「は?」




 赤司は聞き間違いかと思ってに問い返す。




「うん。わたし、てっちゃんとつきあうことになったの。」




 は別に何の悪意もなく、ただ楽しそうに笑顔で同じ言葉を繰り返した。

 途端に赤司の胸の中にしこりが重なり合うように、ぐっと重みがかかる。それは今までに感じたこともないような感情で、手で胸を押さえて締め付けられるような感覚の不快感に表情を歪める。想像もしてこなかった、恐ろしく思い現実に思考が一瞬ストップした。




「な、なんで、」




 誤魔化すことも出来ず、勝手に声が震えている。

 それを感じて、赤司はその結果があまりにも自業自得で、動揺を向ける相手が見当違いの物であるのを理解していながらも、拳を握りしめた。





「え?んー、ひとりで帰るの怖かったから、相談したら、つきあいませんかって言われて、てっちゃん大好きだし、安心できるし、良いよって、」





 今日、赤司はに自分はしばらく恋人と帰るようになるから、一人で帰るように言った。

 はあっさりと頷いたが、彼女が家までの道順を覚えていないことも知っていたし、あまり使用人に頼らない家で育っているは、令嬢とは言え、あまり車を呼び出したがらない。夜道を帰るのも怖がるだろうから、どうせ電話してくるだろうと思った。

 そして恋人より幼馴染みを優先するような彼氏はいらないだろうから、しばらくすればつきあい始めた女子生徒の方から別れようと言われるだろうと予想していた。赤司にとっては自分の恋心を明確に自覚するための短い遊びで、自分の恋心など気づかぬへの、小さな、小さな意地悪のつもりだったのだ。

 しかしそれは思いもよらない方向へと転がっていく。




、つきあうってどういうことかわかってるのか?」




 赤司は本音の代わりに、に尋ねる。は少し首を傾げて、「さぁ、」とあっさりと答えた。




「わかんないけど、きっとてっちゃんが教えてくれるんじゃないかな。」




 幼すぎるほどに精神性の幼いに、恋人同士の理想などという物はないし、テレビの中だけでいまいち自分に当てはめて考えることが出来ない。だから、他力本願過ぎる話だったが、あながち間違えでもなかった。




「それにねぇ、恋愛は特定の異性に特別の愛情を抱くこと、でしょう?だったら、ただにいさまと、征ちゃんと、てっちゃんは大好きだから、まちがってないよ。」





 は無邪気に笑う。

 まだ彼女の感情の中には親愛と恋愛を区別する指針が育っていない。そのため、“大好きだ”と感じればそれで良いのだろう。それを特定だと思っている。あながち間違えではないからこそ、この勘違いはやっかいだった。




「そ、それは、特定じゃないだろう、」




 3人もいるのだ、それは特定ではない。




「・・・そうなの?」




 赤司が反論すれば、は人差し指で自分の頬をつついて、少し目を伏せて考える。




「でも征ちゃんは、東谷さんのこと、大好きでしょう?それに、わたしのことも大好きでしょ?」

「っ、」





 東谷は最近赤司がつきあい始めた相手だ。はつきあうというものは、特定の異性に特別の感情を抱く、つまりは大好きな人とつきあうべきだと思っている。

 それは年相応に純粋だ。

 むしろ赤司の方が不純なのだ。がどこまで自分に依存しているか、試そうとして、東谷を利用したに等しい。彼女は美人だったし、成績も良い。だから、別に良いかと、利用する気でつきあい始めた赤司の目的そのものがすでに不純だ。

 それをに言うことは、出来ない。できっこない。言ったところで、は理解できないだろう。






は、それで良いのか?」

「何か困るの?」

「だって、その、」





 赤司は口にするのが憚られた。

 もう中学2年にもなれば、口づけたりだけでなく、躰を重ねることだってある。黒子がそういったことを焦るとは思えなかったが、それでも想像せざる得ない。赤司はそういう意味でも、どこまでも年相応だったが、は違った。





「わかんないけど、てっちゃんなら大丈夫じゃないかな。」





 は恋人同士になってすることなんて、せいぜいテレビの番組で出てくるくらいのことしか理解しておらず、自分の身に起こることとして捉えられない。黒子のことを信頼しているので問題ないと考えているようだった。

 その信頼が赤司の心にずしりとのしかかる。

 赤司だって本当は「好きだ」と彼女に言いたかった。でもどうせ、好きだと言ったところで、彼女は好きだとかえしてくるだけで、恋人同士になどなれっこないだろう。

 そう諦めていたのに、なんて彼女は簡単に、黒子を受け入れるのだ。




「征ちゃん、どうしたの?なんか具合悪そうだよ?」





 黙り込んだ赤司に、は心底心配そうな顔をする。



「・・・は、」




 誰でも良いのか、なんて赤司が聞くべき言葉じゃない。は誰でも良かったわけではない。黄瀬が聞いた時も、親族を除けば好みのタイプに合致するのは赤司と黒子だと口にしていたことからも、一貫している。むしろ、誰でも良かったのは、赤司の方だ。

 そう、自分がしたことが、自分に降りかかってきただけ。

 だがどう手を打てば良いのか、全く思いつかないほど、赤司は焦っていた。成長の遅いが誰かの告白を受け入れるなど、考えたこともなかったのだ。

 クラスメイトの、適当な女子を見繕って恋人にしたことが父の耳に入れば、別れろと命じられることだろう。だがの両親は、恐らくそういったことを気にするようなタイプではないし、黒子はそつがない。何の問題もなく受け入れられるはずだ。




「・・・黒子は、」




 何故、とつきあい始めたのだろうか。

 だが、考えれば当然だ。彼は僅かなりとも赤司の気持ちに気づいていたが、が好きだと感じ、赤司がいないのならば、自分が告白しても差し障りないと感じたのかも知れない。それは当然の思案で、どうして思い当たらなかったのかと目眩がする。

 はきょとんとした顔で赤司の表情をのぞき込んでいたが、その漆黒の瞳を丸くして、潤ませて動揺する。




「か、顔色が悪いよ、熱?ねぇ、」




 の白い手が、赤司の額に伸びてくる。だが赤司はその手を咄嗟に振り払った。ぱんっとあからさまな、嫌な音がする。




「せ、征ちゃん?」




 途端に、の漆黒の丸い瞳が潤む。




「ど、どうしたの?なにか、怒ってるの?」

「怒ってるわけじゃ、」

「うそ、すごく怖い顔してる。」




 赤司が弁解すると、は酷く狼狽えた目をした。だが、本当に狼狽しているのは赤司だ。落ち着けと自分の心にどんなに言い聞かせても、目の前にある事実を受け入れきれない。




「悪いが、少しひとりにしてくれ。まだ心の整理が出来ない。だ、だから、今は、の顔を見たくない。」




 いたたまれなくなって、赤司は席を立つ。




「え?」

「別にのせいじゃない。」






 一言そう声をかけるのが精一杯で、後ろで傷ついた顔をしているであろうを振り返る勇気もなく、赤司はリビングを後にした。

 間違いなく、のせいではない。むしろ赤司が悪いのだ。自分が他人の気持ちを踏みにじったから、起こった事態で、自業自得としか言わざる得ない。

 だがそれでも、赤司はその事実を認められそうになかった。



狼狽