練習試合が終わり、夕方になると合同練習は幕を閉じた。とはいえ、明日にも練習試合が行われることになっている。

 はせっせとマネージャーたちの片付けを手伝い、てきぱきと働き、今日栖鳳の選手たちを見て予測した情報を、パソコンを使ってまとめていく。膨大な量でも打つだけなら書くよりも楽だし、元々字が汚いので、配付資料はパソコンで打った方が良いのだ。そのため、バスケ部員では唯一はノートパソコンを持たされていた。

 それを近くのコピー機に接続して、栖鳳の部員たちの動きの癖などの情報をコピーする。10分後のミーティングではこれを使ってスカウティングが行われる予定なのだ。その結果は恐らく、明日の朝には部員に伝えられ、昼からの練習試合に生かされる。




「もらっていくぞ。」




 赤司はコピー機から排出された紙束を持ってミーティングに向かった。

 2年生の中でミーティングに参加するのは赤司と緑間のみで、あとは明日の朝に伝えられ、朝の練習で対策の訓練があるだろう。赤司の後ろ姿を眺めながら、はぼんやりと今日のことを思い出す。一人になるとあっという間に泣いてしまいそうだったが、そうはならなかった。




「おーい、居残り練習すんぞ。」




 いつも通り、青峰がを呼びに来た。

 第四体育館で青峰と黒子、黄瀬、そしてで居残り練習をするのが、常だ。ゴールデンウィークで、しかも栖鳳学園の部員が来ていると言うことで練習時間は長いが、動きは変わらない。そうしてミーティングなど部活が終わっても忙しい赤司が来るのを待って、一緒に帰るのだ。




「行きますよ。」

「早く早く。」




 黒子と黄瀬もに早く荷物を持つように言う。は促されるままに荷物を持って第二体育館に向かった。道はもう薄暗くて、中庭の電灯だけが光っている。それをぼんやりと眺めながら、は息を吐いた。




「あー、あの子だよ。」

「ほら、1年の時いじめられてた、気持ち悪いくらい覚えてる子。」




 片付けをしているのか、栖鳳学園のマネージャーの少女たちがを見て、こそこそと笑う。それは栖鳳に通っていた時と同じ悪意で、はぎゅっと荷物を抱きしめた。




「なんなんだよあいつら、影でこそこそ言いやがって、」

「気分悪いっすよね」




 青峰と黄瀬が眉を寄せて、吐き捨てるように言う。

 自分に対する悪口も、暴言も聞きたくない、早く立ち去ってしまいたいのに、足が震えて前に進まない。俯いたは、結局そのままそこにしゃがみ込んでしまった。




「・・・さん?」



 黒子が気遣わしげに名前を呼びの前に膝をつく。




「ねえ、どうしてみんなわたしのこと嫌いなの?」



 はずっと不思議に思っていた。

 何か他人に酷いことをしたというなら、はいくらでも謝るし、しないように努力をする。でもの記憶力は生まれ持った能力であり、覚えるなと言われても、見ている限りは全部覚えている。目をふさいでいても、耳は音を捉え、それを脳が記憶してしまう。

 一言一句、違わず思い出すことが出来るのだ。それをやめろと言われてもやめることはできない。




「わたし、気持ち悪いの?」




 栖鳳学園にいた頃、みな口々ににそう言った。気味が悪い、気持ち悪い、何でも覚えているなど、化け物みたいで、変だと。

 でも、にはどうしたらよいのかわからない。



「は?んな訳ねぇじゃん。」



 青峰もの前にしゃがみ込んで、少し焦ったように言う。




「そうっすよ!それにっちは立派に部に貢献してるじゃないっすか!」




 確かにの記憶力は他の人間にはないものだ。だがだからこそ、バスケ部はをただのマネージャーとしてではなく、かえのきかない存在として見て、必要としている。だが、が欲しいのは“特別”ではない。




「わたしはどうして、人と違うの?」




 は自分の頭を押さえて、蹲る。

 の頭は何でも覚えている。一言一句違わず、意図していなくても覚えていて、だからノートをとる必要もないし、普通の人が普通にすることが必要ない。でも、はそんなもの欲しくなかった。



「同じが良い。どうやったら同じになれるのかな。」




 声が震えて、掠れていく。

 人と同じが良い、それは幼い頃服や物などで抱く感情だ。それをは自分という存在そのものに抱いている。

 それは何よりも自分が認められないからだ。

 は確かに特別な才能を持って生まれてきた。でも、その利点をあまり理解できぬまま、赤司の影で育ってしまったため、その才能で他人を押さえ込むことを知らない。誇示して、他者の言葉を遮ることを知らない。

 だから、同じを求めている。

 それは天才として名をはせてきた、特別を常に甘受してきた青峰や黄瀬にとって、どう声をかけてきたら良いのかわからない物だった。二人は常に力を誇示してきた。だが、に強くなれと望むのは、何か不釣り合いだ。




さん。」



 黒子は蹲るの頭を撫でて、穏やかな声で告げる。




「確かにさんを嫌いだって言う人はいるのかもしれないです。」



 実際に栖鳳の生徒たちはを気持ち悪いと言ったのだろう。そう言って罵り、時には暴力を振るい、特別なを下に見たいと虐げてきた。そしては特別な力を持っているはずなのに、それを行使して彼らをはね除ける方法を知らなかった。

 そうやっては強さを知る前に、萎縮して、特別な自分が大嫌いになった。普通の人に憧れるようになった。




「でも、僕は今のさんのことが大好きですよ。」





 黒子は優しく笑う。

 普通じゃなくたって良いじゃないか。で、無邪気に笑って、素直で、部員たちのために何百枚も酒粕のショートブレッドを焼いてくるような、お人好しの彼女で良いと、黒子は思う。




「きっと赤司君もみんな、そうだと思いますよ。」




 あの赤司が慌てるのは、今のが大切だからだ。紫原や緑間もを酷く心配していたし、3年生の先輩たちだって、が気絶したと聞いて慌てていた。

 今ののことを、大切に思っている。




「・・・ほんとう?」



 は顔を上げて、潤んだ漆黒の瞳でおそるおそる黒子と、そして後ろにいる青峰と黄瀬を見上げる。その揺れる漆黒の瞳が綺麗で、目尻を下げた彼女があまりに小さくて可愛そうで、酷く心がざわついた。




「あったりめえだろ!」

「本当っすよ!俺らっち大好きっス!」




 青峰と黄瀬はぶんぶんと大きく頭を振るように頷いて、即答する。だがは不安が抜けないのか、目尻を下げたままじっと三人を疑うような目で見た。




「ほん、とう?」

「それを疑うなら、僕怒りますよ。僕たちの気持ちなんですから。」




 は自分のことが嫌いかも知れない。でも、そう思うの気持ちと、黒子たちの気持ちは別だ。黒子たちには強い気持ちで、彼女を好きだと言っている。その気持ちを否定することは、がどれほど自分が嫌いでも出来ないはずだ。

 少しむっとした顔で黒子が言うと、はくしゃりと表情を歪めて、きゅっと黒子の服を掴んだ。




「・・・怒らないで、」




 のか細い声が響く。その拍子にたまっていた涙がぽろりとこぼれ落ちた。



「じゃあ、泣かないでください。」




 黒子の赤司より細い指がの涙を拭う。は何度か瞳を瞬く。するとまた涙の滴がぽろぽろと頬を伝ったが、は小さく頷いた。



「うん。うん。わたしもみんながすき。」



 人が怖くてたまらなかったに諦めず、何度も話しかけてくれた。に立ち直るきっかけをくれて、今も守ってくれる。



「あははは、じゃあ俺らみんな両思いっスね!」




 黄瀬がと黒子をまとめて抱きしめて笑う。




「あ!黄瀬、てめずりぃぞ!!」




 青峰はそれに叫んでのしかかるように、全員に手を回す。すると小柄なと黒子は大柄な黄瀬と青峰の下敷きになる形になり、ぐえっと蛙のような悲鳴を上げた。


よりそう