「多分、5月を過ぎれば俺がキャプテンになることになる。」





 ソファーに座って本を読んでいた赤司が突然言い出したのは、4月に入ってすぐのことだった。



「え?」




 は全く予想だにしなかった報告に眼を丸くして隣に座る彼を見る。先ほどまでテレビを見ていたわけだが、今は内容を全く記憶できないほどに驚いている。

 いずれはそうなるだろうとは予想していた。

 彼は1年の頃から副キャプテンとして仕事をこなしていたし、2年になってからも一軍のまとめ役としていろいろ仕事をしていた。がマネージャーとして対人恐怖症を持っていながらも部活になじめたのは、彼が副キャプテンとしていろいろ説明し、裏で手を回してくれていたからだ。

 しかし、まだ2年生である。3年生は残っていて、まさか誰も2年の初めから赤司がキャプテンになるだろうと思っていないだろう。



「え、虹村先輩は?」

「父親の体調が相当悪いらしい。」

「それは・・・無理言えないね。」



 試合と心労、責任、色々なことを考えれば、確かに彼にキャプテンを任せるのは酷だ。おそらく赤司が主将になることに突如なったのも、そういうことなのだ。

 は赤司の顔を見る。考え事をしているのか、そう言えば数十分前から本を開いてはいるが、ページが進んでいる風はなかった。赤い瞳に宿るのは懸念なのか、不安なのかよくにはわからなかったが、彼がプレッシャーを感じているのだけはわかった。



「そっか。大切なお役目だね。」




 は隣に座る彼の肩に額を預けるように置く。



「そうだな。」



 赤司は拒むこともなく、淡々と答える。

 いつもそうだ。彼は望まれる期待に見事に応えてきたのだと思う。だがそれは彼の血を吐くような努力があってこその物だ。常に勝利と結果を求められる彼が努力する姿を、はいつも一番傍で見てきた。だからキャプテンになることも彼の努力を思えば当然の結果だったが、それが彼に与える負担を思うと、少し心配だ。



「わたしも、できることはなんでも頑張るよ。だから言ってね。」



 に出来ることは少ないし、彼に頼ってばかりだ。でも、いつでも助けたいと思っている気持ちは本当だ。

 言うと、淡々としていた彼の表情に少しだけ柔らかさが混じる。




「あぁ、そうだな。ありがとう。」




 こちらに優しい目を向ける彼は、いつもの彼だ。でも珍しく赤い瞳がを映して僅かに揺れているのを、は見逃さなかった。

 きっとだって、部長など任されれば不安だ。部長というのは帝光中学のバスケ部100人全員の思いがそこに集まるということで、とても重たい。当然、優秀な彼でも不安に思って普通で、はぎゅっと彼の、自分より少し大きな手を握る。



「いつもわたしは頼ってばかりだけど、いつも征ちゃんを助けたいよ」



 は素直な心からの気持ちを言葉にした。すると、赤司は口元に手を当てて、ふっと笑った。



「まああまりは役に立たないけどな。」

「征ちゃん、酷い。わたしは本気で言っているんだよ。」

「わかっているさ。いつもは本気だ。」



 彼の手が、を引き寄せるように背中にまわる。その手は昔よりずっと大きくなったが、幼い頃自分を抱きしめてくれた優しい手と変わらない。



「征ちゃんはあったかいねぇ。安心する。」



 は彼の背中に思いっきり手を回して、胸に遠慮なく頬を押しつける。

 昔から彼と自分の距離はゼロだった。一緒にお風呂も入るし、一緒に眠る。寂しいと泣けばいつも隣には彼がいてくれた。彼が寂しいと泣くことはないけれど、寂しいと思ったり不安になった時、少しでも傍にいてあげることが出来ればは嬉しい。

 にとって、彼の腕の中は世界で一番安心できる場所だから。



は昔から変わってないな。」

「うん。だから征ちゃんが大好きだよ。」

「馬鹿だな。」



 小さい頃から言っていた言葉を繰り返せば、赤司は笑ってくれた。馬鹿だなんて言うことはよくわかっている。でも彼のために何かしたいと思う気持ちは一緒だ。彼がにたくさんのことをしてくれるように、も彼を大切にしたいと思っている。




「小さい時から、こうしてふたりだったからな。」




 赤司は幼い頃を思い出すように目を細める。

 仕事に忙しい互いの両親は二人ともいつもいなかった。赤司との面倒を見ていたのはの兄二人だったが、彼らもすでに高校や大学に進んでいた。そのため部活や勉強で夜帰ってくるのは遅かったから、小学生の頃は、の家で二人待っていることが多かった。

 互いに互いの知らないことなんてほとんどなくて、いつも当たり前のように一緒に生活をしていた。疑いようもなく一番傍にいた。




「うん。これからもそうだよ。わたし転校して良かった。征ちゃんには負担をかけちゃったけど、でも征ちゃんのバスケを手伝えるから。」




 赤司にはいろいろしてもらって、負担をかけているのはわかっている。それを申し訳なく思う。だからこそ、同時に彼を少しでも手伝えるのは本当に嬉しい。



「負担なんて思ってない。といられるのは嬉しいよ。」



 赤司はの背中をぽんぽんと叩いてから、身体を離す。そして額をこつんとあわせ、の頬に手を添える。



「ふたりぼっちね。」

「悪くないよ。」



 幼い頃からいつもそうだった。だから寂しくなかった。久しぶりに間近で見るの瞳は、やはり変わっておらず、漆黒で丸く、大きいが、まっすぐ赤司だけを映している。



「今日はわたしがご飯を作るよ。」




 はにっこりと笑って言う。今日は一応赤司の食事当番の日だが、別に暇なのだ。が作っても問題はない。いや、なんとなく、自分が作ってあげたかった。




「何が良い?」

「じゃあ、湯豆腐で。」

「また?でも確か、おばあさまからお豆腐が届いていたはず。湯葉もあるし。」



 の実家は京都にある。今京都に住んでいるのはの祖母だけだが、赤司が豆腐が好きなことを知っているため、たまに送ってくる。ちゃんと錦市場にある仕出し屋から取り寄せた一流の物で、ついでに湯葉も入っていたはずだ。

 幸い昆布などもあるし、大丈夫だろう。



のご飯が美味しいからね。」




 赤司は柔らかにその赤い色合いの瞳が細められる。

 の両親は忙しかったが、幼い頃から帰ってきた時は料理もしてくれたし、遊んでくれた。兄もいたので、あまり寂しくもなかった。だが赤司は母が病弱で、父が忙しかったため、ほとんど家庭という物をしらない。

 そのせいか、自家製の食べ物というのをどちらかというと好んでいた。恐らく味の問題ではなく、そこに気持ちがあるかどうかと言うことなのだろう。




「征ちゃんも料理上手だけどね。」

「でも、の味はおばあさまの味とよく似てるよ。」




 赤司がおばあさまと呼ぶのはの祖母だ。赤司とは幼い頃よく長期休みになると京都の家に預けられていた。の祖母は温かく赤司のことも迎えてくれ、そこですごす休みはとても快適だった。

 に料理を教えたのはその祖母だ。赤司のように料理人に教養の一つとして教えられた物とは違う。



「そうかな。」

「そうだよ。夏休み、お盆は部活が休みになるから、会いに行かないとな。」



 の祖母はもうすでに相当の年齢で、体調もあまり良くない。東京にいるので頻繁に会いに行くことは出来ないが、できる限り時間はとるべきだろう。それに、いじめを受けているに気づいてやれなかったと随分を心配して、今でも赤司に数週間に一度ほどの様子を聞くために連絡してきていた。

 ただにとって京都はいじめを受けた中学がある場所で、祖母に会いに行くだけとは言え、気乗りする場所ではない。

 でも、傍に赤司がいるなら、きっと大丈夫だろう。



「良い報告が出来るように、頑張るね。」

「頑張るのは俺だけどな。」

「わたしも手伝うの。」



 が言うと、彼は少し困った顔をしながらも、嬉しそうに笑ってくれた。

ふたりぼっちとつながり