を体育館に迎えに行くのが遅れた理由は、灰崎がまた暴力事件を起こしたからだった。

 よくある話なのだが、まさか練習試合をしている他校の生徒―栖鳳学園の部員の山川に殴りかかったらしい。二発ほど殴って大事になってしまった。彼もに対してはそれなりに肩入れするところがあるらしく、ぐたぐたとの悪口を言う栖鳳の部員が疎ましかったのはわかる。

 だがまさか、表向きにはほとんど何も言っていない山川に殴りかかって喧嘩になるとは思わなかった。当然灰崎は厳重注意 だったわけだが、赤司としては灰崎が殴ってくれてすっきりしたというのが本音だった。

 また相対すれば、自分の方が殴ってしまいそうだと思っていたから。




「結局、そういえばなんで全員で抱き合ってたんだ?」




 赤司は何となくそれが引っかかって、に尋ねる。

 体育館に彼女を迎えに行った時、と黄瀬、青峰、黒子は団子になって抱き合っていた。もみくちゃと言えばそんな感じだが、真ん中にいたのはと黒子で、なんとなくそれが不快だった。理由はすでに把握済みだが、まだ口に出したくない。




「なんか、てっちゃんにわたしが抱きついたら、涼ちゃんがずるいってわたしの後ろからてっちゃんに抱きついて、倒れそうなてっちゃんを大輝ちゃんが支えたらああなったよ。」




 は大きな瞳を細めて、楽しそうに笑って見せる。




「・・・、あまり抱きついたりしない方が良い」




 赤司はため息をついてソファーに座っているの隣に腰を下ろした。



「なんで?征ちゃんにも抱きつくでしょう。安心するよ。あったかいから。」



 は嬉しそうに赤司に躰を寄せてくる。赤司がの方に躰を傾ければ、彼女は赤司の胸にさも当たり前のように飛び込んでくる。赤司はを優しく抱きしめたが多分が感じていることと赤司が感じている物は、幼い頃から完全に違っていた。

 130センチ台の彼女は小さくて、小柄な赤司の腕にすっぽりと収まる。昔はくすぐったいと思うだけで、何も感じなかったのに、違うことを赤司は彼女のつむじを見ながら感じるようになった。

 腕の中にある彼女の身体の柔らかさだとか、胸が当たるだとか、このまま強く抱きしめても良いのか、背中に手を回しても良いのか、とか、そういう今まで気にしたこともないことが気になって、今までどうしていたのかが思い出せない。

 彼女の柔らかい身体を抱き寄せれば、良いにおいがする。同じシャンプーを使っているはずなのに、柔らかく香るそれが酷く心を揺さぶったが、ふと彼女を見下ろして、細い首筋に目が行く。

 今日は少し襟の高いブラウスを着ているため、横から見ていてはわからなかったが、漆黒の髪から除く白い首筋に、青紫色の痣が見えた気がした。

 赤司はぱっと身体を離し、の髪をさらりと撫でる。




「どうしたの?征ちゃ、」




 がきょとんとした目で見てくる。その漆黒の瞳は赤司のしていることの意味すらも考えていないらしい。だが、赤司に迷いなんてなかった。




「え、えっ、征ちゃんっ、」





 戸惑うを無視して、赤司は無理矢理のブラウスのボタンを外す。は不思議そうな顔をしたが、別に抵抗はしなかった。いつも通り力を込めてしまえば折れてしまいそうな細くて、白い首筋に太い線状の青紫色の痣が出来ている。

 赤司は咄嗟に自分の記憶を探る。

 は練習の終わり頃はマネージャーたちと何かを話していたが、それ以降姿が見えなかった。程なくして黄瀬や青峰、黒子も自主練に行って、その後灰崎が栖鳳の山川を殴ったというもめ事があったため、赤司はのことをすっかり忘れていたし、気にかけていなかった。

 だがそういえばは赤司が迎えに行った時すでに体操服から、制服に着替えていた。それはいつも自主練につきあいながら自分も練習しているので、マネージャーをしている時の体操服のままのはずで、おかしい。

 赤司はが黒子や青峰、黄瀬と抱きついて団子になっていた苛立ちで、そんな簡単なことにすらも気づかなかったのだ。



「ぁ、あ、えっと、」




 がふっと隠していたことを思い出したよな、ばつの悪そうな顔をして、ちらりと自分のお腹にも目を向ける。まさかと思って赤司がのブラウスの裾を着ていたズボンから引き抜いてたくし上げると、そこにもくっきりと青紫に変色した痕がついていた。

 赤司は自分の迂闊さに頭を抱えたくなる。

 は嘘がうまくない。何かあればすぐに顔に出るし、絶対に誰にでもわかるようなアクションをとってくるだろうと、彼女を見ることをおろそかにしていたのかも知れない。気をつけなければとあれほどに思っていたのに、周りにばかり目が行って彼女を見ていなかった。




「これはなんだ。」




 手が勝手に震える。そっと腹の痣を撫でれば、はびくりと身体を震わせた。それは決して赤司の手がくすぐったいからではなく、痛みを感じるからだろう。




「え、あ、」

「・・・、」

「・・・なんで、なんで黙っていたんだ!」




 赤司は自分でもわかっていたが、声を荒げずにはいられなかった。

 暴力を振るわれたことは明白だ。痣がつくほど首を絞められ、腹を殴られれば痛かったに決まっている。なのに平気な顔をして、今まで笑っていたというのか、それに気づけなかった自分にも嫌気が刺す。




「ち、ちが、」

「山川にやられたんだろう?!どうして、どうしてっ、」




 の肩を掴んで尋ねれば、は大きな漆黒の瞳を見張って、酷く戸惑った表情をした。



「なんで、」



 首を横にふって、赤司はそっとの痣を撫でる。

 守りたいと思って、周囲も助けてくれて、だから大丈夫だと思っていた。痣はまだ完全に紫色に変色はしておらず、本当に今日つけられたものだ。




「征ちゃん、」



 は呆然とするしかない赤司の名前を呼ぶ。



「わたしは、大丈夫だよ、大丈夫、ね?」




 小さな躰は傷だらけなのに、大丈夫だと言って、赤司の手に自分の手を重ねてくる。その手も酷く小さい。人より小さな躰、人よりも弱いはずのが、そこにはいる。

 自分が弱くては、を守れない。




「だから、そんな顔しないで、」




 は赤司の顔を不安そうにのぞき込んでくる。今、自分がどんな顔をしているのか、赤司には見当もつかない。




「どうして言わなかったんだ・・・」

「・・・だって、征ちゃんが悲しそうな顔、するでしょう?」





 は目尻を下げて、本当に酷く悲しそうな顔をする。潤んだ漆黒の瞳はゆらゆら揺れて、赤司を映す。自分もまた同じ顔をするのかも知れない。

 それにのことになると、赤司は自身が感情的になると理解していた。

 もしもの怪我が部活中に発覚していれば、部活など何も考えずに山川を殴りに言っていたかも知れない。いや、何も考えずに間違いなくそうしていただろう。



「わたしは征ちゃんがいれば大丈夫だから、」



 はふわりと笑って、赤司に抱きつく。赤司は彼女の軽い身体を抱きしめた。

 小さくて、弱くて、でもは自分にとって必要な存在で。だから自分は彼女の分まで強くならなければならない。彼女をなくさないために、常に強く、正しく、誰にも負けてはならない。普通の人間がひとりで良いところを、自分は二人分の強さが、必要なのだから。




、」




 幼い頃と同じように名前を呼ぶ。自分と一番近くて、大切な存在。それを守るのは、赤司の役目で、守れないのは自分の弱さだ。だから、誰よりも、何よりも強くならなければならない。なのに、自分はどうして途方もなく、弱いのだろう。



「安心しろ。僕は何をしても、を守るから、」





 が自分といるなら何でも大丈夫だと言うならば、自分もまた、彼女といるならば何でも出来る。何でも出来なければならない。

 が不思議そうに漆黒の瞳でこちらを見上げてくる。




「征、くん・・・?」




 彼女はもう知っている。理解している。彼女は、それに怯えて自分から遠ざかろうとして、結局ここに戻ってきた。そして同じ感情と、同じ躰を共有しているからと、自分を受け入れた。だからもう心配などしていない。




「俺も、僕も、を守るから、傍にいてくれ、傍にいろ、」





 赤司はの漆黒の瞳に自分が映るのを眺めながら、その身体を強く抱きしめる。彼女の小さな手が背中に回るのを感じて、安堵する。

 きっとこれから何があっても、彼女がいるならば、自分は強くなる。強くなれると、思った。



依存だと気づかない