴を踏みつぶしたり、気まぐれにどかせることは楽しいが、ここまで自分より弱いとわかっていると、やる気もなくす。赤司の腰巾着だと聞いて何か一発くらいやってやろうかと思ったが、気分がそがれた。
しかも子供過ぎて、女として扱う気すら失せる。噂はいろいろ聞いていたし、可愛いのも認めるが、それが性的対象かと言われれば、話は別だ。
丁度そういったことに興味の出てくるお年頃とはいえ、これにたつ奴も相当欲求不満だと思う。
「ちびっ子ー、おまえちょっと気をつけろよ。」
「え?」
「こんなとこにのこのこ一人で出てきたら、何されるかわからねぇだろ。」
灰崎はおせっかい心でに言う。
正直、灰崎以外にも赤司のことを面白く思っていない人間はたくさんいる。特に部内にはそれなりの数おり、そう言った人間はすぐにに目をつけるようになるだろう。だからこそ、レギュラーたちも皆に目を配っているのだ。しかも桃井と違い、はその記憶力と統計で有名になりつつある。
キセキの世代の実力を間近で見たことのない人間の中には、がいれば勝てると思う部員も、それなりにいる。特別な力は、ある意味で本人を特別な危険にさらす。
ある意味でが今無事なのは、特別な才能の誇示の仕方を知っている赤司に守られているからだ。
「どうして?」
は本気で何もわかっていないのか、不思議そうに灰崎を見上げてくる。しゃがみ込んでいるの隣に同じようにしゃがみ込んで、「あのな。」と口を開いた。
「おまえさ、いじめられてたんじゃねぇの?」
灰崎が言うと、は顔色を変えた。大きな瞳の目尻が落ちそうなくらい下がって、あっという間に瞳が潤む。
対人恐怖症で気絶するという噂はあった。大抵それは人間不信が原因になることが多い。彼女が一年の3学期という変な時期に転校してきて、しかも赤司が知り合いで、何かと彼が過保護なのも、詳しい理由を聞かなくてもだいたい想像がつく。
でも多分、このままではまた同じ目に遭うのは時間の問題だろう。赤司のせいで。だから、もちゃんと自覚しておかなければならない。
「や、いや、な。いじめようってんじゃねぇ。でもな、おまえが強くならねぇなら、おまえは自分が弱いって自覚して、強い奴から離れちゃ駄目なんだよ。」
灰崎は泣きそうになっているになんて説明すれば良いのかわからず、早口で言う。
特別な力を持っている人間は、性格的にも何かあるのが常だ。黒子ですらも人を引きつけるものを持っている。そして同時に清濁あわせ持つものだ。なのに、には何もない。裏も表も知らない。ただ素直に、綺麗なものだけを見ている。
それはがいつも赤司に守られて生きてきたからだ。
でも才能を持つならば、彼女は赤司のような強い存在の傍でなければ、生きられない。離れるのは、彼女が他の強い存在を見つけるか、自分が強くなる、違う生き方を見つけた時だけだ。彼女が彼女のまま今の生き方を続けるなら、必ずは強い人間の傍にいなければならない。
自分を守るために。
「強いやつ?」
はきょとんとした目をして、灰崎を見上げる。
「たとえば?」
「・・・ほら、赤司とか、青峰とか、」
「バスケが強い人?」
灰崎の意図はまったく伝わらなかったらしい。というかそもそもさっきからとあまり話が通じていない気がする。
「いや、そっちじゃなくて喧嘩の話だよ。いや、まぁ青峰も赤司の奴も強いだろうけどさ。」
「けんか?したことないよ。わたし弱いし。」
「おまえがするなんて話してねぇよ!ってかおまえどう見ても弱いだろ!」
そもそも誰がどう見てもが強そうになど見えない。は体格が小さすぎる。そんな間違い誰も起こさないだろう。
話の腰を見事に折られてしまい、灰崎は大きくため息をついた。
「あ、そういえば赤司くんが部活の人でご飯食べるって言ってたよ。一緒に行こう。」
は不思議そうに首を傾げていたが、あ、と思い出したのかくるりと丸い瞳を灰崎に向けて、くいっと袖を引っ張っていた。
「あ?たりぃだろ?」
「えー、行かないの?」
が目尻を下げてチワワのような目で見上げてくる。
あれ、自分これに弱いかもしれないと、灰崎はいらないことに気づいてしまった。
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