栖鳳学園との練習の最終日は、本当につつがなく終わった。




「なんか、灰崎の奴、栖鳳の奴殴って停学なりそうらしいぜ。」




 青峰がそういうのを聞きながら、はバスケットボールを籠の中にしまう。

 今日は一応灰崎も練習に出てきているが、休み明けには停学か、自宅謹慎か、何らかの処分が下されるだろう。




「ふぅん・・・」




 そう言って横目で見てみると、隣のコートで練習している、をいじめていた山川は、顔に大きな痣が出来、腕にも包帯を巻いていた。一体灰崎はどうして彼を殴ったのか、にはよくわからなかったが、青峰や黒子、黄瀬は彼がを殴ったことに、存外灰崎が腹を立てていたのだとすぐにわかった。




、ドリンクの籠ってどこに置けば良いんですか?」

「あ、さっちゃんに聞いてみて?」

「わかりました。」




 黒子はドリンクのボトルの入った籠をせっせと運んでいく。

 その後ろ姿はやっぱり影が薄くて皆に紛れてしまいそうだし、バスケットボール選手としては小柄だ。いじめられ、怯えていたの背中を押してくれたのは、いつも赤司だった。でも多分それだけではなくて、は部員のみんなや、黒子の優しさに救われたのだと思う。

 ふたりぼっちだったのに、赤司と離れて、ひとりぼっちになってしまった。そしてふたりぼっちに戻ったに、いっぱいの温もりをくれた。ふたりぼっちでなくて、たくさんの人と、たくさんの温もりに囲まれていることを気づかせてくれた。




「ちゃんと、ありがとう言えるかな、」

「は?」





 の呟きは、背の高い青峰には届かなかったらしい。



「童ちゃん、片付けは任せて、虹村君と赤司君に報告あげてきて!!」



 マネージャーの鴻池がぼんやりと黒子の後ろ姿を見ていたに言う。



「あ、あ、忘れてた。」

「おら、早く行ってこいよ。片付けといてやるから。」




 青峰がの背中を軽く叩いた。



「うん。いってきます。」



 は笑って、彼に返す。初対面で彼を見て気絶したことが、まるで嘘みたいだ。

 赤司や他の3年生と打ち合わせをしていた虹村の所に行くと、すでにが作った統計を手元に持っていた。パソコンで打ち込んであったが、赤司がコピーをして持って行ってくれていたのだろう。




「近衛、良くやったな。」



 虹村はの頭をぐしゃぐしゃとなでつける。

 二日目の圧勝はの統計のおかげだ。もちろんそれに応えた選手たちの手柄でもあるが、それでもの能力なくしてはこれほどの圧勝にはならなかっただろう。




「おいおい虹村、女の子にそういう褒め方はどうなんだ?それに怖がるかもだろう?」




 他の3年生が少し呆れたような顔で肩をすくめる。




「あぁ?駄目なのか?」




 虹村が少し怯んだようにに尋ねてきた。

 は当初彼に会う度に気絶ばかりしていたし、強面の虹村にどうしても慣れられず、しばらく赤司の後ろにいるのが虹村と会うときの定位置となっていたが、今は彼は強面なだけで、とてもいい人だとよくわかる。

 対人恐怖症だとわかった時も無理は言わなかったし、栖鳳学園がのいじめの原因となった学校だとわかった時も、できる限りが彼らにかかわらずにすむように配慮してくれた。



「うぅん、先輩大好き!」



 は感極まったようにぱっと声を上げて虹村に抱きつく。だが、勢いが良かったのとの背が小さかったのでまともに腹に頭が食い込んだらしい虹村は、流石に驚いた。



「ぐぇっ!おい!」



 苦しそうだったが、は軽いので何とか倒れずに踏みとどまる。

 流石に小柄とは言え女の子に抱きつかれれば、思うところはある。虹村は少し困ったような、はにかんだような表情で、ふーっと息を吐いてから、ぽんぽんとの頭を叩いた。が精一杯努力したことも、我慢したことも、わかってはいる。厳しいことも言ったが、それは認めていた。



「はいはい、よーく頑張りました。」



 虹村は自分に抱きついているの頭をぐしゃぐしゃと撫でながら、だるそうに言うが、それは伝わっていたらしく、は嬉しそうに「はい!」と笑って見せた。

 が抱きついるのを見ていた黄瀬がうずうずするのか、の後ろまでやってくる。




「俺も混ざって良いっスか?」

「てめぇはたたき落とすぞ。」

「冷たい!キャプテン冷たいっス!」




 虹村が言うと、黄瀬は明らかにわざとらしく嘆いて見せた。




、ゼリー作ってきたんじゃないのか?」




 が虹村に抱きつくのを少しむっとした顔で見ていた赤司が、にこりともせず、腕を組んだままに言う。




「焼き餅かよ。」

「違います。せっかく作ってきたのにどうするんだろうと思っただけです。」




 虹村がちゃかせば、冷ややかな声が返ってくる。

 まさにこのわかりやすい反応は、やはり赤司も年相応、黄瀬と全く変わりない一面だ。完璧そうに見えても、やはり年下だと虹村に感じさせる。のことになるとどうしても感情的になるのをやめられないらしい。

 後輩としてはそのぐらいかわいげがなくては、虹村としてもからかいがいがない。




「あ、そっか。そうだった。作ってきたんですよ。」




 は虹村から離れて言うと、ベンチの近くに置いてあったクーラーボックスの元へと駆け寄る。それを引きずるように持ってきて、クーラーボックスを開ける。

 そこには溶けかけた氷とともにびっしりと薄い黄色のゼリーが整然と詰まっていて、部員たちが歓声をあげた。




「えっと、最終日お疲れ様です。グレープフルーツのゼリーを作って、マネージャーの先輩たちに手伝ってもらって運びました。美味しいかどうかはわからないですが、食べてください。」




 が少し詰まりながら言うと、3年生からにお礼を言いながらとっていく。




「わーゼリー!」




 紫原はお菓子に目がないため、嬉しそうに3年生の中に突っ込んでいき、怒られていた。




「大丈夫、ちゃんと人数分あるよ。」




 弾かれた紫原をが慰める。彼は待てを命じられた大型犬のように目を輝かせたまま3年生がとり終わるのを待ち、終わった途端に突っ込んでいった。



「いくつくらい作ったんですか?」




 黒子がの隣に立ってとる順番を待ちながら、尋ねる。



「200個くらいかな。」

「そ、そんなに!?」

「うん。一応栖鳳学園側にも差し入れてきたから。」




 は僅かに目尻を下げたが、それでも前のように震えることもなくそう言った。

 元々紫原のリクエストもあったし、それほど手のかかる物ではないので1軍から3軍までの部員の数くらいは作るつもりだった。栖鳳学園にも差し入れたのは、自分たちだけゼリーを食べるのは流石に気が引けたからだ。




「てっちゃんはグレープフルーツゼリー好き?」




 は無邪気に笑って尋ねる。

 てっちゃん、とが黒子のことを呼ぶようになったのはつい先日からだ。少なくとも黒子の言葉はに響いたらしい。ちゃん付けがにとって一番親しい人を呼ぶ表現らしく、ついでに青峰も“大輝ちゃん”、黄瀬も“涼ちゃん”に格上げされた。





「好きですよ。それには料理上手ですね。」




 黒子も同じように穏やかに笑って彼女に答えた。

 の呼び方の変化に伴い、黒子もを近衛さんではなく、“”と名前で呼ぶようになった。それもがそうして欲しいと言ったからだ。そうやって少しずつ打ち解けていく。焦らなくて良いのだと黒子は思っていた。

 練習が終わっているので、ゼリーを持ったまま帰る部員もいれば、そのまま食べている部員もいる。だいたい片付けは終わっていて、ゼリーを入れているクーラーボックスも中の氷を外に放り出して伏せておけば良いだけだ。




「テツ、、おまえらも混ざれよ!」




 黄瀬と1on1をしていた青峰が、と黒子を呼ぶ。




「あー、勝負はまだっスよ!!」

「正直おまえと1on1は飽きた。、おまえ黄瀬と組めよ。こいつ一人じゃ全然勝負になんねぇ。」

「まだ涼ちゃんと組んで2on2しても、てっちゃんと大輝ちゃんにはあんまり勝てないよ。」

「あんまりだろ。たまに負けるくらいが面白ぇんだよ。」

「青峰君、性格悪いですよ。」




 黒子がぽつりと言ったが、青峰の元に駆け寄る。

 バスケを始めて数ヶ月しかたっていないと黄瀬が組んだところで、どうせ青峰と黒子のコンビに勝てるのはせいぜい10回中1回くらいのものだ。それでも、1回でも青峰に勝てるだけましなのかも知れない。

 は辺りを見回して、誰かいないかと物色を始めた。


柔らかい毒