「俺はっちにすっごく気になることがあるんっスよ。」
部活が終わり、モップがけをしていた黄瀬は、ベンチのところで資料をパソコンでまとめているに話しかける。
「どうしたんですか?黄瀬君。」
同じくモップをかけていた黒子が、不思議そうに黄瀬を見上げる。もきょとんとした表情で顔を上げた。
「ちょっくら恋バナしませんか。」
「こいばなって何?」
黄瀬の言葉には心底不思議そうな顔をした。あまり小説や辞書に出てこない、定義のない言葉が、は苦手だ。
「恋愛のお話ってことですよ。」
「れんあい、ふぅん。」
黒子の追加説明にもの反応はすこぶる鈍い。
恋愛という単語自体はわかっているが、恋愛自体がわかるわけではないと言ったところだろう。ただ、知識としてはそれなり普通には知っている。中学2年生にもなれば、誰かが誰かを好きになったなんて話はよく聞くからだ。
「はぁ?なんだよ。おまえ、また彼女変わったのかよ?」
青峰が呆れたように言う。
モデルもやっている黄瀬は、何かともてる。本人にも問題はあるのだろうが、容姿に惹かれる女は山のようにいるらしく、別れても次、次と相手がころころと変わるので、青峰もよく聞く話だった。だがそういうわけではないらしい。
「赤司っちとどこまで行ってんっスか。」
どうやらに尋ねたいこととは、との幼馴染みである赤司の関係らしい。ただの反応はどこまでも鈍い。
「どこまでって、どこに?」
「恋愛的な意味っスよ。」
きらりと黄瀬の目が光る。
「え、なにが?涼ちゃんの言ってる意味がわからないんだけど。」
は心底困ったように青峰と黒子に援護を要請するように視線を向けた。だが二人とも興味があるのか、成り行きを見守るだけだ。
「え、っち、恋愛の意味わかんないっスか?」
黄瀬は説明するのが難しい質問にあちゃーとでも言うように髪をかき上げる。
「恋愛の意味は“異性に特定の愛情を感じて恋い慕うこと”だよ。確かに征ちゃんは好きだけど、異性だから、とか、特定とか言われるとよくわかんないかな。特定と言えば、特定なのかも知れないけど、わたしにいさまとかも好きだし、」
が辞書的な意味とともに述べると、青峰と黒子が目をぱちくりさせた。
「え、なんか、すげぇ難しい話だったのに、ちょー適当っすよ。それ。」
「え?だって、異性だから違うとか言われても、よくわからないもの。」
には黒子が驚く方がよくわからない。
赤司は確かに愛情があるかと聞かれたらもちろんあるに決まっている。にとって幼い頃からずっと一緒に過ごしてきた大切な幼馴染みだ。大好きだ。しかし、それが他の人間に抱く、特に異性に抱く物かと言われれば、違いがよくわからない。特定と言われれば特定だろう。大切に思っているレベルと、特殊性からいくと、信頼と柔らかさを考えるならば、そういう感情を抱くのは数人だけなのだから。
彼の隣にいると安心感があるのも、面倒を見てもらっていることも、どちらかというとが兄に抱いているものとよく似ているかも知れない。だからは明確な答えこそ持っていなかったが、赤司に対する感情は兄に対する物によく似ていると思っている。
「えー、そうなんっスか?」
黄瀬は少し不満そうに唇をとがらせる。
「じゃあ、好みのタイプは?」
「タイプ・・・?考えたこともないなぁ。」
にとって恋人同士というのは正直よくわからない。ドラマなどで見る恋人たちは、キスをして、抱き締めあってと言う感じだが、はよく友人に抱きつく。それは嬉しさを表現するときが多い。キスはもちろんしないが、誰にされても恥ずかしいと思う。
ただ、抱きしめてもらうなら、安心出来るのが良いかもしれない。
「安心できる、ひと?」
「抽象的っスね。たとえば誰が好みなんっすか?バスケ部なら。」
初めて聞くタイプに、黄瀬は具体性を求める。
「・・・うーん、誰だろ、上のにいさまとか、てっちゃんとか、征ちゃん?」
は記憶をたどって、抱きしめられて、安心できた人を思い出す。
「それはありがとうございます。」
黒子は礼儀正しく頭を下げた。
「ってか、全然タイプ違くね?」
青峰が心底呆れたような表情で、モップを軽く振った。その拍子に水がべちゃっと飛ぶ。
の兄がどんな人物なのかは知らない。ただ、黒子は確かに紳士的だが、安心できるかと言われれば結構弱そうだし、赤司は強そうだがもてすぎるし、高嶺の花といった感じで安心できるにはぴんとこない。普通ならタイプの人間に共通点はあるものだが、二人の共通点なんて、欠片もない。
そういう点ではの“安心できる人”の基準が青峰にはわからない。黄瀬も同じだったのか、うーんと少し困った顔で首を横に傾けていた。
「っていうか黄瀬君は何でそういうことを聞きたいんですか?」
黒子はそもそも何故黄瀬がそんなことを言いだしたのかの方が気になって、尋ねる。
黄瀬が結構ミーハーで、何かと他人の色恋沙汰が好きなのは承知しているが、大抵自分の自慢話で終わる。今回、ほとんどそんな話に関わりはなさそうなに話を振ってきたと言うことは、それなりに理由があるはずだ。
「いや、同じクラスのサッカー部の奴が、どうやらが好きらしいんっスよ」
黄瀬はあっさりと白状した。
前から軽い気の良い奴で、よく話していたのだが、黄瀬がバスケ部に入ったと聞いて、の情報を得てこいと言われたのだ。幼馴染みの赤司と同じクラスのは、大抵クラスでは赤司と一緒に、それ以外の時間はバスケ部のレギュラーたちと過ごすことが多いため、接点が得られなかったようだ。
「一目惚れらしいんっスけど、流石にの趣味じゃないなら、ね。」
黄瀬にとってそのサッカー部のクラスメイトも友人だが、はいつも一緒に練習をしている親友だ。流石に親友が嫌がることは出来ない。が赤司とつきあっていないことは知っているが、一応確認しておこうと思ったのだ。
「まー、楽しい奴だけど、安心できそうではないっスから、脈なしだって、いっとくっス。」
黄瀬は自己完結して、を見る。彼女はよくわからなかったのか、首を傾げて漆黒の瞳を瞬いていた。
「でも本当に、っちって、好きな人いないんっスか?」
「わたし、涼ちゃんもてっちゃんも大輝ちゃんも好きだよ。」
「俺も好きッスよ。」
「僕もです。」
「俺もだぜ。」
なんだかいつの間にか軽い告白になっていて、黄瀬はそれに気づかないままにつられる。
ただにとっては多分それが真実なんだろう。要するにまだ彼女にはそういうことはわからない。芽生えていないのだ。
「でも、恋人同士ってどんなのか、ちょっと気になるよね。」
は子供のように無邪気な意見を返す。
「あははは、っちらしくて夢いっぱいな意見っすね。」
「そうなの?」
には恋人同士というのはテレビの中だけの話で、何もよくわかっていないのだ。年頃らしいと言えば、年頃らしいただの興味でしかない。
「じゃあ、つきあってみるっスか?」
「え?何に?」
「、恋人同士になることを、つきあうって言うんですよ。デートしたり、色々なところに一緒につきあっていくってことですよ。」
黒子はにわかりやすいように説明を付け加える。
「あ、え?んー、でも、結構忙しいしなぁ。」
「確かに、バスケ部だし。おまえ、居残り練習にまでつきあってるもんな。」
青峰もの言葉に同意した。
マネージャーとは言え、は記憶力を持っており、統計などで頼りにされる部分が多い。ぱたぱたと歩き回って、統計をノートパソコンでまとめたり、夜は居残り練習につきあい、赤司とともに帰るのだ。土日はぐったりしていることが多く、デートなどする気力もないだろう。
それは部員たちも同じで、青峰と黒子は顔を見合わせて笑うと同時に、それでも器用に彼女を作ってくる黄瀬はすごいと思った。
まだわからない。知らない。