「ちょお面貸せ、。」



 昼休みに突然灰崎に呼び出されたは、クラスメイトたちが騒然とするのも知らず、大人しく灰崎について行った。



「どうしたの?」

「おまえこないだ注意したろ?ふらふら一人になんなって。」



 灰崎はついてきたに、内心少し驚いていた。呼び出したのは自分なのだが、あっさりついてくるとは思わなかったのだ。赤司に灰崎の素行を聞いているだろうと思っていたが、どうやら全く聞いてないらしい。

 屋上まで勝手に入ったところで、灰崎はふっと息を吐いた。




「俺、退部することになった。」

「え?退部?」

「馬鹿じゃねぇの?別に好きでやってるわけじゃねぇしな。俺は。」




 素っ気なく言うと、は悲しそうに目尻を下げて見せる。




「ばかじゃない・・・」




 突っ込むのはそこかよ、と思いながら、灰崎はため息をついた。

 140センチ、誰もが座敷童ともてはやす整った容姿と、白い肌。漆黒の髪。成長すれば多分それなりに美人になるだろうし、赤司の幼馴染みだ。自然と目立つ存在になるだろう。年頃になれば、そういったことに巻き込まれる可能性も高い。

 そして何より彼女は自覚がない。隣の恐ろしい化け物が諸刃の剣であると言うことを、彼女は理解していない。



「・・・はー、おまえ調子狂うわ。」




 灰崎は額を押さえ、ため息をつく。

 普通の人間は挑発すれば、ある程度それに乗ってくるか、赤司のように冷静ににらみ返すか、一定激しい負の感情のある対応を返してくる。だが、は悲しそうに目尻を下げ、一度その言葉を受け入れてしまう。

 彼女はとても素直なのだろう。だから危険だと言われている灰崎に呼び出されてもほいほいついてくるのだ。

 クラスメイトから連絡を受けた赤司は今頃慌ててを探しているだろう。




「俺からの最後の仏心だ。おまえさ、二つ教えといてやるよ。」



 灰崎はを見下ろす。はくるりと大きな漆黒の瞳で灰崎を映す。この瞳だけは、灰崎を何も関係のない、裏のない、綺麗な瞳で映してきたから、彼女の前でだけは灰崎も何もしなかった。




「・・・?」




 はゆっくりと鈍いと言っても良い動作で、首を傾げる。




「良いか?わかんなくて良いから、よーく覚えとけよ。」




 灰崎はの前に人差し指を突きつけて、言い聞かせる。




「う、うん。」




 反応は鈍いが、は大きく頷いた。




「おまえ、覚悟がないなら、赤司の側から離れんな。」

「え?」




 ふわっとしたの疑問の声が響くが、それを構わず、灰崎は続ける。




「でも覚悟が出来たら、全力で青峰のとこまで逃げろ。」

「え、大輝ちゃん?」




 意味がわからず、灰崎を見上げては驚きの声を上げた。何故彼が出てきたのか意味がわからないのだろう。だが、ある程度赤司とキセキの世代たちのことを知っている人間なら理解している。

 赤司と青峰はあまり仲が良くない。反目しないから、大きくもめることはないが、実力的にも均衡しており、喧嘩という点でも相当二人とも強い。赤司も面と向かって青峰と対決することは避けている風がある。

 それを灰崎は見抜いていた。

 がもしも赤司と離れて何かをしたいと思った時、バスケを教えている青峰は頼りになるはずだ。そして恐らく、恋愛感情こそなくとも、青峰はを疎ましいとは思っておらず、むしろ教え子として可愛く思っている。

 もしも本気で赤司からが逃げてきたなら、絶対に拒んだりしないだろう。




「んで二度と戻んな。ふりかえんな。じゃねぇと、取り返しのつかねぇことになる。」 





 そして、はそうなったら二度と、戻ってはならない。赤司は確かに温厚で優しそうに見えるが、中に恐ろしい物を飼っている。それを灰崎はうすうす感じていた。

 あれは、恐らくに絶大な執着を抱いている。

 が離れていくまでは、恐らく彼女を飼い殺すだろう。彼女の才能をつぶし、自分がいないと生きていけなくして、べたべたに甘やかして、何もかも与えて。そうやってが離れていかないように、大切に箱庭を作り出すはずだ。

 がそこにいたいと思うなら自由意志だ。しかし逃げたいと思うのなら、後ろを振り返ってはならない。

 赤司は賢い。そしてを欲しいと思っている限り、どんな酷い方法を使ってでもを留めようとするだろう。話し合いなどでどうにかなると考えてはならない。お嬢様育ちでのんびりした、彼女が想像もしない汚いやり方で。




「おまえ、本当にもったいねぇよ。」




 赤司さえいなければ、は成績も良い、運動神経も良い、のんびりしているが性格も良い、容姿も良い、相当目立つ存在になっただろう。なのに赤司が目の前にいるばかりに、彼女の光は外に届かない。というかむしろ、彼が隠していると言ってもよいのかも知れない。

 少なくとももう一人の赤司は絶対に、を手放したりなどしないだろうし、仮にが逃げようとすれば多大な危険が伴うだろう。そう簡単に今まで側に置いていた使えるお気に入りを、ただで手放すなどあり得ない。




「世の中には悪い奴だっているんだ。おまえをいじめた奴より、もっと怖い奴がな。」




 合法的に、そして心優しき隣人のふりをしながら、自分の傍におく、そのためだけに他人の才能をつぶし、無力化している。もっともたる信頼を得ている存在。

 それもおまえの隣に。

 は灰崎の言葉はよくわからなかったようだが、彼女は記憶力が良い。レコードのように、少なくとも一度聞かせれば灰崎の言葉をずっと覚えているだろう。

 それで良い。きっと今は必要のないことだ。



「ま、困ったことがあったら言って来いよ。」




 どうせ同じ学年なのだ。部活というくさびがなくなったとしても接点が完全に消え去るわけではないし、廊下などで顔を合わせることもあるだろう。とはいえ、彼女と自分はきっと、絶対に交わることのない存在にはなるだろうが。

 軽い調子で言えば、は少し複雑そうな、悲しそうな顔をした。



「さみしく、なるね、」




 やめることには全く後悔はない。もともとバスケットボールなんて練習も辛いだけで、才能があったとしても、好きではなかった。きっとこれから待ち受けている生活の方が、退屈に満たされながらも享楽的で楽しい物になるだろう。

 ただ、高い声で、嘆くように呟かれた声音だけ、少しわびしいと思った。




忠告