ちゃん、気味悪い、なんでそんなことまで覚えてるの?』



 中学になった途端にを囲んだのは、悪意や敵意、そして嫉妬だけだった。何でそうなったのかはよくわからないし、それに抗う術も、は持ち合わせていなかった。ただ、自分の記憶力が他の人と違っていて、それがいじめの原因になっていることはわかっていた。




『こっちはこんなに努力してんのに!!なんでてめぇみたいな奴!!』




 を叩いた男の子は、酷く悲しそうな目と、憎悪をに向けていた。

 は勉強したことがない。そこで立って見ているだけですべての情報を記憶できるからノートをとる必要もなかったし、復習をする意味もなかった。テストの時は映像や話していたことを思い出すだけ。見た記憶をビデオ再生するように話すことも可能だった。

 幼い頃からそんな感じだったが、いつも傍にいた赤司はそれをいつもメリットとして受け入れ、利用していたため、まさかそんなことが憎悪の対象になるとはは想像もしていなかった。

 でも多分、それだけじゃなかった。



『おまえだって、同罪だろ。』




 に不利な噂を流した薄茶色の瞳をした少年は悲しそうな顔でを睨んだ。

 振り上げられた手はに痛みしかもたらさない。知らない、本当に見ていないと言っても、彼は信じなかった。覚えているはずだと、怒鳴り散らした。確かには見ていることは覚えているが、見えないことはわからないし、頭も良くないのですべてを看破できるわけではない。

 がたった一つわかったことは、が何も出来ないなら、問題はなかったと言うことだ。何も出来ない、普通の少女だったなら、こんなことになっていなかった。

 なんで、と問う声は、いつも頭の中に響いている。向けられた冷たい目とともに。

 瞼を開ければ白くて丸い穴がいくつも空いた、天井。今となっては見慣れてしまった、帝光中学の保健室の天井だった。



「あ、目が覚めましたか?」




 感情の起伏の少ない、のんびりとした声が響く。すぐにひょこっとの視界に、色素の薄い髪の少年が入ってきた。



「あ、く、黒子君、」




 は彼の名前を呼んで身を起こした。躰の動きは鈍いが、別に悪いところはない。頭も痛くはなかったが、気分は晴れやかとは言えない。



「・・・また、気絶したんだ、わたし、」



 はそう言うと、情けなくて涙が出そうになった。

 せっかく赤司が一緒にいてくれると言ってくれて、大丈夫だと前を向けそうになったのに、栖鳳学園の部員が来ただけで、やっぱり気絶してしまった。頑張ろうと思ったのに、やっぱり駄目だった。



「試合は?」

「今、多分、二試合目終わるところっス」



 黄瀬もいたのか、の声に男性としては少し高い声が答えた。は三角座りをしたまま、自分の布団の下にある膝に頬を押しつけた。

 黒子と黄瀬は大抵スタメンではないが、二試合とも間違いなくベンチで、交替で出してもらえたはずだ。なのに、こうやって保健室にいるというのは、が倒れたために心配して、虹村に許可を取ってくれたのだろう。

 マネージャーなのに部員に迷惑をかけている事実も相まって、は目頭が熱くなるのを泊められなかった。



『本当に化け物みたいに気持ち悪いのに、そいつ庇うなんてよくやるわ』



 山川が言っていた言葉が突き刺さる。

 他の人が、のように何でも覚えられるわけじゃない、記憶できない。大多数が記憶できないのだから、記憶力が馬鹿みたいに良くて、すべてを細かく覚えているを気持ち悪いと思うのは、仕方がないことなのかも知れない。

 赤司やみんなもそう思っているのだろうか、考え出せばはここから消えてしまいたくてたまらなかった。



「大丈夫っスか?」



 黄瀬が顔も上げないに恐る恐る尋ねる。はそれにすらも答えられなかった。



「大丈夫じゃないですね。」



 代わりに黒子が困ったような声音で返事をする。

 そう、朝から多分、ずっと大丈夫じゃない。怖くて怖くて、本当は行きたくないと言いたくて、でもそれは許されないとわかっていて、だから赤司の手を握って学校に来た。大丈夫だと言い聞かせて、彼がいるからと思って。

 でも、やっぱり彼が隣にいてもが強くなったわけではない。は弱虫で、いじめに泣き寝入りしていてただ嘆いていた頃と何も変わらない。

 が自己嫌悪で顔を上げられないでいると、がらりと保健室の扉が開く音がした。



「あれ?先生ですかね。」



 黒子がのんびりとした声音で首を傾げる。だが、次の瞬間の耳に届いた声は、よく聞き慣れたものだった。



、」



 足早にベッドに近づく声がしての髪を大きな手が撫でる。



「せ、いちゃ、」



 本当は山川の言うとおり、対人恐怖症を患い、弱くて、すぐに気絶してしまう、手間だけかかるのに役に立たないを疎ましく思っているかも知れない。赤司だって気味の悪いを庇うのに嫌気が刺しているかも知れない。

 でも、目の前にある、一番安心できる温もりに、はすぐに手を伸ばした。



「頑張ったな、」



 赤司は優しくそう言って、ベッドの端に座って手を伸ばしてくるを抱きとめる。その声に促されるように、の目からは涙があふれた。

 汗を拭くためのタオルを首に巻いたままの彼からは汗のにおいがしたが、そんなこと何も気にならない。ぐずっとが鼻をすすれば、抱きしめる腕が強くなって、背中をぽんぽんと小さい頃にされたように優しく叩かれた。

 彼は世界で一番の甘やかし方を知っている。縋り付いてはいけないと思っていても、どうしてもその甘さはをどろどろにする。



「2試合目が終わったところだから、俺は戻らなくてはいけない。でも、一つ確認しておきたいから、ここに来た。」



 赤司はの頭を撫でながらも、無理矢理顔を上げさせようとはしなかった。

 2試合目が終わると虹村がを心配している赤司に、3試合目のスタメンから外れて良いと言い出したのだ。2試合目あまり調子が良くなかったというのもあるが、虹村としての配慮でもあっただろう。コーチもそれに同意してくれた。とはいえ、3試合目も出る予定なので、早く戻るに超したことはない。

 だが、それでも一つだけ、確かめておきたかった。



をいじめたのは山川か、」



 鋭く尋ねれば、がびくりと肩を震わせた。確かに周囲の人間がを冷たく扱い、時には暴力を振るったことは、間違いない。だが、最初にの悪口をあちこちに流布し、へのいじめを主導したのは、間違いなく山川だとは知っていた。

 彼はに、否、赤司に、酷い恨みを持っていた。だから、



「大丈夫だよ。。」




 赤司は少し身体を離し、ゆったりとその赤い瞳を細めての目尻を拭う。いつもは穏やかで、今も穏やかなはずの赤い瞳が、不穏な、危険な独特の色合いをはらむ。

 目尻を拭う指先が、別人の物のように冷たい。




「うまくいかなかったことなんて、ないだろう?」




 この、とろけるほどに優しくて、それでいて酷く残酷な響きを、は知っている。



「ね?」 




 同意を柔らかく求めているように聞こえるその声音は、の気が抜けるほど慈愛に満ちていて、それでいて決して拒否を許さない。



「・・・征、く」




 のいつも知っている彼だけれど、彼じゃない。でもは彼を、否、彼も知っている。優しく撫でてくる底冷えするほど冷たい手を感じながら、は彼を見上げる。

 そこにある瞳は金色の色合いを纏っていた。
もう一人の貴方