栖鳳学園は昨年全中三位の強豪であると同時に、京都きっての名門でもあった。



「よろしく願いします!」




 東京まで合同練習と練習試合にやってきたのは栖鳳学園の一軍と二軍の一部、随行のマネージャー約40人だった。



「結構強そうだけど、な」



 青峰は練習のレイアップシュートをしながら、相手側を見る。

 栖鳳学園はぱっと見ても非常に整ったチームで、見てわかるくらいに強い選手も何人かいる。上級生のレベルも高く、うずうずするほど良いチームだ。ただどうしても青峰は別のことが気になって仕方がなかった。



「本当に、耳障りですね。」



 黒子も嫌悪感を隠しきれずに相手側のコートを一瞥した。



「ほら、あそこにいるの、前噂になってた奴だよ。」

「あー、俺も聞いたことがある。2組のチビだろ。いじめられてた奴。全部覚えてるとか気色悪いもんなぁ。」

「あいつ帝光にいたんだなー、死んだのかと思ってたぜ。すぐ学校来なくなったもんなーちょっと殴ったくらいでさーあはは、」



 二年の一部の選手が、体育館の二階にいるを見て口々に言う。それが帝光側が使っているコートにも聞こえており、青峰と黒子は思わず黙れと吐き捨てたくなった。



「・・・うぜぇなぁ、おい。」




 灰崎が苛立ちを隠しきれずに大きな音でドリブルをつく。赤司は何も言わなかったが、すごい形相で宙を睨んでいた。




「ほんとにさー、ちんが二階から見学でよかったよねー。」



 珍しく不機嫌そうに紫原は言ってから、視線を二階の席に向けた。

 は今日2階から試合を見学することになっている。対人恐怖症を克服してからが二階に上がって見学することはなかったが、キャプテンの虹村が赤司から事情を聞き、今日は2階から見学するように配慮してくれたのだ。



「結構がっつりいじめられてたんっスね。っち。」




 黄瀬もふっと息を吐いて、列に並んでレイアップシュートの順番を待つ。

 バスケ部員のほとんどががいじめられていることを知っているような口ぶりで、しかも荷担した話は酷い物ばかりだった。詳しい事情は知らず、ただがいじめられて対人恐怖症になったことだけを知らされていた帝光中学の3年生たちも、不快そうに眉を寄せている。

 だが、それが日常的な会話になるほど酷いいじめられ方をしていたらしい。



「なあ赤司、いじめてた奴、どいつだよ。」




 青峰はドリブルをしながら列に横入りして、赤司の方に駆け寄って尋ねる。



「・・・全員、じゃないのか。」




 赤司は口に出したくもない、とでも言うように吐き捨てたが、視線は一際背の高い一人の男に向けられていた。

 恐らく身長は180センチくらい。中学生としては非常に大きく、細身の人物だ。髪は薄い茶色、顔立ちはそつなく整っていて、見た目からはそんないじめをするような人物には見えない。また他の部員といじめについて話すこともなかった。



「あいつは?」

「山川。俺の小学生時代のチームメイトだ。」



 赤司は冷たく言って、順番が来たのでレイアップシュートの練習に入る。だが彼にしては珍しく、それは入らず落ち、赤司はドリブルでもう一周回ることになった。



「赤司がぴりぴりしているのだよ。」



 緑間は眼鏡を持ち上げて、意外そうに彼の背中を見送る。

 いつも冷静沈着、温厚で人望も厚い赤司とは思えないほど、いらだっているのが見て取れた。帝光の先輩たちもマネージャーののことが言われているのがわかって、不快そうにしているが、赤司からは明確な怒りが見て取れる。



「おい、何やってんだ。」




 キャプテンの虹村がやってきて、軽く赤司の頭を叩く。




「気合い入れてしっかりしろや。上からは見てんぞ。」




 二階からが統計を取るために、部員たちの動きを見ている。赤司が違う動きをすればそれはには一発でわかる。いじめられていた栖鳳学園との合同練習で精神的に間違いなく負担のかかっているは、赤司がいつもと違う動きをすれば、ますます不安になるだろう。



「・・・はい。」



 赤司は虹村に言われて我に返ったのか、素直に頷いてレイアップシュートをする。それは先ほどと違って綺麗に入った。



「休憩!!」




 コーチが大きな声で言って、一端昼ご飯の休憩に入る。

 練習が始まってから基礎練習や走ったりばかりだったが、この休憩が終わればミニゲームが行われる予定だ。マネージャーたちがドリンクを渡したり、次のゲームの用意をしたり、虹村は相手のチームのキャプテンと打ち合わせをしたりと昼ご飯の休憩ながらばたばたと人が動いていく。



「赤司、今のうちにに調子の良い奴聞いて、2,3年で出る部員を選別しろ。」



 虹村が汗を拭きながら赤司に言う。



「はい。」




 赤司は大きめの声で返事をして、二階を見るとそこにはおらず、下りてきていた。

 いじめを受けていたこともあり、栖鳳学園がいる限りは二階にずっといるのが無難だろうと思っていたが、は練習が終わったとわかった途端、すぐに自分で一階に下りてきて、ゲームの練習準備を手伝い始めていた。



「大丈夫なの?童ちゃん。」



 マネージャーのまとめ役で3年生の鴻池がを気遣って尋ねる。



「・・・はい。」



 は顔色が良くなかったし、表情も硬い。栖鳳の部員を見るとびくりとするが、それでも大きく頷いて答えた。



「無理はしちゃ駄目よ。童ちゃんが倒れたら勝てるもんも勝てなくなるんだからね。」



 鴻池はに釘を刺してから、部員にドリンクを配る役目をに渡す。

 どうしても練習試合の用意は相手のチームのマネージャーともすれ違うことになる。だが、自分の部員にドリンクを配るだけならも気兼ねせずにいられるだろう。そういう鴻池の配慮だ。

 赤司はの様子をぼんやりとその目に写した。



、気にすんなよ。」



 3年の部員の何人かが、の頭を撫でたり、声をかけて慰める。それに少し目尻を下げて笑って見せるだったが、無理をしているのが明らかで、やはり痛々しい。ドリンクを飲み終わるとそれぞれが皆、昼食を食べに行く。

 それをは何もせず、暗い瞳で眺めていた。



、」



 赤司はその小さな手を取り、名前を呼ぶ。



「え、あ、征ちゃん、」

「選手の調子は、書けたか?この後練習試合をするから、」

「う、うん。」



 は持っていた紙を赤司に渡す。そこには選手たちのいつものレイアップシュートや運動能力などの値と今日の値がだいたい表になって書かれていた。



「・・・今日は、俺は気をつけた方が良さそうだな。」




 赤司はそれを見て、思わず苦笑してしまった。

 当然レギュラーの能力値の平均は非常に高い。だが今日の赤司の値のいつもとの落差はやはり大きかった。基礎練習中、どうしてもの悪口を話したりしている相手チームに目が行って、失敗が多かったのだ。それを見抜かれていたらしい。



「征ちゃん、ごめん、大丈夫?」




 は目尻を下げ、声を震わせて不安そうに赤司に尋ねる。

 赤司の不調が自分のせいだと思っているのかも知れない。それはその通りだったが、逆に赤司は虹村の注意の意味を心に刻むと同時に、大きく息を吐いた。

 手の中にある彼女の手は白くて細くて、小さくて、すぐに折れてしまいそうだ。そのもろさを、赤司は誰よりもよく知っている。遠い日に、思い知ったはずだったのに、中学に入って手放したから、こんなことになったのだ。

 幼い頃から二人きりだった。だから、弱いを守るのは、自分の仕事だった。なのに、赤司はいじめの原因だけ作って、彼女を手放してしまった。

 赤司は彼女と繋いでいた手を離して、漆黒の丸い瞳を見下ろす。そして綺麗に切りそろえられた前髪で隠れた額に手を伸ばした。



「いっ!」

「俺を心配するなんて百年早い。」

「いたい!」




 でこぴんが結構痛かったのか、は額を抱えて睨んでくるが、潤んだ大きな瞳は別に怖くなかった。



「自分のせいかもなんてうぬぼれは大概にしろよ。」



 赤司は偉そうに腰に手を当ててを睥睨する。



「・・・むぅ、」



 はデコピンをされたことが不満だったが、反論できなかったらしく、口をへの字にした。




っち、ご飯行きましょ!」




 黄瀬がやってきて、を誘う。

 その後ろには黒子と青峰、緑間や紫原、そして桃井の姿もあり、全員でご飯を食べようという考えらしい。を一人にしないという意味でも、それはありがたいことだ。



「俺もこの表を虹村さんに提出したら向かうよ。」



 赤司はそう言っての小さな背中を軽く押す。は少し躊躇ったようだったが、それでもさっきの沈んだ表情ではなく、少しだけ明るい笑顔で「うん!」と笑った。


不安と交差