恋人というのを辞書で引くと出てくるのは『恋しく思う相手』だ。なら、恋しいとはなにかとしくと『離れている人、場所、ことものなどに心が強く引かれて、会いたくなったり見たくなったりする』ことだそうだ。

 だが赤司はいつも傍にいて、安心できる、信頼できる、何でも知っていてくれて、相談できて、いつも守ってくれる。

 彼の傍が一番安心する場所。にとって赤司はそんな人だ。今は、まだそれだけだ。





「どうして、どうして征ちゃんは怒ってるんだろう・・・、」






 えぐ、えぐっと声を必死で押し殺して泣きながら、は部室で蹲っていた。

 赤司がに対して怒ることはよくあることだったが、こんな風に長期にわたって冷たくされたのは初めてだ。いつもが泣くと、怯むのが赤司だった。だから正直長い間一緒にいて、こんなことは初めてなので、仲直りの仕方もよくわからない。




、おまえ泣くなよー」




 青峰はの頭をくしゃくしゃと撫でる。




「そうっすよー。っちは本当に泣き虫なんっすから。」




 黄瀬も少し頬を膨らませてから、ふっと呆れたように息を吐いた。

 最近いつもはこんな感じで、むしろ赤司に冷たく扱われるのが怖いのか、赤司を見ると逃げていく。そう、もとうとう赤司を避けるようになっていた。それを慰めるのが、最近のバスケ部員たちの日課だった。

 だが、今日は珍しく部室にいて、の発言を聞いていた桃井は、少し目尻を下げて、悲しそうに尋ねる。




「ねえ、は、てっちゃんのこと、好きなんだよ、ね。」




 それは震える声で、ははっと顔を上げた。目の前にある桃色の髪の少女の顔は顔面蒼白で、見たこともなく、唇が震えている。





「え?」





 は一瞬桃井の聞いている意味がわからなかった。




「う、うん。てっちゃん大好きだよ。優しいし、ふわっとしてるし、安心できるから、」




 その気持ちは嘘ではない。

 赤司とは違うが、は黒子のことが大好きだ。柔らかくて、確かに赤司ほど強くないかも知れないが、代わりに優しい雰囲気と、包み込んでくれるような温かさがある。泣いていると優しく頭を撫でてくれるから、にとっては紛れもなく安心できる場所の一つだ。

 の精神年齢は未だに幼い。が求めているのは、ただ、ただ、安心できる場所でしかない。




「そ、そっか。そうだよね。」




 桃井は少し驚いて、酷く悲しそうな顔をした。




「さっちゃん、どうしたの?」





 は首を傾げて、桃井の方に手を伸ばす。だがその手から逃れるように、桃井は一歩後ろに下がった。

 中学で、桃井はにとって初めて出来た女の友人と言っても間違いない。対人恐怖症だった時は密かにをフォローしてくれたし、マネージャーとしてに色々なことを教えてくれた。プライベートでも遊びに行くほど仲が良い。

 その彼女から拒否されたことは、にとって酷く傷つくことだった。が所在なさげに小さな手を震わせていると、桃井はそれを酷く悲しそうに見つめた。

 が傷ついていることは彼女も百も承知で、でも、彼女は一つのどうしようもない思いを抱えていた。




「わ、わたし、テツ君のこと好きなんだ。」




 にとってそれは初めて聞く話だったが、桃井が黒子のことを好きという事実は、ちらっと黄瀬から聞いたこともあった。ただそれが指し示す意味が、にはよくわからない。




「・・・恋人になりたいとか、大それたこと感じたことないけど、でも、ごめんね。まだ、うまく受け入れられないの。だ、だから、今は、の顔を見たくない。」




 まるで、数週間ほど前に赤司に言われたことと同じだ。




『悪いが、少しひとりにしてくれ。まだ心の整理が出来ない。だから、今は、の顔を見たくない。』




 はその時のやり場のない悲しみを思い出して、ふるりと首を振る。

 赤司に言われたそれと、桃井に言われたそれが既視感で繋がり、のショックを増幅する。顔色は真っ白に変わり、はショックのあまり声すらも出ず、無言でぽろぽろと涙を流した。




のせいじゃないの!」




 の表情を見て、慌てて桃井は首を横に振る。

 それは明らかに自分の好きな相手とつきあい始めたに対する嫉妬を処理できないという、桃井の意思表示だったが、恋愛感情が理解できないには、嫉妬故にを受け入れられない桃井のことがわからず、ふりかかる言葉に呆然とするだけだ。




「あー、さっちん、なにちん泣かしてんの?」




 部室に入ってきた紫原が、眉を寄せて桃井を睨む。





「ち、違う、いや、違わないけど、でも、」





 桃井も泣きそうに表情を歪めたが、紫原はそれを完全に無視しての方へと歩み寄ると、膝をついてお菓子を差し出した。




ちーん、お菓子あげるから泣き止んで、ね?」




 小さなクッキーを受け取ったが、は声もなく漆黒の大きな瞳をまん丸にしたまま涙をこぼすばかりで、それを口に入れようとはしない。につられて悲しくなったのか、紫原も悲しそうに目尻を下げて、を抱きしめる。




「なんかちんの顔見てたら悲しくなる・・・」

「だって、だって、悲しいもん・・・・・・」





 やっと震えるか細い声を出したは、ぎゅっと紫原に抱きつく。




「なんなんっすか、俺も悲しくなるじゃないっすか!!」




 紫原とがえぐえぐないているのを見た黄瀬も、勢いのままに抱きついたが、「黄瀬ちん邪魔」の一言で紫原に蹴られた。





「酷いっすー!」

「何やってるのだよ。おまえたちは、」




 緑間は紫原に蹴られている黄瀬と、身を寄せ合う紫原とに心底呆れたような表情で言って、いつも通り眼鏡をあげる。その後ろにはが泣く大きな原因となった赤司がいて、紫原の腕の中ではびくっと肩を震わせてから、隠れるように紫原の腕に顔を押しつけた。





「おまえら、いちゃつくならよそでや・・・」

「赤ちん早くどっかいって!」





 悲鳴のような声で、紫原が言う。

 それは赤司に対しては常に驚くほどに従順な紫原にしては驚くほどはっきりした拒絶で、本人の赤司だけでなく、全員が目を剥く。





「おいおい、紫原。どうしたんだよ。」





 青峰は一瞬にして温度の冷えた部室に耐えかね、紫原を宥めようと口を開いた。




「そうっすよ!大体っち独り占めなんてずるい・・・」

「黄瀬ちんもちんに近づかないで!なんかちんを見る目が黒いんだもん!!」

「え!酷いっす!?」




 黄瀬は声を上げたが、紫原は何故か桃井や黄瀬、そして赤司から隠すように腕に抱き込む。身長の大きな紫原の躰に抱きしめられれば、小柄なの身体はすっぽりと隠れてしまう。そのためは冷たいこの部室の雰囲気から守られている。




「赤ちんもさっちんもなんか黒いし!ちんいじめるならどっか行ってー!」




 小さな玩具が取り上げられることを嫌がり、かんしゃくを起こした子供のような幼い主張だったが、鋭い赤司はぴくりと彼の台詞に含まれるものを理解した。桃井も同じだったのだろう、彼から目線をそらした。

 ある意味で、紫原もと同じくらいに精神的に幼く、女性とはお菓子をくれる存在くらいにしか思っていないだろう。だが、彼は本質的に勘という点では非常に鋭い。




「し、失礼っすーーー!」





 気づかない、わからない黄瀬はいつも通り冷たい空気を払拭するように、叫ぶ。だが、紫原はを守るように抱きしめたまま、黄瀬を睨んでいる。





「あぁ?あ、」






 勘の良い青峰が、何度か紫原の言葉を反芻し、彼の意図にはたっと気づく。





「えぇ?赤司とさつきはわかるけど、黄瀬ぇ?」






 考えもしなかった可能性に、青峰は素っ頓狂な声を上げた。





「何っすか?」







 黄瀬はきょとんとした表情で、青峰を振り返る。いまいち聞いていなかったのか、理解できなかったのか、紫原の腕の中では不安そうな表情をしている。





「・・・何やってるんですか?」





 図書委員をしていて一番最後に部室にやってきた黒子が、を抱きしめたまま赤司や桃井、そして黄瀬を睨み付けている紫原を見て、首を傾げた。





「黒ちん!赤ちんとさっちんと黄瀬ちんがちんをいじめる!」






 母親に告げ口をするようなつたない口調で、紫原は主張する。黒子は僅かに首を傾げたが、紫原の腕の中にいるを見てから、赤司、黄瀬、桃井を順に見て、息を吐く。





「大馬鹿者ですよ。君たちは。」





 静かな感情しか抱かない声音に告げられなくても、少なくとも赤司と桃井は理解していた。



白を宿す黒