その年、二人の化け物が洛山高校のバスケ部に入部した。
「・・・帰りたいよー、」
マネージャーとして入ったはずの少女は小柄過ぎてスポーツドリンクなどが運べるかどうかすら怪しいところだったが、それ以前の問題で、隣にいる赤い髪の少年に向けて本日何度目ともわからない言葉を呟く。
「、少し黙れ。」
いい加減にいらだったのか、少年は冷たい言葉を少女に投げかけた。
絶対零度の冷たさに流石に怖くなったのか、黙り込んだが、それでも退屈なのか、部員やマネージャーたちを全く気にせず、体育館の舞台に座り、足をふらふらさせる。
「、」
「ここからでも見えてるよ。伝えたし、良いでしょう?」
低い声でとがめられてもなお、唇をとがらせ、高い声で許可を求める姿は、幼げな容姿も相まってまさに小学生のようだ。少年は不満そうに片目を伏せたが、これ以上は言うだけ無駄だとわかったのか、「わかった」と短く答えて頷く。
そして驚くほど慈愛に満ちた、しかし非力な子供でも見るような絶対的な支配者の目を、部員たちに向けた。
全中3連覇の強豪・帝光中学。
そこでキセキの世代を従えていた赤司征十郎と、退屈を促すほどの圧倒的な記憶力と情報収集能力を持つ、キセキの世代を支えた天才、は、その日を境に圧倒的な実力と才能で、全国でも猛者揃いの古豪のバスケ部に君臨することとなった。
「ちゃん、どこに行ったのかしら。」
実渕玲央はきょろきょろと辺りを見回し、ため息をつく。
。それは赤司征十郎が入学してから、一軍のマネージャーになった少女の名前だった。
帝光中学でも指折りの優秀なマネージャーで、相手の癖や傾向を見抜く天才として雑誌に取り上げられたこともある彼女は、赤司征十郎についてすぐに洛山高校のマネージャーとして採用され、現在は一軍のマネージャーとして配属されている。
とはいえ、サボりの常習犯で有名だった。
赤司がバスケ部を掌握する前は、嫌々ながらも彼女はちゃんと部活に来ていたし、他のマネージャーの手伝いもしていたように思う。だが赤司が早々にバスケ部を掌握した途端、彼女はサボりがちになり、練習試合の日以外はほとんど来ない。
他の部員やマネージャーはそのことに心底呆れていたが、それでも彼女には特別な才能があるらしいし、実際に彼女が公式戦や練習試合の日に休んだことはなく、退部させられない程度に役に立っている。赤司は主将として何度となく彼女に注意をしていたが、全く効果はなく、彼は実力行使と言うことで、部活に来る前に彼女を捕まえるという作業をするようになっていた。
部員たちは彼女の出してくる毎日の部員の個別報告書の詳しさと、癖や傾向の指摘の的確さに目を剥いていたが、何よりも彼女が退屈そうに練習を見ていることに、不信感を抱いていた。
だが、皆の彼女に対する不満を聞きながら、実渕は違う印象を彼女に抱いていた。不機嫌そうに試合を見ている彼女は今にも泣きそうで、泣くのを我慢するために、口をへの字にして、それが不機嫌そうに見えるだけだ。
赤司は彼女の才能が必要であるため、手放さない。もちろん彼女が彼の恋人だと言うことも一因なのだろう。なんだかんだ言っても赤司は彼女を大切にしており、だからこそ誰も彼女に手を出さない。対してはというと赤司から何かと離れて動きたがる。
それが赤司の苛立ちを煽るようだった。
今日も彼女は赤司とともに登校したので間違いなく学校には来ていたそうなのだが、学校の授業は昼から出席していなかったのだという。随分と赤司が探していたようだが、今日は珍しく彼も見つけられなかったようで、部活が始まる前から困り果てていた。
実渕は部活に行こうとした時、一瞬私道の近くで見かけたような気がして探していたのだが、彼女は私道近くの馬術部の厩舎の傍にしゃがみ込んで、何かをしていた。
「さー、ひよよ、おたべー」
びっくりするほど無邪気に、楽しそうに笑っている。
赤司の隣にいる時はいつも悲しそうで、何かもの言いたげなのに何も言わず、寂しそうに目尻を下げているのに、笑っている彼女は驚くほど年相応で、子供っぽくて可愛い。だがその小さな手に持っているものを見て、実渕はぎょっとした。
「ひっ、」
思わず実渕は年甲斐もなく悲鳴を上げてしまった。
彼女はどこから見つけてきたのか、茶色くて細い芋虫を手に持っている。それはよく釣り餌や小鳥にあげるために売られているミルワームという芋虫で、女の子があまり好むものでは普通ない。だが彼女は何の恐れもなくそれを持って、ぴいぴいとけたたましく鳴いているそのなんだか丸い鳥にあげていた。
「ちょ、ちょっと、何してるの?」
後ろから実渕が声をかけると、はっと顔を上げては目を見張り、あからさまに狼狽えた表情で、目尻を下げた。
「え、えっと、実渕先輩・・・?」
赤司に言われて迎えに来たと思ったのだろう。彼女は逃げ道を確認するように辺りを見回したが、やはり自分の足下にいる鳥を見て、またしゃがんだ。鳥の方が自分が逃げることよりも重要だと判断したらしい。
彼女は重要な洛山や敵の試合の時はちゃんと部活に来るが、日頃の練習にはサボりがちだ。そのためあまり部員やマネージャーとは打ち解けていなかった。それはレギュラーであり、いつも赤司といるはずの実渕も例外ではない。
が逃げ出したりしない限り、大抵赤司がいるところにはおり、のいるところに赤司がいる。逃げ出している時ははひとりぼっちだし、逃げていない時は必ず赤司が一緒のため、彼女にわざわざ話を振る人間はいない。
結局が友達と一緒にいるところを、実渕は一度も見たことがなかった。
「別に征ちゃんに言われて探しに来たって訳じゃないわ。それよりどうしたの?その鳥。」
一緒にしゃがみ込んでよく見てみると、フクロウかミミズクの一種らしい。目がくりりとしていて何か可愛いが、その目が何となく、隣にしゃがんでいる少女によく似ている。漆黒の大きくて丸く、つぶらな瞳がそっくりだ。
何か同種に見えて、実渕は一生懸命瞬きしたが、やっぱり似ていた。
「多分。誰かが捨てたみたい。今日見つけたの。」
彼女は悲しそうな声音でそう言って、また茶色い芋虫をとりだし、めいっぱい開かれた口に放り込んだ。
どう見ても外来種の大きめのフクロウだ。耳のようなひこひことした羽が頭の両側についている。馬術部の厩舎は広く、近くには公園や私道もあり、誰が捨てたのかはわからないし、どこから来たのかもわからない。人間に飼われていたため、自分で虫を捕る方法を知らないから、お腹をすかせているのだろうフクロウは嬉しそうにの与える餌を食べていた。
赤司から逃げるために昼休みから教室を出て、昼の授業に出ないことはよくあることらしいが、今日はこれについていることに忙しくて、彼女はどうしても授業に出てこられなかったのだろう。
「この子怪我もしてるわね。」
実渕はフクロウの動きをじっと見ながら、羽の動かし方が変なことに気づく。馬に蹴られたのか、それとも何か他の原因かはわからない。
「え?」
が声を震わせて、瞳を潤ませる。
途端、けほっとフクロウが今まで食べていた餌があわなかったのか、突然はき出した。それを見ての表情がますます凍り付く。フクロウは少し餌をはき出したかと思うと、はき出したことすらもなかったように、くるりとした瞳で凍り付いていたを見あげた。
だが、の頭は目の前で起こった事態の対処法が思いつかず、すでにパニックを起こしていた。
「ど、どうしよう、っ、征ちゃ、違う、てっちゃんっ、そうだ、電話!」
はわたわたと慌てて、自分のスマートフォンを出す。
「ちょっと落ち着きなさいよ!」
実渕にはが誰に電話しているのか全くわからなかったが、ひとまず彼女の背中を撫でて落ち着かせようとする。だが全くどうして良いのかわからないは、電話をかけている間も落ち着かないのか、フクロウと何故か実渕の顔を泣きそうに交互に見ていた。
『黒子ですけど、』
「てっちゃん!どうしよう!!フクロウが!!」
『二ヶ月ぶりに電話してきて意味わからないんですけど?』
相手も流石にびっくりしたのか、スマートフォンからダイレクトに戸惑いが伝わってくる。そりゃそうだ、突然フクロウと言われても何が何だかわからない。
「フクロウっ、吐いちゃって!落ちてて、それで、死んじゃうかも・・・」
こらえきれなくなったのか、ぼろぼろと彼女は涙をこぼして言う。
泣いているのが聞こえたのだろう。電話の相手は一瞬黙り込んだが、隣に誰かいるのか、後ろがざわついて、電話が雑音を拾っている。
『ちょっと、黄瀬君。今すぐ赤司君に電話してください。』
『えーーーー、いやっスよ。どうせっちでしょ?そっち変わって。』
『嫌です。。泣いてるんですよ。早く電話してください。』
『ちょっと勘弁してくださいっスよぉ。赤司っち、っちのことになると目の色変わるんっスから。』
『助けても助けなくても殺されますよ。』
何やら電話の向こうの誰かは言い争っている。よほど二人とも赤司に連絡するのが嫌らしい。
「・・・どうしよ、あ、動物なら、大輝ちゃんに、電話した方が?ち、違う、ど、どうしよ、病院!?、違う?どうしよう、」
『落ち着いてください、良いですか?赤司君は近くにいないんですか?』
「え、征くん?征くん?」
はきょろきょろと辺りを見回す。
「い、いない、いないよ、ど、どうしようっ、フクロウさん死んじゃう!?あ、実渕先輩いる、違う、えっと、その、征ちゃんはいない、いないんだよ・・・、」
『今、君はどこにいるんですか?』
「え、どこって、馬?えええっと、」
「厩舎よ。」
「きゅーしゃ、きゅーしゃだって!」
実渕が言うと、はその言葉をつたない口調で反芻する。フクロウは慌てて大きな声を出している彼女を相変わらず不思議そうに見ていた。焦っているのは彼女だけだ。
『そこから動いちゃだめですよ。フクロウはどんな様子なんですか?』
ゆったりとした声で、電話の向こうの少年と思しき声が彼女に尋ねる。
「え、えっとこっち見てる、」
『・・・いや、そういう意味じゃなくて、元気そうですか?』
「わ、わかんないっ、ぴいぴい泣いてる。病院?すぐ、病院行った方が良いのかな、た、食べ物吐いて、どうしよう、」
『そこを動かないでください。大丈夫ですよ。動いているんですね。』
彼女がパニックに陥りそうになるため、優しくも厳しい声が宥める。声の主は少なくとも彼女と同年代、しかも彼女を慰めるのに随分と慣れているらしい。
一体相手は誰なんだろうと実渕が首を傾げていると、ふと彼女のスマートフォンに後ろから手が伸びてくる。実渕がそちらを見ると、そこにいたのは走ってきたのか、少し息を乱した赤司征十郎だった。自分の携帯を持っている。
そしてもう片方の手でからスマートフォンを取り上げると自分の耳に当てた。
「テツヤだね。ありがとう。ついたから切るよ。」
短く言って、電源を落とすと、彼はを見下ろして、スマートフォンをの手に返した。
「授業をさぼって何をしているかと思ったら、フクロウがなんだって?」
「せ、征くん?」
どうやらすでにある程度事情を聞いているらしい。ということは実渕にはわからないが、誰か共通の知り合いで、が“てっちゃん”に電話をしている間に“てっちゃん”と一緒にいた、赤司の知り合いが赤司に電話をしたのだ。
おそらく“てっちゃん”が電話越しなのに居場所を聞いたのは、赤司が彼女の場所を知るため。
「ふ、ふくろう、吐いて、ど、どうしよ、怪我?病院、が、」
「・・・言っている意味がわからない。」
赤司は大きなため息とともにの目尻にたまった涙を拭ってから、フクロウを見る。
「何かおかしいのか?そのミミズクは元気そうだが。」
フクロウではなく、ミミズクだったらしい。何の基準も知らなかったと実渕は、今の状況も忘れて、ミミズクなのかと頷いてしまった。
「さっき吐いたのよ。餌を。それで彼女、焦っちゃって、」
実渕がの足らなすぎる言葉を補う。実渕もまた見ていたことだ。おそらく慌てている彼女が説明するよりずっと早い。
「で、テツヤに電話した、と。」
少年の名前を口に出した赤司の声は、どこまでも冷ややかだった。は真っ青の顔で俯いていて、それでもぽろぽろと涙が止めどなく落ちる。
赤司は膝を折り、ミミズクを見下ろす。ミミズクは最初赤司をじっと見ていたが、がやはり良いのか、に身を寄せてしょんぼりと目尻を下げてを見ている。その姿が泣いているを心配するようで、それは赤司もまた同じで、彼女の頭をぽんと撫でる。
「泣くな。別に怒っているわけじゃない。」
「うそ、」
「あぁ、まぁ、それは嘘だな。ひとまず、動物病院に行って検査してもらおう。それで大丈夫だろう?泣くほどのことじゃない。」
「・・・あ、そっか・・・うん。そうする。」
は震える声だが、先ほどと打って変わって焦った様子はなく、納得したように赤司の言葉に答える。赤司はまた小さくため気をついて、泣くの頭を優しくなで続ける。
二人は一体何なのか、説明する答えを実渕は持っていなかった。
Das Fragment des Monster