5月も半ばにさしかかった頃、は虹村に赤司とともに呼び出されることになった。
「え、」
は扉を開いて中をのぞき込むなり、目尻を下げて赤司の手を握って躰を寄せる。
「おいおい、始まる前からびびんなよ。」
虹村はの怯えを見て取ったのか、呆れたように言っての頭を宥めるようにぐしゃぐしゃと撫でた。
そこに集まっているのは虹村と副キャプテン、そして現在書記など役職に就いている部員と3年生の一軍マネージャーたちだった。
「童ちゃん、おいでおいで、」
3年生のマネージャーのまとめ役である鴻池が、手をひらひらさせてを招く。
「先輩・・・」
はとろとろと赤司と虹村から離れて、今度は鴻池の所に駆け寄る。ただ三年たちの視線は怖いのか、ぎゅっと鴻池の腕に抱きついた。
三年の部員たちが思わず苦笑する。
一見、この小柄で、甘えたの少女が、誰もが役に立つと恐れる統計をはじき出すのだから不思議だ。しかもマネージャーとしても優秀で、仕事もはやい。料理もうまい。小柄なくせに重い荷物も嫌がらず、てきぱきと動く。
2,3軍への配慮にも優れていて、お菓子などを作ってくる時は、100個以上作って2,3軍にもちゃんと渡している。多少無理を言っても嫌な顔一つせずに笑ってやるは、3年生からも非常に評価が高かった。
「、おまえ、赤司が主将になるって話は聞いてるな。」
虹村が確認するように言う。は鴻池から離れ、また赤司の隣に戻ると小さく頷いた。
「はい。赤司君から聞きました。」
「なら話は早いな。おまえには、マネージャーのまとめ役になってもらおうと思ってる。」
帝光中学のバスケ部は部員100人を超える大所帯であり、当然ながらマネージャーも1,2,3軍それぞれ結構たくさんいる。そのためマネージャーのまとめ役がいて、それが伝達などを執り行うとともに会計などもこなしていた。部内での役職の上では、副主将ふたりのうちの一人だ。
ただには全く縁遠い話で、想像したこともない話だった。
「え、」
は目をぱちくりさせて、鴻池の方を見る。
今現在、副部長であり、マネージャーのまとめ役は3年生の鴻池だ。すらりとした大人びた美人の彼女はてきぱき動き、仕事もはやく、把握能力も高いと評判で、2年の中頃からすでにまとめ役に任命されていたという。
「鴻池先輩、ご家族が大変なんですか?」
はおずおずと尋ねる。それに隣にいた赤司が僅かに眉を寄せて、苦笑いを零した。
虹村は父親が病気で早めに主将を交替したのだ。ただそのことに関して部員には口止めをされていたが、すでにには言ってしまっている。ちらりと赤司が虹村を窺うと、少し怒った顔をしていた。
「違うわ。ただね、赤司君が主将になるに当たり、連携しやすい人が一番だと思うの。」
鴻池はにっこりと笑う。
「赤司君は、鴻池先輩だと連携しにくいの?」
は隣にいる赤司の顔を見上げた。素直な質問に、周りは苦笑する。
「・・・少し、遠慮してしまうかも知れないな。」
赤司は少し困った顔をして答えた。
主将になったと言っても、鴻池は三年、赤司は二年だ。部員と違い、マネージャーには手足となって動いてもらわなければ困るし、雑用係と言うことになる。赤司としては年上の鴻池に雑用を頼むのは確かに気が引けるし、どうしても気を遣うことになる。
それは良くないと言うことで、鴻池自身から提案があったのだ。
「でも、わたし、鴻池先輩みたいに、出来そうにないし。」
は目尻を下げて、組んだ自分の小さな手を見つめる。
鴻池は周りへの気遣いもうまく、てきぱき動く。誰よりも動くことは、出来るかも知れない。それは努力の問題だ。でも精一杯頑張っても、には彼女のように周りへの気遣いが出来るかは、自信はなかった。
「・・・あんなぁ、確かに時期は早かかったけどな、俺たちはおまえが適任だと思ってんぞ。」
虹村は越しに手をあてて、の頭をぽんぽんと叩く。
「そりゃ間違いないわ。マネージャーで一番役に立つのは、やっぱだしなぁ。」
他の三年の部員も肩をすくめて笑った。
マネージャーの業務というのは大方が選手のフォローだ。選手たちが試合に集中できるように洗濯やドリンク作りからスカウティングや対策の提案、偵察などあらゆる雑事をこなすのが仕事。
はどんなに面倒な雑用を頼んでも笑って嫌がらずにせっせとやるし、スカウティングに関しても統計という誰にも変えられない力を持っている。そのことを部員たちも承知し、またの努力も含めて大いに認めていた。
だから、2年終わりにはを推挙するつもりでいた。
虹村が主将の座を降りたため、少し速くなってしまったが、遅いかはやいかだけの問題で、結局将来的な立ち位置は変わらない。
ただには納得できないのか、言っても困った顔をしていた。
「童ちゃんはこの部が好き?」
鴻池が俯いているに尋ねる。
「うん。優しくしてくれた、みんな好き、」
は素直に頷いた。
帝光中学にが編入したのはいじめが原因だったし、バスケ部に入ったのは赤司が誘ってくれたからだ。それは偶然に過ぎなかったけれど、対人恐怖症だというが怖がらないように、慣れられるようにと保健室に通ってくれたり、部員は皆努力してくれた。
最初は二階から見ていることしか出来なかったに、手を振ってくれた。少しずつ人との接点を作り、大丈夫だと教えてくれた。
赤司が皆に事情を説明してくれたというのもあるけれど、それだけではない。
だからはこの帝光中学のバスケ部の先輩たちも、部員たちも、みんな好きだ。自分に立ち直るきっかけをくれたのも、人が怖くないともう一度教えてくれたのも、彼らだ。はそのことに例えがたい感謝を抱えている。
「だから、みんながバスケをして、勝つのを助けられたら、嬉しいな、」
に出来ることはきっとそれほどたくさんあるわけじゃないけど、少しでも彼らがしてくれたことを返していければ良いと思う。願う。
「だから童ちゃんを、選んだんだよ。」
鴻池はが見えるように、綺麗に笑った。
重たい立場を任せることになる。それは鴻池も承知しているが、そこに鴻池も、も同じように執着がない。部にとって一番何が良いかを考えた結果、鴻池はにこの立場を譲ることが一番部のためになると考えたのだ。
「わからないことがあったら、ばんばん頼れば良いわ。私たちも部にいるんだから、ね。」
鴻池はそう言って、に言い聞かせる。は彼女の目をじっと見つめていたが、隣にいた赤司を見上げた。
「出来る、かな、」
「出来るさ。俺はを信頼してる。」
赤司はの言葉に強く応える。それは決して嘘ではなく、心の底から思っていた。
「・・・頼りないかもですけど、頑張ります。だから助けてください。よろしくお願いします。」
はぺこりと3年生たちに頭を下げる。
「おぉ!当たり前ぇだ。」
虹村はの答えに満足したのか、を褒めるように頭をくしゃくしゃと撫でた。は心地よさそうに目を細める。
「私は心配してないわ。は出来る子なんだから、もっと自信を持っても良いのよ。」
鴻池は笑いながら、他の3年のマネージャーと顔を合わせて笑う。
皆が押し上げるように望んでくれても、やはりは少し不安だったが、それを察したように、赤司の手がの手を握る。
自分も自分の出来ることをがんばろうと、彼が主将になるとわかった時に決めた。
がこの立場を重荷に思うのだから、主将の赤司はなおさらだろう。がマネージャーのまとめ役になることで、少しでも忙しい赤司が楽になるのならば、が頑張ってここいて、頑張る意味があるのかも知れない。
自信はなかったけれど、精一杯頑張るという気持ちだけは持つことにした。
わたしにできること