のいじめの話を真剣に聞いたことのなかった灰崎は、緑間が説明すると、「はぁ?」と首を傾げた。



「んなの栖鳳の奴ら全員しばき倒せばいいじゃん。」




 喧嘩っ早く、しかも他校との暴力沙汰が多い灰崎らしい結論だった。だが相手を殴れば良いなんて、そんなに簡単な問題ではない。



「僕らが彼らをぼこぼこにしたところで、がこうやって気絶したら一緒でしょう。」



 黒子はベンチに寝かせているを見て、小さく息を吐く。

 仮に灰崎が栖鳳の部員でのいじめに関わった生徒全員をたたきのめしたところで、はまた彼らを前にしたら気絶するだろう。山川という名前の彼の口ぶりからしても、殴られたりなど暴力も受けていたはずだ。それを自分で精神的克服することは簡単ではない。

 むしろ二階で彼らを見ていただけでも、今日は最大の忍耐を発揮したと言える。



「めんどくせぇ。」




 灰崎は唇をとがらせて吐き捨てたが、それはにではなく栖鳳の相手に対する怒りが含まれている。

 正義感などない彼としては珍しいことだったが、少なくとも彼は何度もの持ってくるお菓子やご飯にはお世話になっていたから、思うところがあるのだろう。



「何らかの形での中に宿った恐怖が消えない限りは、無理だろうな。」




 赤司はの頭を撫でながら、青白いあとげない顔を見つめた。

 幼い頃から赤司とは一緒にいて、が出来ない事は赤司がやって、赤司はの能力を自分の手足として使って、そうやって二人で当たり前のように協力して隣り合ってきた。でも、片方になっても器用に色々なことが出来た赤司と違って、は赤司がいなくなると何も出来なくなった。

 でも、きっとそれはだけの問題ではない。

 赤司がいなければ、はいじめられなかっただろう。山川はを憎んでいるのではない。赤司を憎んでいて、だから赤司が能力的に必要とし、また大切にしているを狙ったのだ。


 自分がなくした物の代わりに。





「・・・俺が、」





 は多くのことがわかっていない。昔からそうだ。塀から落とされた時も、どれほどの悪意がそこにあったか、何故彼がそうしたのか、わかっていなかった。外からの悪意には疎いから、だから赤司が気をつけてやらなくちゃいけない。



 ―――――――――――征十郎、ちゃんを大切にするのよ




 不本意な形でなくなった母はをとても気に入っていて、いつものとろさや鈍くささを怒って話す赤司に対して諭すように言っていた。それは多分が名門の出身だとか、母の実家の本家の出身だとかそういうことではなく、愛情深い家庭で育った、当たり前のように愛情を知っている子供だとわかっていたからだろう。

 確かに愛情をなくしてしまった赤司の隣にいて、その形を教えてくれたのはいつもだった。

 中学が離れてしまって、表面上は赤司だってうまくやっていたが、それでもぽっかりと心に空いた空虚感は、がいないからだと知っていた。もちろん赤司は器用だから生活面で困ったわけではないが、ふと一人でいる時に感じる孤独はいつもつきまとっていた。

 が転校してまた一緒に過ごすようになると、中学のたった数ヶ月離れていて、平気だったことが嘘みたいに、はいつの間にか赤司の日常に組み込まれた。かつてそうであったように。

 彼女がいると空気が吸いやすい。彼女はただ自分の隣でふわふわ浮いているだけのような存在だが、中学になってから自分にいつもつきまとっていた孤独感も、何とも言えない、一人置いて行かれたような寂しさも、彼女がいると感じない。

 がいなくなるなんて、想像するだけでぞっとする。



「俺が、守らなくてはいけないんだ、僕が、」




 あの日のように彼女が血まみれになって横たわらないように、消えてしまわないように、この手で、赤司が守らなくてはならない。は人より小さくて弱いのだから、人より強い赤司が守ってあげなくては、また壊れてしまう。

 だから、赤司はいつもう強くあらねばならない、負けてはならない。彼女のいじめの理由にならないくらい、強くいつでも正しくなくてはならない。



「ねー赤ちん、ちん、明日もちゃんと部活来るよね−、」




 不安そうに紫原が赤司の袖を引っ張って目尻を下げる。

 気絶してしまったはまだ目を覚ましていない。だが、もう怖い思いをする部活なんて行きたくないと、来なくなってしまうかも知れない。



「だって、俺だってがんばるよ。がんばるけど、ちんが来なくなったら、美味しいご飯もお菓子もないよー・・・そんなの俺やだ。」




 紫原は今にも泣きそうなしょんぼりした声で言う。



「紫原、ちょっとぐらい我慢しろよ。忍耐ねぇな。」

「青峰君の口から忍耐なんて難しい言葉が出てくるなんてびっくりです。」

「おい!テツ!」




 青峰は手を振り上げて怒る。確かに忍耐なんて言うのは青峰に一番似合わない言葉だった。



「でも紫原の言うとおりなのだよ。俺たちがどれだけフォローしたところで、がそれを信じてくれなければ意味がない。」



 緑間は今日のラッキーアイテムであるひよこの丸いぬいぐるみを持って、ふうっと息を吐く

 自分たちがどんなに頑張ってを守ろうとしても、が良いよと勇気を出して部活に来てくれなければ、何の意味もないのだ。




「ぐちゃぐちゃ考えんなよ。んなの、行動で示すしかねぇだろ。」




 青峰は緑間や紫原の懸念を端から笑い飛ばした。



「今日なんだかんだ言ってもちゃんとは来たじゃねぇか。俺らを信頼してるからだろ。なら俺らも、の期待に応えなきゃな。」




 それはあまりに単純な理論だったが、まさにその通りだ。

 対人恐怖症で気絶するほど酷いいじめを栖鳳の生徒から受けていたのに、はちゃんと部活にやってきて、彼らがいるのにちゃんと基礎練習などを見ていたのだ。それは赤司たちがいれば大丈夫だとが信じていたから、少なくとも信じていたからだ。




「青峰君にしては珍しく良いこと言いますね。」





 黒子は大きく頷いて、「あぁ?!」と怒った顔をする相棒を見て笑った。

 ぐだぐだ考えても、起きたがどういう行動に出るかなんてことはわからない。でも、少なくとも自分たちは彼女のことを大切に思っているし、彼女を卑怯な手でいじめた栖鳳の奴らに負けたくもない。絶対に負けない。

 黒子は冷静に時計を確認した。あと10分ほどで休憩時間は終わるが、このままを残していくわけにも行かない。




「僕ら二年の練習試合は確か二試合目で、それにスタメンから僕と黄瀬君は外れてますよね。」




 黒子は確認のように赤司に問う。赤司は小さくため息をついて、頷いた。



「あぁ、だが一応ベンチの予定だ。」

「・・・なら僕と黄瀬君でさんを保健室に連れて行きます。虹村先輩に伝えてください。多分大目に見てくれるでしょう。」

「だが、」



 赤司は自分が連れて行きたいと思った。

 一応3年中心に一試合目、二年の練習試合は二試合目からで、時間がないわけではない。だが、副キャプテンでもある自分が練習試合を抜けるなど許されないし、もしそれを知ればは自分のせいだと思って悲しそうな顔をするだろう。それでなくとも基礎練習の時の赤司の不調を気にしていたくらいだ。




「・・・頼めるか?黒子、黄瀬。」

「もちろんです。」



 赤司が言うと、黒子は大きく頷いた。



「でもその代わり、栖鳳フルぼっこにしてきてくださいよ!」




 黄瀬は赤司に助けられながらを背中におぶると、赤司の胸を軽く自分の拳で叩く。



「これで赤司っちが負けたら、っちが泣くっスよ。」

「・・・俺は負けたりしない。」




 赤司はそう言って、の髪をそっと撫でた。

 勝利は当たり前のようにある。基礎代謝と同じだ。いつもそうだった。弱いを守るためにも、自分は負けられない。負けてはならないのだ。はずっと弱くて、だから、自分が誰よりも強くなければならない。



「ばかじゃねぇの。誰に物言ってんだよ。」




 青峰はにやっと笑って、持っていたバスケットボールを回す。



「面倒くさそうだからやだったけど、お菓子が食べられなくなるのは、もっとやだ。」




 紫原も珍しくやる気満々で立ち上がった。



「当然なのだよ。」

「早く行けよ。てめぇらにはおもりが適役だ。」



 灰崎は手をひらひらさせて、黄瀬と黒子にさっさと行くように促す。黄瀬はむっとした顔でを背負いなおしてから、灰崎を睨んだ。



「これでシュートの数、ショーゴ君が一番少なかったら笑うっスよ」

「うっせぇ!!早く行けや!!」

「静かにしろ。が起きる。」




 赤司が容赦なく灰崎の頭をたたき落とすような勢いで殴りつける。それは全く手加減の感じられない鉄拳で、あえなく灰崎は花壇に突っ込んで沈んだ。




「・・・ちょ、マジで動かなくね?これどうすんだよ。」





 青峰がひくりと唇の端を震わせて灰崎を見下ろす。



「ほっとこー、自業自得だよー。」






 紫原はあっさりと言って、とてとてと歩いて体育館に向かう。緑間と青峰は顔を見合わせたが、振り返りもせずに颯爽と歩いて行く赤司の後ろ姿を見ながら、今日は逆らわないでおこうと心に決めた。
守らなきゃ