1試合目の3年生も、2試合目の2年生も、2,3年生合同の3試合目も、前日の不調が嘘のように帝光中学は圧倒的な差において勝利した。特に前日僅差だった2年同士の試合が108対42という恐ろしい数字で、キセキの世代と言われる彼らの力を見せつける形となって二日目を終えた。




「・・・これほどまでに的確に研究される物なのか?」




 栖鳳学園の監督は思わず眉を寄せる。

 スカウティングはどこのチームもすることだし、翌日に向けて相手の研究をしたのは栖鳳も同じだった。だが、帝光中学は恐るべき的確さですべての選手に対して対策を持ってきた。もちろん才能がある選手が多いのはわかる。

 だがそれにしても、恐ろしく緻密な対策を選手たちにたたき込んだのは間違いなかった。



「良くやったわ、童ちゃん。桃ちゃん。」



 マネージャーの鴻池がの小さな頭をよしよしと撫でる。



「確かに、やっぱ近衛の統計と桃井の分析は最強のスカウティングだな。」




 虹村もそう言って、マネージャー二人を労った。と桃井は二人で顔を見合わせ、互いににっこりと笑って抱き合う。

 初対面では気絶したが、今ではと桃井は仲良しだ。唯一2年生で一軍付きのマネージャーだというのもあるが、は記憶力故の統計、桃井は分析と対策を考えるのが得意であるため、大抵一緒に行動していた。


 そのためクラスこそ一緒ではないが、仲は良い。


 どうしてもバスケ部は男ばかりで、も赤司とくっついて動いているため男子生徒と話すことが多いため、桃井はにとって数少ない女友達だった。栖鳳学園でいじめられていたという問題にも、桃井は一番に心配してくれた。

 そのことをは素直に感謝している。




「童ちゃん、泣きそうになったら言うのよ。慰めたげるから。」




 鴻池はお姉さん気質で、しっかりしている。対人恐怖症だったときもを良くフォローしてくれたし、今回の合同練習に関しても、をあまり栖鳳学園の部員たちと接触させないように努力してくれている。



「はい。」



 はにっこりと笑って、鴻池に答えた。他の3年生のマネージャーたちの顔にもへの心配と、元気に笑っているへの安堵が見えていて、は心が温かくなった。

 栖鳳学園ではいじめられてばかりだったけど、ここの人はを大切にしてくれて、心配してくれて、だから、自分も彼らのために役に立ちたい。そう思う気持ちは心の底からの物だ。そして同時に自分を守ってくれる赤司にも、何かしてあげられれば良いと思う。




「あ、明日の分ポカリの粉末足らないかも。」




 備品を確認していた鴻池が困ったように眉を寄せる。




「あ。わたし、部室見に行ってきます。」




 はすくっと立ち上がって、走り出した。



「あ、ちょっと、童ちゃん!」



 いじめの問題もあり、を一人にしたくない鴻池は慌てた様子で止めるが、の動きは速い。のんびりしていそうで存外俊敏なのだ。

 はあっという間に体育館を出て中庭を抜け、部室のある方に走る。

 五月の空は驚くほどに澄んでいて、体育館や運動場の方は部活の練習の声が聞こえるが、中庭はゴールデンウィークだけあって誰もいないのかしんっとしていた。ふわりと吹く涼しい風が、心地よくて目を細める。

 木の葉が擦れ合う音まで聞こえそうだ。



「よぉ、」



 廊下までさしかかったところで、ふと低い声が聞こえた。振り返れば、そこにはをいじめた張本人だった山川がいる。



「あ、」



 はびくりと肩を震わせて、一歩後ずさった。彼は静かにその薄茶色の瞳でを見ていたが、冷たい瞳でに歩み寄ってくる。




「・・・そんな顔すんなよ。つれねぇなぁ。」



 山川は笑っての方に手を伸ばしてくる。それが怖くては逃げだそうとしたが、130センチ台のと180センチ台の山川とでは全く縮尺が違った。腕を掴まれ、恐怖のあまりは気絶したくなる。だが、今気絶すれば試合をしている赤司たちにも迷惑がかかるとどうにか踏みとどまった。




「童ちゃん、流石化け物なだけあるわ。統計だろ?」




 栖鳳が今日大差で敗北したことを言っているらしい。

 山川は赤司の小学生時代からのミニバスのチームメイトであるため、の記憶力による統計の恐ろしさも承知している。だから大差の原因をすぐに理解したのだろう。



「まぁ、どっちでも良いんだけどさ。赤司が苦しんでくれれば。」



 山川はへらっと笑って見せたが、その瞳には憎悪が含まれていた。自分の伸ばされる手を拒むことも出来ず、は暗い瞳を見返す。彼の目はを見ていたが、厳密にはを欠片たりとも見ていない。彼がを通して見ていたのは、間違いなくではなく赤司だった。



「なんで、ど、どうして征ちゃん、に、」



 小さな手を彼に伸ばすと、後ろの壁にたたきつけられるようにして首を掴まれた。その大きな手に力がこもり、苦しさに反射的に彼の手に爪を立てる。



「なんで、じゃねぇだろ。」





 山川はを睨み付け、吐き捨てるように言った。



「わかってんだろうが!」



 を突き通した少年は、2階の窓から外へとダイブした。涼しい風の吹く、今日のようによく晴れた日、少年は窓ふきの掃除をしていて、誤って窓の外へと落ちた。


「赤司が落としたんだろうが!てめぇだって見てただろっ!!」



 強く、首を圧迫する手に力がこもる。暴れて彼の手に爪を立てると、腹を殴られた。鋭い痛みとともに手から、躰から力が抜ける。

 小学校の頃、壁の上から突き落とした、川上という少年がいた。

 はよく覚えていないが、彼に突き落とされたは運悪く近くの鉄棒の根元部分のコンクリートに頭を打ち付け、脳挫傷と頭蓋骨骨折で生死をさまよった。

 が治った頃、川上は2階の窓から落ちて、植物状態になった。

 赤司の隣で彼は窓の反対側に掴まる形で、窓を拭いていた。はそれをぼんやりと見ていたのを覚えている。そう、は川上と赤司が何をしていたか、見ていた。映像を、記憶していた。川上の手が窓のサッシを掴んでいた手が空を切るのを、赤司に伸ばされたのを見ていた。



「おまえが言えばっ、少なくとも赤司は人殺しになったんだよ!!」




 血を吐くような声が遠い。のど元が苦しくて空気を吸えず、苦しさとともに頭ががんがんした。

 山川の向こうに見える青い空、それは多分、落ちた彼が最後に見た物と同じ。だがそれに一瞬影がよぎる。暗転した視界に、山川の躰が横に吹っ飛んだことすらもは気づかなかった。




「何してやがんだくそが!!」




 響き渡る怒声が灰崎の物であると言うことすらもわからない。突然喉の圧迫が消えて、はコンクリートの壁を背に、ずるりと崩れ落ちる。

 苦しさのあまり空気を吸おうとするのにうまく出来ず、げほげほと咳き込むと、背中を支えられた。




「大丈夫ですか?」




 黒子が珍しく少しうわずった、焦った声でに尋ねる。




「てめぇっ、」



 山川が胸を押さえ、灰崎を睨み付けるが、喧嘩慣れをしている灰崎は彼が立ち上がる前にけりを入れる。それが見えたのか、向こうからやってきた黄瀬と青峰が慌てて灰崎を押さえた。



「灰崎!流石にやり過ぎだって!」

「黙れや!こいつの腹殴りやがったんだぞ!ボコられて当然だろうが!!」



 灰崎は青峰を乱暴に振り払い、殺意すらもこもった目を山川に向け、拳を握りしめる。

 黒子はマネージャーの鴻池が慌てているのを見てを探しに来ていただけだったが、灰崎は部室近くでサボっていて、もめる声が聞こえたため出てきたのだ。そのためが腹を殴られたのが見えていたし話は聞こえた。




「別に良いぜ?どうせ俺は生きてる限り、そいつを殴りに行くし、苦しめに行くから。」




 山川は灰崎に蹴られたところが痛むのかゆっくりと身を起こし、それでも凄絶な笑みを浮かべる。それに喧嘩慣れしているはずの青峰と灰崎ですらもぞくりとした。



「別にそのチビに恨みなんてねぇけど、赤司の唯一大事なもんだもんなぁ。」



 昔から、赤司には大事な物なんて本質的に存在しない。彼は人望もあり、そつなく行動するが、周りを取り囲む存在はすべてかえがきく。だがはかえのきかない特別な才能を持つだけでなく、何よりも赤司の特別な感情的な位置を占めている。

 だからこそ、大切な物を奪われた山川にとって、に復讐することの方が、赤司に直接挑むよりも意味があるのだ。




「覚えてろよ、俺は赤司を、そしておまえを絶対に許さない。」




 山川が冷たい薄茶色の瞳でこちらを睨み付けて、去って行く。

 それをぼんやりと見ながら、は青い空を追った。ふわりと風が音を立ててあたりを揺らし、過ぎ去っていく。それをぼんやりと眺めながら、遠い日のことを思い出していた。


暴力の霄